第15話
「やばい! 似合う! 可愛い!」
花火大会前日。
凛音は類とともに、綾子の家を訪れていた。
原稿が終わったからか、以前訪れた時は雑然としていた綾子の部屋は、さっぱりと片付いている。
そこで凛音は、白いワンピースを着せられていた。
首元にはセーラー襟と、紺色のリボンがついている。半袖の袖口とふんわりとしたスカートの裾にはそれぞれ二本の紺色のラインが入っており、制服風味ながらもカジュアルなかわいらしさのあるワンピースだ。
「サイズぴったりだね~! よかった!」
「これ……アヤが買ったの?」
「ううん。知り合いの描き手さんで、子持ちの人がいてさぁ。子供向けブランドのおすすめとか聞いてるうちに、お子さんのお古の服を譲ってもらう話の流れになったのよ。それ、定価だと一万円ぐらいするはずだから、私みたいな貧乏学生にはホイホイ買えないよ」
描き手? ということは、その人も漫画を描いている人なのだろうか。
子持ちならば、それなりに年上の人のはずだ。
すっかりと交友関係が広くなったらしい綾子に脱帽させられる。
「ウィッグの用意は間に合わなかった! ごめん! でも、そのままでも絶対可愛いから、それで森倉とデートに行くといいわよ」
(アヤも昔は、『シュウ』って呼んでた気がするけど、今は『森倉』なんだね)
「ねぇ……なんでレイチェルもアヤも、シュウちゃんのこと『シュウ』って呼ばなくなったの?」
ふと気になって聞いてみた。
「えー? そうだなぁ……私の場合は、中学に入ったぐらいの頃にはほとんど話す機会もなくなって、名前で呼ぶのがなんか気恥ずかしくなったからかな? ほら、名前で呼ぶと、他の子に『仲いいの?』とか聞かれて面倒だし。その頃はもう、別に仲良くなかったしさ」
「そうなんだ……」
一度仲良くなったら、ずっと仲良しなんじゃないの?
中学生になった経験のない凛音にはいまいちピンとこない話だった。
「レイチェルは、今もシュウちゃんと仲よさそうだったけど……それでも名字で呼んでるのは、気恥ずかしいから……?」
「あいつらはもうさ、仲がいいとかじゃなくて、腐れ縁って感じでしょ」
「腐れ縁?」
「幼なじみってやつ?」
類も興味津々で口を挟んできた。
「いや、幼なじみなのはみんな一緒だけどさ、あいつらはさー……なんていうか、他人になりきれない、微妙な関係性なのよ」
「元カノ?」
「そうそう。中学二年の時にちょっと付き合ってたみたいなんだけどさー……って、小学生、なんでそんなことわかるのよ」
「勘?」
「うわ、野生の勘、こわ……っ!」
「野生じゃねーよ」
ふざけたやりとりを繰り広げる綾子と類に、凛音は呆然と立ちすくんでいた。
「……やっぱり付き合ってたんだ」
「はっ……そうだ、凛音! ごごごごめーん! 言っちゃった! でも、付き合おうってしつこく迫ったのは佐城さんの方で、森倉はしぶしぶ付き合うことを了承したけど、結局、水泳で忙しくてロクにデートもできない日々が続いて、すぐに別れちゃったらしいよ!」
「そう、なの……?」
それにしては今も特別に仲がよさそうに見えた。
「ほら、こないだも言ったでしょ。森倉には恋愛とか向いてないって。あいつはさー、結局のところ、来栖リンネをずっと引きずってて、他の女の子を好きになれなかったのよ。佐城さんと一時的に付き合ってたのも……えーと、若気の至り? みたいな感じだから、凛音が気にすることじゃないよ」
「でも、レイチェルはきっと今もシュウちゃんのことが好き……なんだよね?」
「うーん……私は最近会ってないからそこらへんはなんとも言えないけど……高校も大学も同じところ選んだってことは、佐城さんの方は未練タラタラ……かもしんないわね。……でも大丈夫! 森倉は、多分いまも、リンネのことが好きだよ! そういうやつだから!」
「でも……」
凛音は俯く。
ひらひらとしたスカートの裾が視界に入った。
可愛らしいワンピース。
女の子が着ていたなら、みんな褒めてくれたかもしれない。
女の子が着ていたなら。
「……僕、今は男の子だから、シュウちゃんとは結婚できないよ」
「大丈夫! 凛音が大きくなる頃には、きっと日本の法律が変わってるから! 男同士でも結婚できるはず!」
「年だって、すごい離れちゃったし……」
「凛音、いま小一だったっけ? それならえーと……十四歳差? 大丈夫! 私が前に好きだったカプ、十七歳差だったから!」
弱々しい声で吐き出す凛音を、綾子は力強く励まし続けた。
「…………カプってなに?」
「うっ……そうか、これ、オタク用語だった! カプっていうのは、カップリング……つまり、好きなキャラとキャラの組み合わせ……? いや違うな。自分が運命だと信じた、恋人になるべき二人のことよ!」
よくわからないけどそういう文化もあるのだろう、と凛音は察した。
「この本の二人?」
類は綾子の本棚からおもむろに本を引っ張り出して表紙を見せてきた。
漫画本みたいだが、それにしてはサイズが大きくて薄い。
「ぎゃああああぁー! それは私がはじめて出した同人誌! やめなさい、類! それはお子様にはまだ早いわ!」
悲鳴をあげながら綾子はその本を奪い返しにいく。
あまりじっくりと拝むほどの時間はなかったが、表紙の二人は、中学生とサラリーマン? くらいに見えた。
普通のサラリーマンにしてはやけに顔が良く、アニメで言うなら敵の幹部みたいな雰囲気もあった気がするけど。
「アヤ、すごい! 絵が上手くなったね!」
「やめて! 全然下手くそだから! 今もそんなに上手くはないけど、それよりももっとひどかったから、この頃!」
「でも、小学生の頃、図工の時間にうさぎを描いてタカキに『ドラゴン?』って聞かれてた頃に比べれば圧倒的に……」
「その話もやめて――っ!」
悲鳴じみた声をあげる綾子に凛音が押し黙ると、一応静かになった部屋に、綾子のはぁはぁという荒い息づかいがしばらく響いていた。
「……ごめん」
「ううん……私の方こそ、取り乱してごめん。で、なんの話だったっけ?」
「ええと……僕とシュウちゃんの年齢差の……」
「そうだったそうだった。そうね、十四歳差、かぁ……今の年頃で考えると凛音はまだ小学生だから完全に犯罪者になっちゃうけど、たとえば凛音が二十歳になる頃で計算すると……森倉は三十四か……」
思案顔だった綾子の表情がなにかひらめいたような表情に変わる。
「イイ……!」
なにが? と聞きたかったが、また話が脱線しそうな気がして、凛音は黙っていた。
「三十四って、もうおっさんじゃん。逆に凛音くん的にナシなんじゃないの?」
類が呆れた口調で突っ込んでくる。
「え……うん? どうかなぁ……?」
三十四になった愁。今まで想像したことは一度もない。だけど、今の愁だってじゅうぶん落ち着いた大人の雰囲気があるし、そんなに変わらない気がした。
(顔にしわが少しできはじめるくらい……?)
