第16話:彼女の隠しごと

 さて、いつ女装させられるかとビクビクしてバイトを続けていたある日のこと。

 学校が無事終わり、今日も今日とて労働に勤しむべく居酒屋てっちゃんにやって来ると、スタッフルームから篠原が丁度出てくるところだった。

 

 篠原はランチから店に入っているので、こういうことは普通にある。

 ただ、その日は「それじゃあ店長、明日は本当によろしくお願いします」と珍しく腰の低い様子で出てきたのが気になった。

 いつもは口が悪い同士、やいのやいのと言い合っていることが多いのに。

 

「ん? 明日、なにかあるのか?」

「うわっ、アッキー! ……お、おはよう」

「おう、おはよう。で、何があんの?」

「え? い、いやぁ、それは……」


 これまた珍しく篠原が言い淀む。

 決して隠しごとをしないわけではないけれど――いや、むしろ悪戯好きだから隠しごとは多い方か――、こうしてバレちまった時は「ええい、ちくしょう」とばかりにネタバレする篠原にしては、なかなか珍しい現象だった。

 うん、ますます気になる。

 

「ふっふっふ。明日が気になるか、童貞」


 するとスタッフルームから今度は店長が出てきた。

 夜の営業前のこの時間、俺がシフトに入っている日に店内にいるのはランチから働いている店長と篠原のふたりだけなので、それ自体はやっぱりおかしなところはなにもない。

 ただ、妙に店長が鼻高々なのは一体何故なんだ?


「明日何かあるんですか?」

「それはだな、実は明日、初の家へ」


 は? 篠原の家?

 

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 想像外の言葉が出てきて戸惑っているところへ、篠原が慌てて大声をあげた。

 

「余計なことをしゃべんな、この馬鹿店長!」

「おい、馬鹿とはなんだ馬鹿とは!?」

「馬鹿だから馬鹿だって言ってんでしょ! アッキーに教える必要なんてないって考えたら分かるじゃん! ちょっとはその小さな脳みそを働かせて!」

「小さな脳みそってお前、雇い主になんて口を……。ああ、分かった、お前がそんな態度を取るなら明日お前んちに行ってやんねぇ!」

「うわ、大人のくせして約束破るんだ、サイテー」

「約束を守ってほしかったら、それなりの態度ってもんがあるだろーが!」


 本格的にやり合い始めるふたり。

 まぁそれはいつものこと、店長相手に一歩も引かない篠原のクソ度胸には毎度感心させられるやら、ハラハラさせられるやら。

 だけど今はそれとは違う感情が渦巻いていた。


 明日、店長が篠原の家に行って、一体何をするというのだろう?

 

 普通に考えたら、アパートの契約絡みだろうか。

 お母さんが失踪したことが大家さんにバレて、急遽保証人がいるとかなんとか。

 それなら店長にお願いするのはもっともな話だと思う。篠原の人間関係を全て把握しているわけではないけれど、店長ほど彼女の身近なところにいる大人は他にいないだろう。

 おまけに篠原の境遇に号泣した店長だ。保証人っていうのは気軽に引き受けたら大変なことになるとは聞いているものの、きっと店長ならふたつ返事でオッケーするに違いない。

 

 ただ、それならどうして篠原が俺に隠そうとするんだ?

 そんなの「とうとう大家さんにママのことがバレちゃってさー。誰か保証人を立てないと出ていってもらうって言うから、店長にお願いすることにしたよー」で済むし、俺も「あ、そうなんだ」で終わりだ。

 隠す要素が全く見当たらない。

 

 うーむ、だったら一体なんなんだ?

 考えれば考えるほど分からなくて、気になって、なんだか変な想像が湧いてくる。

 例えば……いや、そんなことは絶対にないとは思うけれども、例えばアパートの保証人になってくれと頼んだ篠原に店長が代償を求めたとしたら……。

 

『初、保証人なんて重い責任が発生することを、まさかタダで引き受けてくれなんて言わねぇよなぁ?』

『分かってるよ。それなりのお礼はするから、明日、私の家に来て』


 いやいやいやいや、ないないそんなの!

 確かにふたりは喧嘩するほど仲がいいって関係ではあるけれども、そういうことをするのは想像もできない。

 そもそもふたりは歳が下手したら親子ほど離れているんだ。そんなの篠原だって嫌だろうし……って、そういやあいつ、そんなおっさん相手に体を売って金を稼ごうとしていたんだった!

 

『店長、お願いだから保証人になって。なってくれたら私の身体、店長の好きにしてくれていいから……』


 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!!!

 いくらなんでもそんなわけあるかっ! なんてことを想像してるんだ、俺は! 篠原に謝れ!!

 

 心の中で篠原に土下座する俺。

 でも、だったらホント一体なんで店長が篠原のアパートに行くんだ?

 

 気になる。

 とても気になる。

 でも篠原が「別にアッキーが気にすることじゃないからね」と言い張る上に、そのあとも店長が口を滑らそうとする度に噛みついてくるものだから、結局知ることはできなかった。

 ええい、こうなったら。


 翌日。

 俺は学校を無断欠勤した。


「……まさか俺も順平みたいな不良学生になってしまうとは」


 思った以上にドキドキする。お巡りさんに見つかって補導されたらどうしよう。

 それに補導はされなくても、明日には絶対先生から問い詰められる。順平はいつもどう答えているのだろう。あとで聞いておくか。

 

 緊張や不安を隠すように、俺は電信柱に身を寄せる。

 視線の先には篠原のアパートがあった。



 ☆ 次回予告 ☆


 電柱に身を潜み、アンパンと牛乳片手に張り込みをする少年。

 しかしいつまで経っても店長は現れず、代わりに少女の部屋を訪れたのは見知らぬ中年の男女だった。


 次回、第17話『秘密の理由』

 久しぶりに食べるアンパンは、意外と美味い。

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