3.「このように、彼はとても従順で可愛らしい子なのです」
微睡みの中、エリムは目を覚ました。
ガヤガヤと騒がしい音が耳に届く。
エリムはぼんやりする思考の中、自分が今どこにいるのかを考えていた。
はて、自分は何をしていたのだったか。確か母との謁見(?)を済ませた後、部屋に戻ろうとして誰かに会ったような……?
エリムはそんな事を考えながらゆっくりと瞼をひらく。
「ん……んん?」
そうして彼の視界に入ってきたのは暗闇……の奥に蠢く人の群れ。
なんだ?と思いエリムがポカンとしていると、不意に自身にスポットライトのような強い光が当てられた。
「わっ!?」
突然の光に手で光を遮ろうとするエリム。そして光に慣れてきた目が映し出した光景を見て、エリムは思わず声を上げた。
「な……!?」
その視界の先には数多くの女性達の姿があったからだ。皆一様に着飾り、煌びやかなドレスを身に纏っている。
だがそんな華やかな彼女達は何故か顔を赤らめて鼻息荒くこちらを見つめていた。
「(な、なにこれ!?)」
思わずエリムが後ずさりすると、背中に何かが当たる感触があった。
見るとそこには壁があった。その壁に身を預けるようにしてエリムは座り込んでいたのだ。
そして自分の下にはふわふわのクッションが敷いてある。
「ここは……?」
エリムが上を見上げると、天井は遥か彼方に高く、そしてキラキラと装飾に彩られていた。
ドーム状の建物に、まるでコンサート会場を思わせるような作りだ。
周りにいる女性達はエリムを中心に取り囲むようにして立っている。彼女達が着飾るドレスや化粧も、まるでコンサートに訪れに来たかのようである。
そしてエリムがいるのはまるでステージを思わせる壇上……。一体何が何やら分からない。
混乱するエリムだったが、ふと自分の傍に何者かが立っている事に気が付いた。
視線を上げ……その人物を見てエリムは目を見開く。
人物……女性はタキシード姿にシルクハットを被り、そして顔には仮面を着用していた。
明らかに普通の出で立ちではない彼女にエリムはたじろぎ、何も言えないでいた。
エリムの視線に気付いたのか、仮面の女はフフッと笑みを漏らす。
そしてエリムを一瞥するとステージを囲う大勢の女性達に向かって大声で話し掛けた。
「皆々様、大変お待たせ致しました!本日の目玉商品が満を持して登場です!」
仮面の女がそう言うと、女性達がワーッと歓声を上げる。
その熱に浮かされたかのような盛り上がりにエリムはビクリと肩を震わせた。
そしてそんな熱気に包まれた中で女は言葉を紡いでいく。
「ご覧下さい!この愛らしい顔をした、この青年の姿を!!まるで天使のような可愛らしさではありませんか!?」
そう言って仮面の女はエリムを指差した。女性達はキャーキャーと騒ぎながら熱気を高めていく。
さながらアイドルのコンサートのようなその光景に、エリムは顔を引きつらせていた。
「(な、何が……?)」
状況が飲み込めないエリムは仮面の女の言葉を聞き、女性達の熱に浮かされたような表情を見て、彼女の言葉を一つ一つ理解していく。
「(目玉商品……?)」
そしてその言葉を理解し始めたその時……仮面の女と目が合う。
そして彼女はニヤリと笑うと、クルンとステッキを回し口を開いた。
「さぁさぁさぁ!!皆様!!森林国の、エルフ族の至宝である男エルフ!!まさに美の頂点とも言えるこの奴隷の名は『エリム』!!10億からのスタートとなります!!」
ポカンと、エリムの口が開かれた。
♢ ♢ ♢
「なんという…美しさじゃ」
ヴィンフェリア王国の南部に広大な領地を持つ大貴族、ファルツレイン侯爵はステージ上にいるエルフの美少年を見て、そう呟いた。
美の侯爵と呼ばれる華麗なる貴婦人は、今目の前にある奇跡を目の当たりにして言葉を失っていた。
彼女は思う。あれは本当に生き物なのか、と。まるで造り物のような完璧な造形。あれは幻や人形ではないのか。そんな疑問すら浮かんでくる。
それほどまでに、彼の容姿は整っていたのだ。
金色の髪は艶があり、絹糸のように滑らかだ。瞳の色は深みのある青で、神秘的な輝きを放っている。肌は白く透き通っていて、触れれば壊れてしまいそうな繊細さがあった。
身長も低く華奢な体つきだが、それが逆に愛らしさを引き立てている。
そして何より、彼はとても美しい笑顔を浮かべていた。
