10.「ブフッ……プークスクス……」

検問所があった大きな門を通り過ぎると、そこは別世界であった。

今まで見てきた街並みも整然と建物が立ち並ぶ美しい光景であったが、門の中の貴族街は更にエリムの予想の遥か上であった。

貴族街は道や建物に彫刻が施され、街そのものが一つの芸術作品となっているようだ。

そして、建物の一つ一つが個性を主張し、街を行く人々の装いも煌びやかである。


「わぁ……」


思わず感嘆の息が漏れてしまうエリム。馬車の窓から身を乗り出し、美しい街並みを食い入るように見つめている。

奇妙……というのももう慣れたのだが、勿論街行く人々も女性ばかりである。しかも皆瀟洒な装いに身を包む、エリムから見ればとてつもなく高貴な身分の女性ばかり。

そして、女性の容姿も美しすぎた。

この国にきてから出会った人々は皆美しく、気品と育ちの良さを感じさせる出で立ちであった。しかし、ここにいる女性はもっと何かが違うのだ。

目鼻立ちが整っているのは勿論、スタイルも抜群で、何というかオーラがすごい。


「(なんか……圧倒されちゃうなあ……)」


エリムは彼女達の美しさに見入っていたのだが、同じように馬車から身を乗り出すエリムを見て、貴族街を行く女性達もエリムを見て目を大きく見開いていた。


「……!?」


高貴そうな服に身を包んだ貴婦人も、伯爵位を賜る大国の女伯爵も、子連れの未亡人も、皆一様に驚きに目を見開く。

皆エリムの可憐な姿に目を奪われ、驚きを隠せなかった。

普通、男というのは概して外で姿を見せるのを嫌う。何故なら女達の欲望に塗れた目で舐め回すように見つめられるからだ。

女と比べ男という存在は力が弱く、それ故に権利も制限される。それはこの世界の常識であった。

身分の低い男は女達に乱暴をされても文句は言えず泣き寝入り……。身分の高い男でも、護衛を付けなければ気軽に外に出れないという男にとって過酷な世界。

だからこそ男は外を嫌い、極力血の繋がった女以外と接しないようにするのだ。


だが、エリムは違った。


堂々と自分の美しさを見せつけるように、窓に肘をつき街行く女性達に微笑んでいたのである。

しかも、貴族街の女達はそんなエリムの微笑みに頬を赤らめ視線をそらしていた。彼女達は皆貴族の子女であり、高貴な身分の女性達だ。

そんな彼女達でもエリムの前ではただの娘となってしまうのだ。


「な、なにあの男の子……?私に微笑んでくれてる……?」

「可愛い……なんて可憐なの……お人形さんみたい……」

「すごい美少年よね……。ああ、あの柔らかそうなほっぺたをつねってあげたいわ……」

「……ゴクリ」


馬車の外が騒然としている中、エリムはそんなことなどつゆ知らず貴族街を見学していた。

まるでゲームに出てくるような造りの邸宅や、整備された花壇に咲き乱れる花々。エリムの心は未知の世界への冒険と興奮で高まっていた。

しかしそんな時である。馬車からその姿を露わにするエリムに対し、不意に黄金の甲冑を着た騎士が彼の視界を遮るようにしてずいッと身を乗り出し、そして言った。


「あまり御身の姿を晒されないように。危険であります故……」


騎士の言葉にエリムは首を傾げた。

危険?何が危険なんだろうか?馬車の窓から落ちる事を言っているのだろうか?

