19.「すまん、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」

謁見の間は厳かな雰囲気に包まれていた。

黒い鎧に身を包んだ護衛の兵が扉を守り、絢爛な服装を身にまとった近衛兵が壁際に並ぶ。

そして赤い絨毯の先には一段高い場所に玉座が設けられていた。

この玉座は飾り気もあまりないシンプルなものだが、所々に金銀と宝石が埋め込まれ、見る者が見ればその価値に目が眩むであろう一品であった。


「久しいな、ミラージュ……」


その玉座に座るはオルゼオン帝国皇帝オルオーン・メリカ・オルゼオン。

彼女は玉座で脚を組み、肘掛けに頬杖をついて感情を感じさせぬ瞳をミラージュとプラネに向けていた。

白と碧が混ざった長い髪を煌めかせ、その整った顔に表情は無い。まるで造りもののような造形美は見る者を圧倒する。

だが、彼女が放つオーラは凄まじく、彼女が皇帝であることを十二分に感じさせるものだった。

流石のミラージュも陛下の御前ではプラネに抱っこされてはおらず、彼女は皇帝の眼前に跪いている。

プラネもそれに倣って跪き、首を垂れていた。


「陛下に置かれましてはお変わりないご様子、恐悦至極に存じ奉ります」

「世辞はよい、お前にそんな畏まられると気味が悪くなる」


その瞬間、ミラージュはへりくだった態度を急変させ、「は~」としんどそうな息を吐くとコキコキと肩を鳴らした。


「相変わらずこの城は無駄にでっかいのぅ。歩き疲れて老衰で死ぬかと思ったわ」


皇帝に対しあまりにも不遜な態度だが、周囲の兵も、皇帝自身も何も言わない。何故ならこれは見慣れた光景であるからだ。

ミラージュは現皇帝オルオーンと幼少期からの友人であり、彼女の軽口もいつもの事なのだ。

そして同年代である皇帝オルオーンはミラージュと同じように50を超えるとは思えない見た目だ。その肌は艶とハリがあり、皺も殆ど無い。

しかしミラージュと違うのはすらりとした長身と、その巨大な胸だ……。

妖艶な色気を漂わせる妙齢の美女であるが、どこか浮世離れしているような感情の希薄さ。

その矛盾こそが皇帝オルオーンの神秘性を更に際立たせていた。


「相変わらずだなミラージュ」

「お主も相変わらずデカい乳ぶら下げおって。半分嫌味じゃろ」


そんな皇帝が唯一気兼ねなく話す事ができるのがこのミラージュであり、彼女もまた皇帝に遠慮が無い。

会話の内容は下らないのだが、その下らなさが皇帝は何故だか心地良く感じられるのだ……。


「今日はノーヴァ公爵家の当主交代の件でここに来たのだったな。何があった?何故アイリスを当主の座から退ける?」

「何があったか、じゃと?」


ミラージュの身体から怒気が溢れ出た、思わず隣にいるプラネもビクリと身体を震わせてしまう程の怒気は瞬く間に謁見の間を包み込み、その場にいる兵すらも竦みあがらせた。


「あのドアホはな、ノーヴァの金を遣い込んだ。それも800億という金をな」

「ほう……」


オルオーンが驚くのも無理は無い。その額は皇帝からしても尋常ではなく、最早国家予算すら凌駕する金額だった。

しかしオルオーンの驚きは一瞬で、すぐに目を細めて顎に手をやり思考を巡らせる。

アイリスには確か森林国調略の為の命を与えていた。200億という大金を経費として渡しエルフ共を挑発する為の計画だ。

しかし、その作戦は中止となった筈だ。アーメリアのイカれた奴等が何をとち狂ったか帝国に大軍勢を差し向けてきたからだ。

英知に富む皇帝オルオーンもその行動は読む事は出来ず、急遽森林国の件は取りやめになり神聖国との戦に専念する事となった。

故にもう金は必要ない筈だ。ならば、800億もの大金を何に使ったのだろうか。


「間違いではないのか」

「いーや、事実じゃ!クソみたいな請求書がノーヴァ家に送られてきたからの!!!このクソ紙を見た時思わず口にしてたプリンを噴き出したわい!!何じゃこの金額は、ってなぁ!!」