愁のお父さんの顔を思い出してみる。
確か、前世の記憶では三十代半ばとかそれぐらいだった気がする。
清潔で優しくて、カッコよかった。
そう、カッコよかった。
「ダメだよ……」
「ほら、やっぱりおっさんはダメだろ」
「違う……絶対、会社とかでモテて、新入社員が入ってくるたびに一目惚れされちゃう……もしかしから、上司とか取引先の偉い人に、見合い話を持ちかけられるかも……僕のことをずっと好きでいてもらう自信ないよ……」
「……励ますつもりで一応言うけど、そんなにモテないわよ、あいつ。人見知りだから、親しくない相手に話しかけられても会話が続かないタイプだし」
「そんなことないよ! シュウちゃんは、初対面の時から優しくて、面倒見がよかった!」
「それはあんた……よっぽどリンネが放っておけないタイプだったか、惚れた弱みのどっちかでしょ」
「そんなにわかりやすく惚れられてたの?」
類がおもしろそうに綾子に聞く。
「森倉がリンネのこと好きだったことは、たぶん、クラス全員知ってたよ。でもみんな小学生だったから、付き合う付き合わないの話にまでは発展しなかったけどねー。……少なくとも私は、あの事故がなかったら二人はいずれ付き合うんだろうな、と思ってた」
――あの事故がなかったら。
もしものことは、考え出したらきりがない。
それでも、消えてしまった『もしもの未来の可能性』を思うと、どうしようもなく胸が軋む。
「……やっぱり、今さら『好き』なんて言っても、迷惑かなぁ……?」
とうの昔に消えたはずの可能性を諦めて、新しい人生を歩んだ方が、きっと愁のためになる。
愁だってきっと年が近い女の子と結婚できた方がいろいろ都合がいいはずだし。
「僕といると、シュウちゃん、きっと何度もリンネが死んだ時のこと思い出しちゃうよね……? それは辛いことのはずだから、忘れてもらった方がいいよね……?」
「なに言ってんの!」
不安を吐露した凛音に最初は驚いた反応を見せた綾子だが、すぐに我に返った様子で肩を掴んでくる。
「それは森倉が決めることであって、凛音が決めることじゃない! 死んだら生まれ変わって、また会いにいくって約束してたんでしょ? リンネはその約束を果たしたんでしょ!? それだけでじゅうぶん、リンネは立派だよ! 罪悪感を背負うことなんてない!」
「うん……」
力強く断言されて、足元を見ていた凛音の視線がほんの少し持ち上がる。綾子の目線の高さまで。
「この先の人生については、森倉の自由であり凛音の自由でもあるから、好きにしたらいいよ。性別とか年齢とか気にしないで付き合いたいならそうすればいいし……凛音だって、おっさんとじゃなく同年代の男の子と恋をしたくなったらそうすればいい!」
「男の子?」
ものすごくいいことを言われている雰囲気だったが、最後の言葉だけが引っかかった。
「あっ、ごめん! 女の子と付き合いたいならそれでもいいけど! なんなら私が付き合ってもいいけど! それはその時の気持ち次第って意味で!」
「……アヤちゃんと凛音くんがカップルになるのはナシでしょ。犯罪、って感じがする」
ドン引きした顔で類が言い出した。
「なんでおっさんはアリで、一応仮にも女である私じゃダメなのよーっ!?」
「アヤちゃんは化粧すれば美人だけど、なんかいろいろダメな気がするよね」
「小学生が生意気な口きくんじゃないわよーっ」
仲良くじゃれ合うように喧嘩する従姉弟同士の二人を見ながら、凛音はくすくす笑っていた。
目元にたまっていた涙は、気づかれないようにこっそりぬぐった。
一人っ子の綾子は、昔、弟をほしがっていた。
可愛い弟分ができたようで何よりだ。
こんな光景も、生まれ変わることがなかったら見られなかったはずだ。
だから凛音がここにいるのも間違いじゃない。そう思いたい。
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