その表情がまた、見る者の心を虜にする。
あのエルフに比べたら先程落札した美少年も霞んでしまうだろう。
「なんたる美貌。まさかこの目でエルフの男児を見る事が出来るとはな…。あの子は間違いなく、この世の者とは思えない程の美しさを持っておる」
エルフという種族の男性はあまりの美貌を持つ為、大昔から権力者たちの間で高値で取引されてきた。
エルフの男を娶りたがっている者は数知れず。しかし、彼らは決して表に出ることはない。
理由は単純だ。エルフの男はエルフの女によって厳重に保護されて育てられているからである。
エルフの男を手に入れることは至難の業であり、エルフの怒りを買うというリスクまで伴う危険な行為である。その筈なのだ。
そんな存在が何故このオークションに?いや、それ以前にどうやって連れてきた?そんな疑問がファルツレイン侯爵の頭の中でぐるぐると回る。
だがそんな疑問はステージの真ん中で顔を赤らめながら俯いているエルフの少年を見たら、全て吹き飛んでしまった。
「欲しい…妾はあの子が欲しい…!」
美しい。ただひたすらに美しい。エルフの男にはこんなにも人を魅了する力があるのか。
彼女は思った。あんな美しいエルフの男が手に入るのならば、どんな危険も厭わないと。
そんな彼女の決意に水を差すように、進行役の女が大袈裟な身振り手振りを伴って口を開く。
「それでは早速入札に移りましょう……と、言いたいところなのですがこの商品については幾つか注意事項がございます。まず一つ目に、彼を所有している時点で森林国の怒りの矛先は所有者様に向けられるという事をご理解ください。エルフの軍勢が領地に侵攻してきたら困る…といった方は入札をお控えになった方が宜しいかと」
司会のその言葉に会場がざわつく。しかし、それも仕方のない事だ。
何せエルフは同種族の男を国宝と明言しており、国を挙げて大事に育て上げている。
そんな彼女らが、エルフの男性を人間如きが所有しているという事実を知った時、怒り狂う事は想像に容易い。
そうでなくともエルフの女というのは元々争いを厭わぬ性質を持っている。
故に、エルフの男の所有権を巡って起こる戦争というのも珍しくはないのだ。
そして、その戦争で国が滅んだという話もよく聞く話であった。
「ふんっ。エルフの軍勢なにするものぞ。我がヴィンフェリア王国軍であればエルフの軍など蹴散らしてくれるわ」
ファルツレイン侯爵は鼻息荒くしてそう言った。事実としてヴィンフェリア王国の南部を掌握するファルツレイン家は、ヴィンフェリアの軍事を一手に担う軍家の頭領であった。
大陸に名を響かせる大国、ヴィンフェリア王国であればエルフの軍勢とも互角に戦えるだろう。
「二つ目ですが……このエルフの男の子には奴隷紋がありません。エルフの男は通常のエルフよりも魔力が膨大で、人間の魔力では隷属魔法を掛けれないのです」
勇ましいファルツレイン侯爵ではあったが、今の発言には流石に眉を寄せた。
「隷属の呪印が無いだと?」
通常、奴隷には隷属の魔法が掛けられている。これは奴隷の反乱を防ぐ為であり、主人の命令に逆らえなくする効果がある。
しかし、エルフの場合は話が別だ。エルフは魔力量が桁外れに多い。その為、通常の魔術師程度の魔力量ではエルフに隷従させることは出来ないのだ。
つまり、エルフの男の子を完全な隷属状態にする事は不可能に近いのだ。
「そして三つ目。たった今申し上げたようにエルフの男は膨大な魔力を持っています。この子とてまだ少年とは言え男は男。強大な魔法で今この会場にいる皆様を一瞬にして焼き尽くす事が出来るでしょう」
司会の女の言葉に、会場にいる全員の動きがピタリと止まった。ファルツレイン侯爵も動きを止めた。
エルフの魔法…。人間の使うそれとは一線を画した、真なる奇跡である。
そんなものが自分達に向けば、どうなるかは火を見るより明らかだった。
そんな物騒な存在が隷属魔法無しに、目の前で鎮座しているのだ。勇猛果敢たる美侯爵、ファルツレイン侯ですら冷や汗をかいて無言で後退った。
この地には古代文明の守護者がいるが…。アレは原因究明などせずに争いがあれば辺りをただ更地にする災害のようなものだ。そんな物には頼れるはずもなし…。
静寂が支配したオークション会場であったが、司会の女は和かに笑って言葉を続けた。
