17.「さぁ、エリム……伽をなさい」

マリアは全てを忘れたかった。

何故なら自分の主は馬鹿でアホで無知蒙昧で、救いようもなく役立たずで、己を地獄に落としかねない悪魔なのだから。

だから、先程メスブタ……ではなくアイリスが言った言葉……彼女の秘策とやらを聞いて、マリアは全てを諦めた。

正直今すぐにでも逃げたい……。逃げたいが、彼女の信念からかそんな事は出来そうにない。

ならばどうするか……。


「今この時だけは、全てを忘れましょう……」


マリアはエリムに向かってそう言った。だが、その言葉は自分に向けられたものでもあったのだ。

今だけは……この瞬間だけは全てを忘れて享楽に耽る事に決めたのだ。

どうせもうどうしようもない。ならばもう思い残すことはないように、今この時だけは、完全に全てを忘れよう。


「マ、マリア様……?」


エリムの困惑したような表情がマリアの瞳に写る。


「大丈夫ですよ、エリムくん。私が全て上手くやってあげますから」


細く、そして艶やかな指が、優しく、そして荒々しく肉棒を刺激していく。

エリムの背筋がゾクゾクとする。マリアの指が動く度に、身体の奥底から何か熱いモノがせり上がってくるようだ。


「様、だなんてそんな他人行儀な呼び方はやめてください。私達はこれからもっともっと仲良くなるんですから」

「マリアさん……な、なんで……?」



エリムはそんな疑問を口にした。

嫌ではない。むしろ嬉しい。絶世の美女にこうして迫られて、淫靡な事をされているのだ。嫌な訳がない。

しかし、それでも疑問に思わずにはいられない。

何故こうも自分に、という疑問が拭えない。自身の容姿が優れている事は理解しているが、それでもこれほどまでに女性が虜になるものなのか?

