地下に入った途端に、先程までとは打って変わって、篭もったにおいが鼻につき、私は思わず鼻を袖で抑えた。


「なんで式神なのにこんなににおいがするんですかぁ……!」


 思わずがなり声を上げると、晦はせせら笑いを返してくる。


『姫様、五感というものはあやかし退治には存外重要なものですよ。だから姫様の式神の体にも、きっちりと五感は与えております。それで、そこは異臭がするとのことですが、どのようなもので?』

「……生臭い、ですね。あと埃っぽいです」

『生臭く埃臭いと。ありがとうございます。なにか見えますか?』

「なにも。地下はだだっ広くて、特に目立つものは見受けられないのですが……」


 カチン。

 ふいに私の歯が鳴った。

 カチンカチンカチンカチン。それは私が人間だったときのように、かつて背後を取られて無理矢理あやかしにうなじを噛み付かれたときのように、肌が粟立って嫌悪感が喉を通って込み上げてきた。


「……気持ち悪い」

『姫様?』

「奥に、なにかがいます」

『見せていただいてもよろしいですか?』


 私は気味の悪い方向に視線を送った。そこには、金色の光がふたつ見えた。その金色の光は、目だった。

 やがて、三つ目の光が見えてきた……それは牙だった。

 地下にどうやって治まったのかわからないものの、それは猿のような毛並みに、頭に蛇を巻き付けた……鬼のように見えた。


『……がごぜですね。姫様、刀を』

「わかっています」

『お気を付けて。がごぜは人食い鬼です』

「こいつが……紅染さんや、武官の皆さんを……」


 あれだけ生理的嫌悪感で、震えて肌が粟立っていたというのに、怒りが込み上げれば恐怖は引っ込む。

 私は刀を鞘から引き抜くと、それを構えた。足を大きく踏み出して、刀を振りかぶる。

 ブンッ……という音はたしかにがごぜの頭部を狙ったというのに、がごぜは「ケケケケ」と笑いながら私の太刀筋を読んで避けた。


「こいつは……!」

『姫様、がごぜはとにかく足が速いのです。胴より先に足を狙って動きを止めてください』

「簡単に言ってくれますねえ……!」

『あと、がごぜは人食い鬼の習性として、腹の中に食料を溜め込む性質がございます』

「それって……」


 私は刀でがごぜの辺りを狙っている中、晦は静かに告げる。


『まだがごぜの腹の中で、行方不明になった武官たちが生きている可能性があります』

「……っ! 七日かかっていますが、大丈夫なんでしょうか!?」

『わかりません。腹を掻っ捌かないことには、こちらも判別できません』

「わかりました……!」

『姫様は自分のためだけだったらあまり動けなくとも、人のためならば動ける方のようですね』


 なぜか晦にくつくつと笑われてしまったものの、私は藍姫の嘆きを思い返す。そしてお世話になった武官の詰め所の人々の憂いを帯びた顔。

 ……生きていたら御の字。せめてお墓に入れてあげたい。私はがごぜに刃を向けた。


「その首、もらい受けます……!!」


 がごぜは「ケケケケケケケケ……!」と嘲笑ったものの、だんだん目が慣れてくる。

 この視界は本来、晦から譲り受けたもの。私だけだったらまず見つけられなかったのに。本当に晦はどうなっているのかしら。

 最初は刃を難なく避けていたがごぜも、私の対応が速くなればなるほど、足がもつれて太刀筋を捌くのが下手になってきた。

 やがて、私の刃ががごぜの首に届く。

 本来、女の腕で鬼の首を刈り取るのは無理だ。でも。今の私は式神として強い力を持ち、晦により強化を施されている。私は、思いっきり腕に力を込めた。


「いいから……その首、寄越しなさい……!!」

「ゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ……!!」


 首がコロンと落ちたのと同時に、がごぜは床に倒れた。私は慌ててその腹を開きはじめた。

 お願いだから……お願いだから生きてて……!