「ですが皆様!ご安心下さい!このエルフの少年はなんと女性に…延いては人間に敵意を持っておりません!その証拠に…」
そう言いながら司会がエルフの少年の頭へと手を乗せる。
それを見て思わず誰かがあっ、と声を漏らした。何故ならば、男にとって女に頭を撫でられるというのは恐怖でしかないからだ。
この世界の男性は、女性に性的に搾取されてきた歴史がある。大昔から男は女の道具であり、性欲を満たすだけの存在であった。
故に遺伝子に女に触れられたくないと刻み込まれているのだ。余程慣れ親しみ、信頼している相手でないと錯乱してしまう程に。
だが、エルフの少年は違った。彼は顔を赤らめながら恥ずかしそうにしているものの、嫌がっている様子は無い。
むしろ、嬉しそうに頬を緩ませていた。
司会者は、まるで幼子をあやすように優しく彼の髪を弄ぶ。すると少年は気持ち良さそうに目を細めた。
その姿を見た観客たちは、ほぅ……と溜息をつく。先程の緊張感とは打って変わって、今度は甘い空気が場を支配した。
「このように、彼はとても従順で可愛らしい子なのです」
そう言って、エルフの少年の髪から手を離すと、司会の女は再び会場の客の方へ向き直って言葉を紡いだ。
「人間の男ですら、女にこうも警戒心が無いという事は有り得ません。しかし、この子は違います!今まで外界に一切触れず育ってきた為か、はたまたエルフの男とはこういうものなのかは分かりませんが、彼は女に対する嫌悪感が全く無いのです!」
その言葉を聞いて、ファルツレイン侯爵はゴクリと唾を飲み込んだ。
女に対する嫌悪感が無い…?そんな都合の良い男、本当に存在していたのか。
彼女は屋敷に美少年の奴隷を何人も侍らせている。だがその奴隷達がファルツレイン侯を見る目は恐怖と侮蔑で彩られているのだ。
金や権力で縛り付けて無理やり言う事を聞かせているとは言え、その視線には確かな拒絶の意思があった。それが当たり前なのだと思っていた。
しかし、壇上のエルフの少年からはそういった感情が感じられない。
それはつまり、彼が本心から女に好意を抱いている可能性があるという事だ。
「(まさかそんな男が実在するなんて……)」
ファルツレイン侯爵は、信じられないといった表情を浮かべてエルフの少年を見つめた。
エルフの少年は、その視線を受けて照れ臭そうに微笑んだ。
「……っ」
その笑顔に、ファルツレイン侯爵の心臓がドクンッと跳ね上がる。
なんだこの感覚は…?
歴戦練磨のファルツレイン家の当主がまるで初恋をした乙女のように胸を高鳴らせた。
そして彼女の頭の中では、ある妄想が繰り広げられた。
『イライザ様…♡しゅきぃ…♡』
『妾もじゃ、エリム…♡』
エルフの少年と自分のキスシーン。それだけで、もう既にファルツレイン侯の股間は濡れ始めていた。
ちなみにイライザとはファルツレイン侯の名前である…。
「(欲しい…あの子が……!!)」
そんな欲望が沸々と湧いてきた。エルフの少年を我が物にしたい。そんな想いが溢れてくる。
もう30代後半の彼女だったが、女としての本能を剥き出しにして、ファルツレイン候はエルフの少年を熱く見つめる。
あぁ、なんと美しいのだ。しかもあの存在は、女を、自分を、真に愛してくれるかもしれないというのだ。
ファルツレイン侯爵は、完全にエルフの少年に夢中になっていた。
彼女だけではない。会場にいる女性達は皆、エルフの少年に釘付けだった。
エルフの美少年が自分に対して無防備な姿を見せてくれる。男としての魅力をこれでもかと見せつけてくるのだ。
そんなエルフの少年を目の前にして、女性達の理性は崩壊寸前であった。
そして、司会の女の言葉が会場に響き渡る。
「では、いよいよ入札を開始致します!最低落札価格は…10億!」
10億…!会場の全員がその価格に驚愕する。そして、エルフの少年もまた驚いたように目を大きく開いた。
しかしそれも一瞬の事。すぐに平静を取り戻すと、女性達は続々と競りに名乗りを上げていく。
「11億!私よ!私が買うわ!」
「15億!私の物になってもらうぞ!エルフの子!」
「20億出す!絶対に譲らない!私はこの子のママになる!」
女達の声がオークションの会場に木霊した。そのどれもが、このエルフの少年を己の所有物として独占しようとする欲望の意思の塊であった。
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