とてもそうは思えない。そもそも人(エルフ)の価値というのは外見だけではないだろう。


……とエリムは思っているのだが、実際エリムの容貌は世界一といっていい程に美しく整っている。

その美しく輝く金色の髪の毛も、切れ長の目も、端正な顔立ちも、一挙一動の美しい振る舞いも。

どれを取っても一級品。実際エリムが歩いていればすれ違った女性は十人中十人が振り返る。


しかしエリムが思う通りに人というのは外見が全てではない。

……ないのだが、幸か不幸かエリムという青年は中身もまたこの世界の女性に取って素晴らしく、魅力的なのだ。

女性を恐れず、それどころか好いている節すらある。そして、このような事にも結構乗り気である。

女の理想がそのまま飛び出してきたような、都合のいい男……それがエリムという男性であった。


エリムは自身の価値に未だ気付いていないのだ……。


「本当は、エリムくんの初めても欲しいけれど……」


マリアはチラリとアイリスの方を見やる。

浴場の片隅で大股開きをし、カエルのようにイキ顔を晒しているアイリスはピクピクと痙攣していて、その意識はとっくにトンでしまっているようだ。

なんと無様な姿であろうか。あの卑猥で無様な物体が自らの主だと思うと、マリアは吐き気がする思いだった。

今の内にぶっ殺したい気持ちがふつふつと湧くが、今はアレを視界に入れるのも腹立たしいのでさっさと忘れることにする。

というか殺したくても殺せない。あの女は人類では殺せない、なにか別の生き物だ……。


「一応、私も主への敬愛の念はあるのです。だから、エリムくんの初めてはあそこで寝転がってるカエルみたいな女に差し上げるしかありません」

「でも、こっちの初めては……私が貰ってもいいですよね」

「え?……んむぅっ……!?」


その瞬間、エリムの唇が塞がれた。

マリアのふっくらとした唇の感触。柔らかく、そして熱い……。


「んちゅ♡ んぅ……エリムくん♡ ちゅっ、ちゅっ……」


普段の優しいマリアとは違い、貪るような激しい接吻だった。舌を絡め、吸い付き、唾液を交換するような情熱的な口づけ。

彼女の美しい顔が、長いまつ毛が、金色の髪の毛が目と鼻の先にある。マリアの体温を全身に感じる。その香りは甘く、脳を溶かされそうだ。


「ぷはぁ……マリアさん……」

「ふふ……エリムくんの顔、蕩けちゃってますよ」


もっとしたいですと、マリアはエリムに言うと再び唇を近づける。

今度は彼の方から舌を絡ませた。彼女の口内に侵入して舌同士を絡めあう。互いに求めあうように、より激しく、より淫らなキスへと変わる。


まるで一つに溶け合いそうな程の熱い接吻。

しかしマリアは唐突にエリムから唇を離すと、彼の耳元に顔を寄せて囁いた。


「本当の初めてはアイリス様のものだけど……お口の初めては、私のものですね」


にこりと微笑むマリア。その笑顔は見惚れるような美しさで、まるで天使のようだった。


マリアの舌がエリムの口の中でうごめく。まるで蛇のようにうねる彼女の舌。エリムはそれを拒絶する事なく、ただ彼女に身を任せ続けた。

そうして二人は快楽を貪るように貪り合い、それはアイリスが「ん゛あ゛あ゛……?」と潰れたカエルのような呻き声を出して復活するまで続いたのであった。




♢   ♢   ♢




「……」



エリムはアイリスの部屋の大きなベッドの上で、一人ポケーっとしていた。

マリアとアイリスの二人と共にお風呂に入り、アイリスに愛撫をして……そしてマリアとキスをして……

最早何をしているのか、どうしてこうなったのかすら覚えていない。

覚えているのは、アイリスの美しい肢体を堪能し、マリアに何度もキスされたこと……。

未だに夢見心地にいるエリムだが、ふとマリアの言葉が脳裏に浮かぶ。


──ちゃんとお仕事をこなしてくださったのですから責める事など致しません。



仕事。そう、確かに仕事と言った。

仕事とは一体なんだ?奴隷の仕事とは……彼女達が自分に求めている事は……。

エリムは風呂で体験した情事を思い出す。あれは……奉仕であった。

男が女に奉仕するという違和感はあるが、確かにあれは性の奉仕だった。

つまり彼女達はエリムに欲望の処理を求めていたという事か? それが奴隷の仕事なのか……?



「……奴隷」



エリムがぽつりと呟くように言った。

そうだ、そうなんだ。この世界は男女の役割が逆転した世界。だからこそ、男が女に奉仕するのだ。


エリムがようやくその事を理解した瞬間である。

不意に部屋の扉が開かれた。エリムがその方向を見ると、そこには……



「エリム……♡」



スケスケのネグリジェを纏ったアイリスが、立っていた。彼女はケダモノだ。淫靡で、そして卑猥なケダモノ。だがエリムもまた、彼女と同じなのだ。

アイリスの肢体を見て興奮が収まらない。胸の動悸が収まらない。

アイリスはフラフラとした足取りでエリムに近付き、そして……


はらり、と彼女の纏う煌びやかなネグリジェがはだけ、床の上に舞い落ちた。

その下にあったのは雪のように真っ白な肌。まるで陶磁器のような滑らかさで、美しい曲線を描いている。


エリムはゴクリ、と無意識に唾を飲み込む。



「さぁ、エリム……伽をなさい」



アイリスの情欲に塗れた声が二人だけの部屋に響き渡った。




♢   ♢   ♢




「……」



情欲に塗れた行為を繰り広げる二人を、扉の鍵穴から覗く人物がいた。


──ノーヴァ公爵家のメイド、マリアである。


彼女は目を細めて二人の交尾をジッと観察していた。


「……全くもう、処女と童貞の癖に激しくしちゃって……」


ふぅ、と溜め息を漏らすマリア。彼女は無表情を装いながら、自分の下腹部を優しく撫でる。


「イチャラブしてる場合じゃないというのに……お屋形様はエリムくんが好きすぎるんですよね」


彼女はそう言うと、キリッとした表情を浮かべこれからの事について思考を巡らせていた。


ノーヴァ公爵家に800億の借金……。いや、帝国の森林国調略も無に帰した今、事前経費として皇帝から頂戴していた200億は返還する必要がある。

つまりアイリスは1000億を用意しなければならないのだ。そんな大金、一人の人間が用意できる訳がない……。

しかも……しかもだ。森林国を刺激するなとの勅命が下ったのにも関わらず、エリムという青年のエルフの奴隷を入手してしまった事は大問題だ。

どう考えてもこれは不味い。完全に森林国に喧嘩を売っているではないか。


「(いやでも……たかが一人の男性エルフの為だけに、戦争を仕掛けてくるなどありえるのだろうか……?)」


そうだ。エリムはそれはもう美しいエルフではあるが、所詮はただのエルフ。

彼が貴族やらの立場ならば話は変わるだろうが、それでも所詮は彼の家が単独で取り返しにくるくらいの規模だろう。

まぁ、王子だったら全面戦争以外ありえないのだろうがそんな事は無いだろう。エルフの、それも男の王族がラインフィルのオークションに出されるなんて、そんな偶然はありえない


彼とはまだまともに話をしていない為、エリムが何者なのかは分からない。その内に聞いてみようとも思うがまぁ焦る必要はないだろう。

それよりも今は公爵家と帝国への対応だ……。


「……」


不意にマリアの脳裏に、アイリスが言っていた言葉が思い浮かぶ。


『私の策がなった暁には、公爵家も……いや、帝国ですら、王国も、森林国ですら私とエリムのイチャラブ生活を邪魔する事は出来なくなる……!』


アイリスの言う秘策。マリアはそれを聞いた。聞いてしまった。

元々稚拙な考えしか浮かばない完全なるアホの子であるアイリスであるが、その策は違った。

いや、稚拙ではある。あるのだが……彼女の言う策とやらは……あまりにも現実離れしすぎて、そして……


「狂ってる……」


そう、狂っている。正気の沙汰とは思えぬそのアイデアにマリアは開いた口が塞がらず、思考を放棄しそうになってしまった。

だがアイリスはそんな狂気の考えを本気で言っている。本気で、それが出来ると思っているのだ。


「はぁ……しょうがないけど……。エリムくんと私の安全だけは確保しとかなきゃ」


マリアはいざという時にはエリムを攫って二人で何処か遠くに逃避行しようと心に決め、その場から立ち去る。

屋敷にはアイリスとエリムの嬌声が響き渡っていた。

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