家の前からは、きゃらきゃらとした女性の声が響き渡っていた。


「今日は天気がよくてよかったわね」

「ええ。おかげで洗濯物がよく乾くから」


 その声に私は絶句した。ひとりなんてもんじゃない。たくさんの女の人が、薄月の家に住んで、洗濯物をしていたんだ。

 私が声にならない声を上げているのに、晦は相も変わらず「やっぱり」という顔をしているのが腹が立つ。


「なんですか! 貴族でも多妻性の場合は全員の面倒を見ないと駄目なのに、なんで、こんな……!」

「全員の面倒見てるでしょう。それに、彼女たちをよく見てみなさい」

「ええ……?」


 彼女たちはよくよく見たら、顔が火傷しているもの、首に包帯を巻いているもの、髪が中途半端に切られているもの……どう見ても訳ありの人ばかりだった。

 私は思わず「これはいったい……?」と声を上げると、晦は続けた。


「あくまで推測ですけど、彼女たち全員あやかしや強盗の被害者でしょう。平民は夫婦揃って働かなかったら食っていけるものではありませんし、むしろ夫がなくなったと判断したら、途端に食い物にされてしまう人たちがいます。薄月はあやかし狩りをしたその足で、彼女たちを引き取って世話していたんでしょう」

「……野菜売りさんが言っていたのって……」

「貴族であっても、多妻制の場合は、全員の面倒を見られる確約ができない限り、多妻制を認められるものではありません。なによりも多妻制は正妻の許可が必要ですから。春花国では女王の命令がなければ王族の婚姻だって認められませんし、それを反故にしたからこそ、降嫁することも許されなかったのが姫様でしょう? それは他の貴族でも同じ話です」

「あ、ああ……」


 女性にそこまで大きな権限があるなんて思いもしなかった。

 でもそこで、疑問に思う。


「だとしたら、貴族女性たちから貢いでいたものは……」

「彼女たちの生活費でしょう。あやかし狩りで民間の術士でも多少は陰陽寮から金が落ちますが、それだけではあやかしのせいで家族や職を失った女性たちを養いきれません。食事と住む場所を提供しつつ、貴族たちから仕事をもらって彼女たちにさせていたのでしょう」


 てっきり貴族女性たちを次から次へと渡り歩くひもだと思っていたのに、全く逆だったことに私はしばらく呆気に取られていたものの。

 それでも思わず突っ込みを入れる。


「でもこれって、普通にあざみ姫に失礼なのでは? 貢いでいたら、そのお金を全部彼女たちに使っていたって」

「でしょうなあ。彼もクズでひも気質なのは本当なのでしょうけど、いっぱしの罪悪感があるからこそ、そこそこ貢いでもらったら、雲隠れして次の女性の元に行っていたんでしょうし。ああ、すみません」


