二
次の日。その日は本当に珍しく晦が牛車を使って桔梗区を走っていた。
「珍しいですね、あなたが牛車を使うなんて」
ちなみに牛車は貴族の中でも身分が高くなくては乗れることはなく、陰陽寮は例外を除いてそこまで身分は高くない。
平民から陰陽寮に推薦で入った晦は、既に陰陽寮の筆頭陰陽師になっているからこそ、牛車に乗ることを許されている。
私の言葉に、晦はからからと笑う。
なお、私を見られる人は限られるため、晦は私と会話するために牛車内にはお札がべったりと貼られている。これで誰にも盗み聞きされることはないはずだ。
「ひとつは、あなたのお父上に我々の交際を認めてもらおうと」
「はっ倒しますよ」
私は背中に佩いた刀の柄に手をかけながら言うと、晦はまたしても「ははは、冗談です」と返した。陰陽師冗談よくない。
「あなたのお父上に会いに行くことを内密にするため、ですね」
「……陰陽寮が朝廷について嗅ぎ回っていることを、神庭側に知られないためですか?」
「それもありますね。どうにも、都にいるあやかしには、二派いるような肌触りなので」
「……二派、ですか?」
「具体的に言うと、朝廷に飼われているあやかしと、放置されているあやかし、ですね」
「私にはそれの違いがわかりませんが……」
「全然違いますよ。人間だって猫や犬を飼うではありませんか。猫や犬は人に慣れている場合は鼠を獲ってくれたり、不審者が来たら吼えてくれますが、野良は違うでしょう? 庭木を荒らしますし、人を襲います」
それはたしかに想像できた。
野良の猫に飼っていた雀を食べられてしまった例は聞き及んでいるし、野良犬が庭に現れた場合は、侍たちを呼んで追い出しにかかったりしている。
つまりは。
「晦は朝廷があやかしを飼っていると言いたいんですね?」
「ええ……朝廷はいろいろと言い訳をして、なかなか我々陰陽寮を中に入れてはくれませんし、調査もできません。この間も朝廷での行方不明事件の捜査という言い訳がなければ、入ることすらかないませんでした。もし入らなければ、結界の不具合だって気付けなかったでしょうしね」
「それは、そうですね……」
聞けば聞くほど、朝廷はいったいなにを考えているんだという話になる。朝廷にいるのは、働いている貴族たちだけではない。後宮に進めば、そこには王族の女たちがいる。彼女たちにだって危害が及ぶ可能性があるというのに。
でも。そのことを私はなにも知らなかったんだと思うと、少し鬱屈とした気持ちになってくる。私のそんな表情に気付いたのか、晦はすっと私の顎を持ち上げてきたのに、目を細めた。
「……なんですか」
「いえ。あなたにそんな憂いた顔は似合わないと思いましてね」
「はっ倒しますよ」
本日二度目の暴言を吐いたものの、今回は刀の柄に手を添えることはなかった。ただ、晦はくすくすと笑った。
「無知の知というものがあります。あなたはなにも知らなかったことを知ったのですから、それでおしまいです。知らなかったことを恥じるまでは、必要なことだと思いますが。知らなかったことを悔いて思考を停止するのは、いささかおすすめしません」
「どうしてですか……知らなかったことは後悔することだとばかり思っていましたが」
「それは決まっていますよ。後悔したところで、先立つものはなにもありませんから。後悔するよりも、これからのことを考えたほうが建設的でしょう? どうして朝廷があやかしを飼っているのか……それは王族はご存じなのかは、考えていかなければなりませんからな」
「……っ!」
そうだった。神庭に入れるのは基本的に王族だけ。そもそもの問題として、朝廷に張っているはずの神庭の結界がおかしいのだから、それについて王族はどれだけ知っているのかを知らないといけないのだ。
ただ朝廷があやかしの飼育場になっていた。私はそんなことも知らなかったと悔やんでいたところで、また王族が番の呪いをかけられるかもしれないし、この間助けた紅染たち武官みたいな被害者が出るかもしれない。そもそも、現在進行形で使用人たちが行方不明になっているのだから、消息を追わないといけない。
私が唇を噛み締めている中、晦は今度は私の髪を撫で、首筋を指でなぞってきた。そして私のこめかみをつつく。それに。私は思わず固まる。