「相変わらず食い意地が張っているな。……しかし、ふむ」


オルオーンはそれだけ言うと何かを考え込むように顎に手をやり沈黙する。

アイリス……。帝国最強の戦士と名高い戦士は確かに考えが足りないところはあるが……決して無知蒙昧で愚鈍な人物ではない。

皇帝はアイリスの事をよく知っている。その異常な強さも、その危うさも……。

だからこそ何があれば彼女がこのような大金を浪費する事になるのだろうか、と考えてしまう。

そして暫くして考えが纏まったのか、オルオーンは顔をあげた。


「先ずは何があったか本人から話を聞いてからでも遅くはないだろう」

「いーや!絶対ろくなもんじゃない!アイツは昔からとんでもない事をやらかす女じゃった!だから今回も何かくだらん事を企んでおるに違いないのじゃ!」

「落ち着けミラージュ、何を根拠にそう言っているのだ」

「勘じゃ!!」


オルオーンは僅かに沈黙した。しかし、彼女の勘は昔から恐ろしく当たる。実の母親が言うからにはそれなりの確信があるのだろう。

それに800億を使ったのは間違いないのだ。であれば、どんな理由で使ったのかを調べておかねばならない。


「しかしミラージュよ。代わりの当主は誰とする」

「新当主には此奴を就ける。こいつは雑魚じゃが妾の言う事を聞く奴だし、あのアホよりはマシじゃろ」


オルオーンはミラージュの横にいるプラネをチラリと見た。

髪を三つ編みにし、それを頭の後ろで束ねた女性。無論、彼女の事も皇帝はよく知っている。

知ってはいるが……


「プラネを当主に?」


皇帝は思わず眉を顰めてそう言った。別にプラネの事を嫌っている訳ではない。むしろ好いていると言ってもいいくらいではある。

しかし彼女は……今しがたミラージュが言ったように戦士としては未熟そのもので、頼りない。

その分軍略に優れているかというとそんな事はなく、どちらかというと文官に向いている。

実際ノーヴァ家の政務全般を取り仕切っているのはプラネであり、その手腕は母も、皇帝も認めるところではある。


……のだが如何せん雑魚……いや、頼りない。


見た目は威厳のある騎士にしか見えないのに中身は武闘派とはかけ離れた存在だ。

プラネが悪い訳ではないが、武門の頭領的存在であるノーヴァ公爵家の当主が貧弱では配下の軍家もいい気はしないだろう。


「しかし、これから神聖国や王国との戦は激化するというのに、アイリスにその事を不満に思われでもしたら厄介ではないか」


アイリスという存在は帝国軍の中で非常に大きい。

彼女一人いるのといないのとでは士気が大きく違う。軍人の中では彼女を慕う者が大勢いるし、もしも彼女が帝国軍を抜けるなどと言ったらその損失は計り知れない。

公爵という身分のアイリスではあるが、その実態は生え抜きの軍人であり軍の中で彼女を支持する勢力はかなりの力を持っている。

当主が交代したせいでその支持基盤が崩れるような事になれば……。


「ふん。どうせ皆、妾がアイリスの背後にいる事は知っておるだろう。妾さえいれば、ノーヴァに従うだろう」

「まぁ、そうだが」


アイリスはミラージュの傀儡……。それは貴族であれば誰もが知っている事でもあり、否定しようのない事実であった。

しかし、とオルオーンは思う。


「お前が当主に戻るのは駄目なのか?」


そう、ミラージュがノーヴァ公爵に戻ればいいだけの話なのだ。ミラージュが引退などするから話がややこしくなる。

そもそもミラージュはまだまだ現役ではないか。確かに歳は重ねたが、その覇気は若い頃となんら変わりがない。

むしろ、昔より漲っているとすら感じる。だからこそ彼女が引退する必要性はないと皇帝は思っていたのだが……。


「嫌じゃ!妾は当主になんか戻りとうない!妾の夢は隠居してのんびり老後のスローライフを送る事なんじゃ!」


ミラージュは歴戦の戦士である。だが、歳を取ったのもあり彼女自身はもう血生臭い世界とは引退したいという思いが強かった。

めんどくさい事は娘共にやらせ、自分は悠々とラインフィル辺りでのんびりと豪勢な生活を送る筈だった。

……しかしいざアイリスに当主をやらせてみると、後先考えずに戦争ばっか起こすわ金遣いは荒いわでノーヴァ公爵家の評判を地に落とすような事ばかり。

スローライフどころか後始末に奔走する日々。それに何より、あのアホ娘を野放しにするのは危険だとようやく理解した。


「どうしてこんな事に……うっうっ……妾は優雅なスローライフを楽しみたかっただけなのに……」


おいおいと泣き崩れるミラージュ。皇帝と、そして無言で横に侍るプラネは彼女のめんどくさがりが招いた事だと分かりきっていたが、敢えて口には出さなかった。

この混沌とした時期に、家督の生前贈与……それもよりによってアイリスに家督を譲ったミラージュが悪い。