エリムには騎士の言う事がよく分からなかったが、とりあえず彼女(声からして多分……)の言う事に従い馬車の奥へとすごすごと戻って行った。


「あぁ、見えなくなってしまいましたわ……」

「残念ですの……」


それを見て道行く貴婦人達は皆一様に落胆の声を漏らした。せっかくの美少年を見る機会だったのに……と。

護衛の騎士に文句を言おうにも、このラインフィルの地で黄金騎士に盾突く間抜けはここにはいない。

しかも馬車に彫ってある貴族紋は帝国のノーヴァ公爵家の紋章……。あの『ノーヴァ』である。

この貴族街にいる者達は皆知っている。オルゼオン帝国のノーヴァ公爵家の恐ろしさを。


──ノーヴァ公爵家。


帝国にノーヴァありと謳わしめる名家中の名家である。

その歴史は長く、建国時から帝国の軍部の実権を握り続けてきた武闘派の急先鋒である。帝国民はこの公爵家を心から崇拝し、畏れている。

そして現当主であるアイリス・ノーヴァの武勇は帝国のみならず大陸全土に響き渡っていた。


曰く、帝国の武の象徴。

曰く、巨人族すら絞め殺す英雄

曰く、一騎当千の鬼神


それが『鉄処女』アイリス・ノーヴァ公爵閣下と。武人であれば誰もが彼女に憧れを抱く。そして、恐れ慄くのだ。

そんなノーヴァ公爵家の刻印が刻まれた馬車に何か近寄る事などできる筈もなかった。

高貴な身分の、そして聡明な貴族街に住む貴族の女性達は至高の美が詰まった馬車をただ見送るしかなかった。




♢   ♢   ♢




貴族街に入って数十分ほど経過した頃。とある門の前で馬車が止まった。

エリムがちらりと外の様子を伺うとそこには優雅な門構えの建物が建っており、エリムはどうやら目的地についたらしいと察した。

そして間を置かずにガチャリと馬車の扉が開き、外から燕尾服を着た美しい女性が手を差し伸べてきた。


「エリム様、ノーヴァ公爵家別邸に到着致しました」


女性はにこりと微笑みながらエリムをエスコートしている。

エリムはおずおずと女性の手を取り、馬車から降りる。すると、門の奥には豪華絢爛という言葉が相応しい美しい庭園が広がっていた。


「うわぁ……!!」


エリムは思わず感嘆の息を漏らした。

煌びやかな噴水に、色とりどりの花壇には見たこともない花々が咲き誇り、その中央にある広い庭園の奥には貴族街のどの建物よりも荘厳な屋敷が建っている。

まるで城のような大きさと美しさに、エリムの胸の鼓動は高鳴りを抑えられない。


「す、すごい……」


エリムが目を輝かせながら門の奥を見ていると、ふと横から視線を感じそちらを振り向いた。

するとそこには、燕尾服の女性が自分を見て微笑んでいる。

……とても綺麗な女性だ。燕尾服を着て、長い黒髪を後ろで纏めている姿は様になっている。

しかし、この女性……何処かで見たような?エリムは記憶の中にこの女性の面影があるような気がした。


「えっと……貴女は……」


エリムがそう言うと、女性はクスリと笑って、口を開いた。


「おや、私の事をお忘れで?オークションでキミの値段を引き上げてあげたのに……ふふっ」


オークション?

エリムが首を傾げていると彼女は何処からかシルクハットと仮面を取り出し身に着け、ステッキをくるくると器用に回し始めた。

その姿を見て、エリムは「あっ!」と声を上げた。


「司会者のお姉さん……?」


そうだ。この女性はあのオークション会場で司会者を務めていた女性ではないか。

仮面を外していて印象が変わって気が付かなかった。


「ようやく気付いてくれましたか。では改めまして私は謎の司会進行役のロゼッタと申します。以後よろしくお願いします、エリム様」


そう言いロゼッタと名乗る女性は優雅に一礼した。妙に様になるその動作はどことなく上品で、気品を感じさせる。

思わずその姿に見とれてしまうエリムだったが、それと同時に怪しさも感じさせる。

謎の司会進行役と自ら名乗る辺りが怪しさ満点だ。……いや、自分で名乗ってるから逆に怪しくないのか?

