関門海峡花火大会殺人事件

湊 町(みなと まち)

第1話 花火大会の始まり

門司港の夜は、祭りの高揚感に包まれていた。港の周辺には屋台が軒を連ね、たこ焼きや焼きそばの香ばしい香りが漂う。人々は浴衣姿で歩き回り、子供たちの笑い声が響く。空には花火が打ち上げられる準備が進められ、その音を待ちわびるように海面が静かに揺れていた。


三田村香織は、そんな熱気に満ちた人混みの中で、少し離れた場所に立ち、静かに花火が打ち上がるのを待っていた。手には少し冷めた缶ビールを持ち、時折口に運んでは、涼やかな夜風を感じている。香織はこの賑やかな夜の雰囲気が好きだった。そこには人々の活気と共に、彼女が解き明かすべき人間の心の奥底が存在するように感じられたからだ。


ふと、人波の中に一人の女性の姿が目に入った。薄いピンク色の浴衣を身にまとったその女性は、どこか寂しげで、不安げな表情を浮かべていた。香織はその表情に引っかかりを感じつつも、特に意識せずに視線を外す。しかし、次の瞬間、背後から聞こえた男性の声に驚かされる。


「香織、こんな所にいたのか。」


藤田涼介が香織の後ろからひょっこりと現れた。彼はいつものように冷静な顔つきで、しかしどこか楽しげな様子だった。藤田は手に持っていた紙コップのアイスコーヒーを口に運びながら、香織の隣に立つ。


「こんな賑やかな場所、あまり好きじゃないと思ってたけど?」


香織は軽く笑いながら、涼介を見上げる。「たまにはね。でも、こういう場所にいると、何かしら事件が起こりそうな気がして落ち着かないの。」


涼介は肩をすくめた。「まぁ、それも一理あるかもな。でも今夜は、ただ花火を楽しむだけでいいんじゃないか?」


香織が答える前に、最初の花火が空に打ち上がった。巨大な火の玉が夜空に開き、色とりどりの光が観客の頭上に降り注いだ。その瞬間、歓声が沸き起こり、周囲は一層の熱気に包まれた。


しかし、香織の視線は再びあの女性を捉えていた。女性は花火を見上げていたが、どこか空虚な瞳をしているように見えた。その姿が香織の心に微かな不安を呼び起こす。何かが起きる予感、それが香織の胸をざわつかせていた。


次の瞬間、花火の爆音が鳴り響く中、その女性がゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。誰もがその状況に気づくことなく、花火に視線を奪われている。しかし香織は、まるで磁石に引き寄せられるかのように女性の元へ駆け寄った。


「涼介!早く来て!」


香織の声に涼介もただならぬ事態を察し、すぐさま後を追った。香織が女性の元に到着すると、彼女の顔は蒼白で、呼吸も弱々しく、今にも止まりそうだった。


「救急車を呼んで!この人、何かに毒されたかもしれない!」


香織は女性の腕を握りながら、必死にその命を繋ぎ止めようとする。涼介は冷静に状況を把握し、周囲の人々に指示を出すが、心の中で感じる不安は、香織と同じだった。これはただの事故ではない――そう直感する。


やがて、遠くで救急車のサイレンが響き渡る中、花火の輝きが二人の頭上に降り注ぎ続けていた。夜空を彩るその光が、次第に哀しい色合いを帯びているように感じられた。

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