今の式神の体には存在していないとはいえど。私の本来の体には、ここには番の呪いの証である、どこのどいつかわからないあやかしの歯形がついている。さもあるかのように、晦は指ですりすりと撫でてきたのに、私は肩を跳ねさせる。
「……も、もう。やめてくださいよっ」
「いえ。忌まわしいと思っただけですよ。今のあなたの体は私の式神に守られているはずですが、それでも状況が読めないことには変わりありませんし」
「ああ……」
そういえば前にも言っていたような気がする。式神の記憶が、弄られているんじゃないかと。それは私の体が無事では済まないんじゃないかという危機感に直結する。
私が固まっている中、晦は「さて」とようやっと私のうなじから手を離して、髪を元に戻した。
「君のお父上に話を聞ければいいのだけれど」
「……そうですね。ただ、本当にお父様は下っ端で、王族特有の閑職なため、どこまで話が聞けるかわかりませんよ」
「かまいません。あの人が敵か味方かわかれば、それでいいのですから」
そうこう言っている間に、久方ぶりの我が家が見えてきた。
私が番の呪いを受けてから、後宮に呪われた女がいるのも駄目だろうと、朝廷から少し離れた場所に建てられたそこ。後宮のようにひっきりなしに侍女や使用人がうろうろしている訳ではないけれど、それでも普通に庭師が庭を整え、夏は涼しくなるよう、冬は暖かくなるよう整えられている。
庭には私の名前に合わせて藤棚が建てられている。もし季節ならば今頃あの庭は豊かな紫色が拝めたことだろう。
牛車を停めると、晦は門から声をかけた。
「すみません! 連絡を入れました陰陽寮の者です!」
「はい、ようこそお越しくださいました。たしか娘の出家のときに立ち会ってくださった方ですね」
パタパタと出迎えてくれた姿に、私の目の奥がじんわりと熱くなって痛くなってきた。つい最近まで一緒に過ごしていたお父様だったのだ。どういう理屈か、髪は前よりも白髪が目立ち、疲労のせいで頬が落ちくぼんでしまっているけれど、それでも元気そうなことにほっとした。
一方晦は相変わらずの人好きのする顔で「覚えてくださっていましたか」と会釈する。
お父様は微笑んだ。
「任された仕事はあまり大きくはありませんが、人を管理する仕事をしていますので。それで、要件は」
「道端で話すことではございませんので、できれば……」
「わかりました。人払いしましょう。昼からお酒は飲まれますか?」
「あいにく、うちでは子をたくさん預かっている手前、酒は正月以外では入れられないのですよ」
「なんと。陰陽師様にもなったら、慈善事業もなさるんですねえ」
お父様はそう言いながら、奥に通してくれた。
通された部屋で椅子を勧められ、そこに晦が腰をかけると、「甘味はどうですか?」とお父様が尋ねると「人並みには」と晦が答える。
結局お父様が出したのは、麦湯に紐餅だった。ちなみに紐餅は餅を捏ねて揚げたお菓子であり、蜜をからめていただく。それを晦は「これはこれは贅沢な」と言いながら、それを千切って食べはじめた。
昼間から酒を嗜むのは、貴族の社交辞令な上、出世している貴族ほど酒をよく飲むが。お父様は基本的に閑職つきなためにそこまで飲む機会がない上、無類の甘いもの好きだったのもあり、甘めのお酒では甘味の味が味わえないと、麦湯やお茶ばかり飲んで、あまりお酒を嗜まなかった。
一方の晦は日頃からあやかしのせいで孤児になった子たちの面倒を見ているせいか、社交辞令で宴会にでも誘われない限りはまず飲まない。本人は飲んでも陰陽師としての腕が落ちる訳ではないらしいけれど、酒を入れたら口の滑りがよくなり過ぎるのが嫌らしくて、身内間以外の宴ではなにかしら言い訳を並べて酒を飲んではいなかった。
ふたりとも波長があったのか、最初は最近の都の話をしてから、やっと本題に切り出した。
「それで、二日月様は人材管理の仕事をなさっていると伺いましたが」
お父様はいつものようににこやかな顔で、晦をじっと見た。
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