エリムはなんだか混乱してきたが、よく考えたら別にどうでもいい事なので考えないようにした。


エリムは差し出された手を両手で包むように握り返し満面の笑みで挨拶を返した。


「よろしくお願いします、ロゼッタ様」


だがその瞬間、ロゼッタは目を細めピタリと身体を硬直させた。

そして彼女は握り返された手とエリムの顔を交互に見て、キョトンとした表情を浮かべる。

そんな彼女の反応を見たエリムは不思議そうに首を傾げた。


「あの、どうかしました?」

「あぁ……いえ、何でもありませんよ。ふふっ……。それじゃあ早速ノーヴァ公の元へと参りましょうか」


何故か楽しげな笑みを浮かべてその問いをはぐらかすと、エリムの手を引いて歩み出す。

途中、彼女はエリムにある助言をしてくれた。


「あぁ、そうだ。さっきの両手で相手の手を包み込む握手……あれ、みんなにやってあげるといいですよ」

「え?」

「エルフであるエリム様は存じていないのかもしれませんが……。あれはね、相手に最大限の敬意を示す特別な行為なんです。公爵様もきっと喜びますよ……」

「そうなんですか?」


なんと……。よく分からずにやってしまったのだが、まさかそれが敬意を示す特別な行為だったとは。

やはり人間とエルフの間では文化的な違いがあるらしい。

エリムは元王族だが、別段自分が偉いとは思っていない。なので奴隷という身分になっても何とも思わないし、そもそも奴隷であるという意識が薄かった。

何故なら自分と接する時は皆壊れ物を扱うように丁寧に接してくれるし、なんなら初対面の人物から腹パンを食らったエルフの国より扱いがいいかもしれない。

しかし、上下関係は大切だろう。あくまで奴隷という事は理解しているし、だからこそ敬意を示すのは重要だ。


「ありがとうございます、ロゼッタ様。是非、公爵様にそうご挨拶してみます」


そんなエリムの様子を見てロゼッタさんはうんうんと満足気に頷いていた。


「では、行きましょうか。では、門を開けて貰って…ってあれ?開いてますねぇ。人もいないのに。まぁいいか、ここからは歩きで御座います、エリム様」


ロゼッタに連れられ、エリムは大きな門をくぐり抜ける。

するとそこには美しい庭園が広がっていた。門の外からも見えたが、中に入ると余計に美しさを感じられる。

手入れがしっかりとされているようで花壇には色とりどりの花が咲き誇り、まるで絵本に出てくるような美しい光景だった。


「流石帝国の公爵様ですねぇ。別荘ですら外観を整えてるとは」

「え?このお屋敷は別荘なんですか?」


別荘でこの威容。エリムは訳が分からないといったように目を見開く。

彼は前世の記憶も持っているが、その記憶込みでもこんな豪華な邸宅見た事がない。しかもここは別荘……。

本宅はどのような規模の屋敷なのだ?いや、本当にお城に住んでいるのかもしれない。公爵だし……。

エリムは自らを買った人物の凄さに今更ながら気付き、そして慄いた。


「ノーヴァ公爵家……。オルゼオン帝国の北方一帯を治めるお貴族様ですね。ノーヴァ家は軍に強い影響力を持つお家柄で、現当主であるアイリス・ノーヴァ様も帝国軍の大将を御勤めになられています。なんでもアイリス様は帝国最強の戦士と呼ばれてるとかなんとか…」

「て、帝国最強の戦士……?」


エリムは思わず聞き返してしまった。

あんな華奢で、そして繊細なガラス細工のような美しさを持つ絶世の美女が帝国最強の戦士?

