第37話 彼女のために生きることを、彼女は望んでいない

 ……はぁ。

 どうしたものかなぁ。


『デートって……2人で遊ぶってこと?』

『そう。帰るの明日なんでしょ?』

『う、うん。その予定だけど』

「それさ、海堂だけ一日延ばしてよ」

『……はい?』

『明日の夜ね、この近くで花火大会あるの。それ一緒に観ようよ』

『えっと……』

『だって沙耶たち、2人で遊んだことないじゃん?」

『た、たしかに』

『だから実際デートしてみて。お互い良いな~ってなったら付き合お』


 良いな~ってなったら、ねぇ……。

 何も間違ってはいないんだよな。デートを重ねて、お互いのことを知って、好意が芽生えて、やがて付き合う――極めて王道の流れだ。誘いがあまりに突然なのは気になるが、デートもせずに告白をした俺が言えたことではないし……あれ、自己嫌悪がぶり返してきたぞ。


「……本気ですか?」


 ん? 

 この声は――公園の方か?


「うん。もう決めたことだから」

「そう……ですか」


 間違いない。岩本くんと津久志さんだ。ベンチの近くで向かい合い、何かを話している。

 盗み聞きはだめだと思いつつも、やはり気になるので、俺は木の陰からその様子を覗う。


「この間の試合終わってから、ずっと考えてた。野球にすべてを注いできて、先輩たちに夢を託されて、周りからたくさん応援貰って、心優にもずっと助けられて……でも結局、そういうの全部裏切って」

「そんなこと」

「それでさ! 思ったんだよ。これからは俺、心優だけのために生きたいって。今日の旅行もすげー楽しくてさ。いろんなところに行ったり、いろんな景色を見てたり、いろんなもの食べたり……こういう幸せな時間を、もっと心優と過ごしたいんだ。だから俺――部活辞めるよ」

「……ふざけないで」


 怒りをかみ殺すような低い声。

 津久志さんからは聞いたことのない声色だった。


「夢を諦める言い訳に、私を使わないでください!!!」


 ペシンッ!

 と、乾いた音が公園中に響き渡った。


「……帰りますね」


 突然の平手打ちに茫然と立ち尽くす岩本くんをおいて、目を真っ赤に腫らしながら公園を去る津久志さん。その背中は、どんどん遠くなっていった。


 岩本くんが、部活を辞める……? あんなにすごい球を投げられる、あの岩本くんが?

 でも……もったいない、なんて言えるはずが無いよな。俺はその努力の1割さえも知らないんだから。恋愛と部活との両立を諦め、すべてを彼女に捧げる。その選択を、どうして責めることができようか。


「海堂くん?」

「ヒャイッ!」


 変な声が出た。去り行く津久志さんの背中を見ていたら、岩本くんの接近に気が付かなかった……。


「見られちゃったかな」

「ご、ごめん」

「ううん、気にしないで。良かったら少し話さない?」


 ※


 先ほどまで2人が座っていたであろうベンチに、俺たちは腰かけた。津久志さんの温もりが残って――は、いなかった。


「かっこ悪いとこ見せちゃったね」


 申し訳なさそうに岩本くんは言った。


「そ、そんなことないよ。岩本くんにとって、津久志さんがものすごく大切ってことだと思うし」

「ありがとな、海堂くん」


 そうして弱気に笑う岩本くん。こんな表情初めて見た。


「……俺さ。心優の前では、背伸びしないでいられるんだよ」

「背伸びを?」

「うん。普段はどうしても周りから期待されるから、俺もつい、そんな人間を演じちゃうんだけど。実際はそんな立派な人間じゃなくてさ」

「そう、なんだ」

「でも心優だけはそれをわかってくれるから。等身大の自分で話せるんだよね」

「……素敵な関係だね」

 

 大人になるにつれ、素の自分を見せられる人はどんどん減っていく。だからこそ、それを肯定してくれる人はきっと、かけがえのない存在なのだろう。そういえば沙耶さんも、恋愛には安定が大事って言ってたっけ。


「だけど……俺はただ苦しくて、逃げたかっただけなのに……それっぽい理由を付けて、ごまかそうとしたんだ。そういうの全部、心優にはお見通しだったんだと思う」


 それって──なんか切ないな。

 ありのままの自分を見せることが信頼の証なら、それを隠すことは信頼への裏切り。でも相手を想うからこその行動でもあって……誰も悪くないんだもん。


「帰ろっか、海堂くん。話聞いてくれてありがとね」

「……うん」


 澄んだ夏空の下。

 函館山から流れる夜の風が、肌に冷たく感じられていた。

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