いや、一番悪いのはアイリスだが。


「ふむ……どうしたものか。神聖国や王国との戦争でアイリスの力は必要だが……そこまで失態を犯した者を公爵の座を与え続けるのも問題か」


皇帝は思考を巡らせ、現状を分析する。

アイリスのこれまでの数々の失態は看過できるものではない。だが、今ここで彼女を切り捨てるのも惜しいのだ。

しかし、このままにしておくとノーヴァ家の評判は更に悪化し、やがてそれが派閥にも波及するだろう。

となると、ここは一旦当主を変更させて……アイリスにはほとぼりが冷めた頃に当主に戻すという約束をするのが落とし所か……。


「しょうがないな。では、当主変更の儀を……」


オルオーンがそう言葉を紡ごうとした時である。

突然謁見の間の扉が勢い良く開かれ、憔悴した様子の官僚が駆け込んできた。


「お、恐れながら申し上げます!!」


謁見中に、それも公爵家の者達との会談中に飛び込んでくるなどと不敬極まりない。だが、その慌てぶりに尋常ではない事態を察したオルオーンは視線で先を促した。


「森林国が……レメゲスト森林国が我が国に宣戦布告を行いました!!」


その瞬間、謁見の間の空気が凍りついた。オルオーンは目を見開き、その隣にいるプラネは顔を真っ青にした。

そしてミラージュに至っては無表情で冷や汗を垂らし、まるで石化魔法を受けたかのようにピクリとも動かない。


「すまん、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」


何かの間違いだろう。そう思った皇帝は、一度聞き直したが……。


「レメゲスト森林国が我がノーヴァ帝国に宣戦布告を行いました!!エルフの女王自ら軍を率いての大軍勢です!!」


その言葉は無情にも繰り返された。というか先程よりもより深刻な言葉で返してきた。


静まり返る謁見の間。誰もが固まったように動かなくなり、先程までの喧騒が噓のように静まり返った。


「……女王自らだと?」


なんだ、この嫌な感じは。オルオーンはざわりとした嫌な感覚に襲われる。何か、とても悪い事が起きる気がする……。

オルゼオンの英知をもってしても理解出来ぬエルフの行動。まるで怒り狂った獣がなりふり構わずに爪や牙で斬り裂こうとしてくるかのような感覚。


───何故だ?


神聖国が攻めてきた今、エルフ共を挑発するのは中止にした筈だ。なのに何故、奴等は攻めてきたのだ。

今まで幾ら挑発しようとも大森林に引きこもり出てこなかったエルフ達。レメゲストの守護者を自称する彼女達は己が森の守護にその全てを費やすのだ。

それがどうして、急に動き出し……宣戦布告をした?それも女王自ら動くとは異常だ。

何か嫌な感じがする。しかし何が起きてるか分からない以上、皇帝として行動を起こすしかない。


「どれほどの規模か」

「未だ不明!しかし物見の報告によると妖精や木精霊、トロルの姿も見える事から大動員を掛けているのは間違いないとのこと!」


その言葉に謁見の間にいる者達からざわざわと動揺が漏れる。

妖精や精霊まで混ざっている?それは最早森そのものが移動しているようなものだ。大自然の怒りともいえるそれは最早大災害といってもいい。

よりにもよってこんな時期にーーー。まるでアーメリア神聖国と示し合わせたかのようなタイミングに、オルオーンは何かが起こっている事を察した。


そんな時、再び謁見の間の扉が勢いよく開かれた。


「陛下、ご報告申し上げます!」


飛び込んできたのは騎士であった。彼女は謁見の間にいる面子を見て一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに平静さを取り戻し皇帝に向かって跪く。


「何事か」

「はっ……お、王国が……ヴィンフェリア王国が……!」


王国と聞いて、オルオーンは顔を歪め、ミラージュは顔を青褪めさせた。

その場にいる者たちが、最悪の想像をしてしまう。


──王国はこの機を逃さずに帝国に攻めてくるのではないか。


そうだ、そうに違いない。王国、森林国、神聖国は示し合わせたように帝国を攻め、そして滅ぼすつもりなのだ。

幾ら強大な帝国といえど、三か国から同時に攻められて無事で済むわけがないのだから。


全員が戦々恐々とする中、だが騎士はそんな彼女らの思惑とは違う報告をした。


「王国が……いえ、王国と神聖国が、森林国の奇襲を受け甚大な被害が発生!!それぞれ都市一つが陥落したとの事です!!」
















「はっ?」


オルオーンの素っ頓狂な声が謁見の間に響き渡った。

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