「誰か! 誰かいませんか!?」

『姫様、あまり中の人々に期待しますな』

「だって……」

『生死のことではありません。生きている人間は、式神と話をすることも、見ることもできないという話です。姫様が死なぬよう強化の術式を組み込んではいますが、普通の人間に見えるようにまではしておりません』

「あ、ああ……!」


 常日頃から、晦としょっちゅうしゃべっていたから、あんまり認識できていなかったけれど。よくよく考えれば私のことは薄月のような腕の立つ術者でもない限りはまず見えないんだった。

 でもどうしよう。声をかけながらでなかったら、食べられた人たちが生きているのかどうかも確認取れない。


『ですが、たしかに呼び声をかけないことには、起きるものも起きないでしょうね。ちょっと待ってください。今式神の増援を送りますから』


 そう言ってしばらく晦が黙り込んだと思ったら、なにかが飛んできた。それは声を発している。


『すみません、陰陽寮から参りました陰陽師です! 誰かいませんか!?』


 その声がしばらく響き、私は必死で腹を掻っ捌いている中。腹の中からなにかが出てきた。


「うう……」

『姫様! 人がいました!』

「ど、どうしましょう。私は見えないはずなんですが」

『そちらに送りました人形を自身に貼り付けてください。それであなたのことが見えるようになるかと思います』

「は、はい……!」


 私は自身にペタンと貼り付けると、慌てて声を上げた。


「大丈夫ですか!?」

「うう……あれ? 姫様……?」


 それは私がたびたび武官の詰め所で稽古を付けてくれていた方だった。

 私はうすらとぼける。


「わ、私は、晦様の式神ですが! 皆様を助けに伺いました」

「ああ……他人の空似でしたか。申し訳ございません」

「……先程がごぜを倒したばかりですが。なにがあったのか、お話ししてもらってもよろしいでしょうか?」

「はい」


 行方不明になっていた武官たちは、全員がごぜの腹に溜め込まれていただけで、かろうじて死んではいなかった。

 皆は淡々と話をしてくれた。


「元々寝ずの番で、蔵の中を見て回っていました。ぐるりと一周してから交替という様子で、毎晩見回っています。ここにある蔵は歴史的価値はあれども、金銭価値は乏しいものですから、あまり盗人は出ませんため、そこまで荒事のない楽な仕事のはずだったんですが……」

「地下にいたがごぜに襲われたと」

「お恥ずかしながら。しかし地下にこんなあやかしがいるなんて、思いもしませんでした。助けを求めようにもあやかしの腹の中では救援を呼ぶこともできず……こうして陰陽寮の方が助けてくださらなければ、我々もあのあやかしに溶かされて終わっていたでしょう」

「まあ……ご無事でよかったです」


 私がほっと胸を撫で下ろしている中。ふいに私の喉を通って、晦が話をはじめた。


「それはなによりでした。一応。今回の件は陰陽寮というよりも、私、晦が独自判断で行ったことです。どうか武官の皆々様は、陰陽寮がやったと、口外なさりますな」

「ええ? そりゃかまいませんが。これは知られてはならないので?」

「いえ。現在陰陽寮は調査を行っているところですので。このことを知られる訳にはいかないのです」


 紅染も含めた武官たちは一斉に顔を見合わせたものの、彼は曲がりなりにも命の恩人だ。それ以上なにも聞かず「わかりました」と了承してくれた。

 それにしても。私はそのまま魂を式神から引っこ抜かれたかと思ったら、私の魂の抜けた式神はそのまんま人形へと戻ってしまった。代わりに私は晦の手の中にある人形に乗り移り、そのまんま蔵の外へと抜け出す。


「……晦、これはつまり」

「ええ。おそらくそういうことだろうとは思っていましたが。どう考えても、朝廷は黒です」

「……そうなりますよね。でも」


 状況証拠から見ても、蔵の地下に人食い鬼を飼っているなんて正気の沙汰ではないのだ。

 それでも納得がいっていないのは、お父様は本気であやかしの存在を知らないということ。でも……それならばどうして私は番の呪いにかかったんだ。

 まるで。私が呪われたという大義名分の元、神庭に追放したかったみたいじゃないか。

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