 晦が薄月の家でせっせと洗濯物やら繕い物をしている女性に声をかけると、途端に女性たちは全員で固まった……どうも警戒されているらしい。

 晦は「失礼します。自分は陰陽寮で働いております陰陽師です」と挨拶をすると、やっと警戒心が解けたようだ。


「それはそれは……なんの用でしょうか?」

「いえ。ここに術士の薄月さんがおられると伺いまして。お話しをしたいと思ったのですが」

「薄月様は、今晩もあやかしが出るとかで、既に張り込み出かけていますが?」

「なるほど……場所はご存じありませんか?」

「はあ……ちょうどこの筋を真っ直ぐ行った先に、廃屋がございます。そちらに出るそうで」

「ありがとうございます。夜になったらあやかしも強盗も出るでしょうし、くれぐれも戸締まりはしっかりなさってくださいね」

「いえ。こちらこそ。薄月様にもおっしゃられましたから」


 晦はそう言って、問題の廃屋へと足を向ける。それに私は困惑した顔をして晦を見ていた。


「あのう、今の話は本当に……? 廃屋でまた誰か囲ってるとか、そんなことありませんよねえ?」

「あの奥は、ちょうど紫陽花区と桔梗区の間なんですよね。だから没落した貴族邸の可能性があります」

「それだったら……」


 なんなんだよ、その薄月って人。結局いい人なのか悪い人なのかさっぱりわからない。私がムムムという顔をしているのに気付いたのか、晦はクククと笑った。


「人間、そんな白黒はっきり付けられることなんてありませんよ。それに、あやかしが出るというのは、あながち間違ってはないでしょうしなあ」

「……それは」


 そこで私は、自分の体がビクンとなにかに反応して、肌がポツポツと粟立ってきたことに気付いた。

 なに、これ……。


「なにこれ……式神になっているのに、どうして鳥肌が?」

「それは式神だからでしょう。姫様は今、私の式神として、正しくあやかしの気配を感じ取っているのですよ」

「……これが?」


 鳥肌が全身を駆け巡り、体温が下がるような気がしてくる。私の今の体は、温度を感じないはずだし、睡眠だって必要もないのに。

 まるでお父様に夜に寝かしつけられるときに、幽霊の話を聞いて、怖くてしばらく眠れなくなったみたいに、なにやら怖気を感じている。

 私がブルブルと両手で体をかき抱いて震えているのに、晦はふっと笑うと、袖から人形を取り出した。


「ところで、姫様は武官から武道を習っていたそうですが、弓と刀、どちらのほうが得意ですか?」

「……突然なんですか、いきなり」

「姫様は考えるよりも、体を動かしたほうがいいかと思いまして。式神に戦える術を与えるのは、術者として当然でしょう?」


 それに私は少しだけ驚いた顔をした。


「もしかして……あやかしと戦っていいんですか!? 皆、ちっとも戦わせてくれなかったのに……」


 習ってはいたものの、私の立場のせいか、誰もかれもが実戦はさせてくれなかった。今はそもそも体は作り物なのだから、そのまんま晦に張り付いているだけしかやれることがないと思っていたのに。

 それに晦はクスクスと笑う。


「あやかしを倒したい、自分に番の呪いをかけたあやかしの首を落としたい。そうおっしゃっていたのは姫様では?」

「ううう、そうだけど! そうなんだけど! なら、刀が欲しい! 私、弓は外すことが多かったけれど、太刀筋だけは褒められていましたから!」

「そうですか、では」


 そう言うと、人形をふわりと浮かせて、晦はなにやら唱えはじめた。途端に人形はくるくると宙を舞ったと思ったら、私の手元に降りてきて、ひと振りの刀となった。


「どうぞ、背中に佩くなり、腰に提げるなり、お好きなように」

「わ、わあ……わあ…………!」


 刀を引き抜くと、それはそれは素晴らしい流麗な刃の刀が出てきた。彼からしてみれば、式神を使えるようにしただけかもしれないけれど。私はその刀を鞘ごと抱き締めた。

 式神になっていいことなんてないと思っていたけれど、こうして刀を与えられて、実戦の機会を与えられたことが、少し嬉しい。

 私はいつか、絶対に自分に番の呪いをかけたあやかしを斬らないといけないのだから。そうしなかったら、族滅は避けられないし、お父様がこれ以上自分を責めるような真似をするかもしれないのだから。


「……晦、ありがとうございます。私に機会をくれて」

「何度も言ったでしょう。愛しておりますよ、姫様」

「……なんなんですか、心にもないことをいきなり」

「恋人の望むものをできる限り用意する、それは当然のことでは?」

「……あなたのそういう意味不明に混ぜっ返す部分は大嫌いです」


 そうこう言っている間に、廃屋が見えてきた。

 植物が生い茂り、もう傍から見たらおどろおどろしい場所にしか見えない。まだ日すら落ちてないというのに、何故かこの辺り一帯だけ薄暗いのだ。


「あやかしは通常ならば夜にならなければ沸いてこないんですがね。これだけ薄暗かったら行動することもあるでしょう。薄月に話を付けなければなりませんから。行きましょうか」

「は、はい……っ!」


 あれだけ冷たくなっていた体は、刀を握りしめた途端に平温を取り戻した。私たちは草木を踏み分けながら、廃屋へと進んでいったのだった。

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