オークション会場で見た彼女の姿は女神といっていい程に美しかったが、最強と言われるとどうにも想像がつかない。

……しかし、ここは異世界だ。母であるプリムラも魔法のようなものを使っていたし、自分の価値観に縛られていてはダメだろう。

もしかしたら彼女は凄腕の魔法使いなのかもしれない。あんな可憐な人が肉弾戦で戦う訳がないし、そうに違いない……。


前世の価値観に縛られているエリムはそう結論付けた。


後に、それが完全に間違っている事を知るのだが、今は関係のない話である……。


「到着致しました、エリム様」


エリムが知的に魔法を発動しているアイリスの姿を脳内に浮かべていると、いつの間にか目的の場所へと着いたようだ。

邸宅の玄関口……。そこにある扉もこれまた豪華なもので、金で出来た獅子の顔が扉の取っ手に取り付けられている。

まるで漫画みたいだ、とエリムは思った。


「妙だな……こういう時は使用人が迎える手筈なのが普通なのに、誰もいない……?」


隣にいたロゼッタが訝しげな表情を浮かべながら呟いたその時であった。

不意にガチャリと重い音を立てて扉が開いた。そして中から一人のメイド服姿の女性が現れた。

エリムと同じ金髪碧眼を持つ美しい女性だ。西洋絵画から飛び出してきたかのような美しさを持つ彼女はロゼッタとエリムの姿を見ると、ふわりと微笑んだ。

その笑顔を見て、エリムの鼓動が早鐘のように鳴り始める。


──本物のメイドさんだ。アニメや漫画でしか見た事のない、本物のメイドさんが今目の前に存在している……!

しかもとても美しい、まさにザ・メイドといった女性だ。可憐で瀟洒な雰囲気を漂わせている彼女は、エリムを捉えると微笑を浮かべながら口を開いた。


「ようこそおいで下さいました、エリム様。主より貴方をお迎えするよう仰せつかりました、マリアと申します」


鈴のような声とはこういう声の事を指すのだろうか?凛とした透き通る声がエリムの耳に届いた。

彼女の声には不思議と人を安心させるような何かを感じる。聞いているだけで、なんだか心地よい気分にさせられるのだ。

スカートの裾を摘まんでお上品に一礼するマリアと名乗ったメイドさんの洗練された動作に、エリムは目を奪われてしまった。


「エリム様、先程のご挨拶を。ほら、敬意を表す握手……」


感動に打ち震えるエリムであったが、ロゼッタがエリムにボソボソと耳打ちをした。

そうだ、敬意を示す挨拶をしなければ。ついつい忘れそうになるが、自分はあくまで奴隷なのだ。

エリムはコホンと咳払いをすると、マリアに向かってゆっくりと腰を折り、手を胸に当てて頭を垂れた。


「お初にお目に掛かります、マリア様。エリム・アルディハウルと申します」


エリムはエルフの国の王族として産まれたが、ほぼ城の居住区から出た事がない。

しかし、貴族としての教養は教師や彼の姉弟である人物からしっかりと叩きこまれており、優雅に、そして気高い挨拶をマリアに向けて行うことが出来た。

ただでさえ女性を魅了するエリムの外見だが、流れるようなその所作はまさに王族の品格を備えており、思わずマリアがほうと感嘆の声を漏らす。

そして、エリムは間髪入れずに両手でマリアの手を包み込み、ぎゅっと握りしめた。

その瞬間ビクンとマリアの身体が跳ねるが、エリムは続けて言った。


「奴隷の身では御座いますが、宜しくお願い致します。マリア様……」


シーン……と、辺りが静寂に包まれる。

あれ?と不思議気に思いエリムが顔を上げると、そこには頰を赤く染め上げながら硬直するマリアの姿があった。


「あの……マリア様?」


エリムが不思議そうに問い掛けると、彼女はワナワナと震えだし、極限まで目を見開いて自分を見つめているではないか。

おかしい、なんだこの反応は?敬意を伝える挨拶で、何故こんな反応をされるのかが分からない。

まるで何か信じられないものを見たかのような、聞いたかのような反応だ。


「ブフッ……プークスクス……」


静寂に紛れて後ろから……ロゼッタが何やら笑いを堪えている声が聞こえてきた。

その声にエリムはハッとした。もしかして、挨拶を何か間違えたのだろうか……?


エリムが不安そうな顔でロゼットに尋ねようとした、その瞬間……

ギリリ、と万力の力を込めてマリアがエリムの手を握り返す。


「そ、そんな……私達まだ会って間もないのに……いいえ、これもきっと運命よね……うん」

「?」


何やら小声でぶつぶつと呟いていたマリアだったが、意を決したように顔を上げると、エリムの手をぎゅっと握りしめ、そして叫ぶように言った。


「分かりました!!さぁ、エリム様……子作り致しましょう!!」











「は?」


エリムの脳内が真っ白になった。

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