第12話
「リンネの家族の行方が知りたい?」
押し入れから引っ張り出したグッズをしまい直したあと、ぼさぼさだった長い黒髪をゴムでひとつにまとめた綾子は、だいぶスッキリした印象に変わっていた。
眼鏡の綺麗なお姉さんに見える。
化粧はしていないようだし、着ているのもオーバーサイズのTシャツとハーフパンツなのでおしゃれとはほど遠い緩い格好なのだが、小学生だった頃よりも明らかに女らしく成長していた。
「うん。アヤなら知ってるかなって」
「北海道に引っ越したはずだよ。そのあとどうなったのかは知らないけど」
おばさんが持ってきてくれた一口サイズのせんべいをかじりながら、綾子が答えた。
「北海道!?」
スウェーデンよりも近いが、小学生が簡単に行ける場所でもない。
凛音は途方に暮れる。
「リンネのお父さんって、大学教授だったよね。北海道の大学に呼ばれたからそっちに行くことになった、って言ったかな」
「……北海道って、飛行機じゃなきゃ行けないんだっけ? それとも船?」
絶望的な気分になりながらも、一応聞いてみる。
「いやぁ、飛行機でも片道一万円しないぐらいで行けると思うけど、小学生が一人で飛行機乗るのは無理だよね? 友達と、っていっても絶対反対されると思うし、今のご両親が一緒についてきてくれないなら行くのは難しいんじゃないかな」
「…………」
無理だ。前世の両親に会いたいから北海道まで行きたい、なんて今の両親に言えるわけがない。
「電話番号とかわかんないの?」
暗い面持ちで
「うーん……引っ越した直後は、うちの親が連絡を取り合ってたはずだから、調べればわかるんじゃないかな。でも、電話が繋がったとしてもなんて言うの? 生まれ変わったから会いたい、とか言うの? 声を聞けば無視はできないと思うけど……素直に喜んで受けとめてくれるかなぁ?」
いま、凛音は別の両親のもとで暮らしている。
再会できたとしても、また一緒に暮らすことは叶わないだろう。
「……会わない方が、いいのかな」
あれから十年もたっているのだ。
みんな、それぞれの人生を歩いている。
愁と綾子は再会を喜んでくれたが、礼香はそうではなかった。
リンネのママにとっても、リンネは忘れたい存在になっているかもしれない。
「会いたいなら会いに行けばいい、と私は個人的に思うけど、正体は隠しておいた方がいい気がするかも。あ、そうだ、リンネの生前の荷物ね、引っ越しの時にほとんど捨てられたちゃったんだけど、一部は
「タカキ?」
懐かしい名前だった。
タカキもまた、いつも一緒に遊んでいた仲間の一人だ。
「リンネの部屋……自分たちの手では片付けられないから、かわりに処分してほしい、ってうちの親が頼まれたのよ。通常なら業者呼んで片付けてもらうところなんだけど、私の友達のものだから『どうする?』ってお父さんに聞かれて……私も困っちゃって、仕方なく貴希に相談したのよ。森倉とはその頃は疎遠になっちゃってたし、森倉に言えば、『全部引き取る』って言いかねなかったしさぁ」
「タカキは……まだこの近くに住んでる?」
「うん。今は一人暮らししてるけどね。あいつもリンネのこと好きだったから、今もきっと遺品は大切に保管してるはず」
「……え?」
「あれ? もしかして気づいてなかった?」
「タカキが……リンネのこと好きだったって?」
「そうだよ。もちろん、恋愛的な意味でね。……って、ごっめーん、つい言っちゃった!」
てへ、と綾子は笑って茶目っ気たっぷりに謝ってくるが、凛音はしばらくぽかんとしていた。
「……あはは、冗談だよね?」
我に返って、凛音は苦笑いを浮かべる。
「まぁそうだよねぇ。あれじゃ、気づかないよねぇ。あいつは愁とは違う意味で不器用すぎるし、嫌われるからそういう態度はやめろ、って私は何度も言ってたんだけど」
タカキ……
貴希との思い出は――怒られていた記憶ばっかり蘇ってくる。
貴希は頭がよくてなんでも理論的に考えるタイプで、リンネはバカというほどではなかったけど、よく考えなしに行動するタイプだったから、あまり気が合う感じではなかった。
「……嫌われてたんじゃ、なかったんだ?」
「あいつ、不器用なくせに心配性だから、リンネのことが心配であれこれ口を出してただけよ。やっぱり誤解されてたかー。あー、おかしー」
綾子はケラケラと笑っている。
「アヤはなんか……雰囲気が変わったね」
昔はもっと内向的だったというか、こんなにあっけらかんと喋るタイプではなかった。
「そうねぇ。イベント出るようになってから変わったかも」
「イベント?」
「漫画描いて本にして、イベントで売ってんの。そこで知り合った人と喋る機会がけっこうあってさ、ミーハー心で好きな作家さんに話しかけたりしてたら、いつの間にか人見知り治ってたわ」
「すごい! そんなイベントあるんだ!?」
「同人誌即売会……っていっても小学生にはわかんないか。最初は小さいホール借りたイベントに出たりしてたんだけど、今年はなんと! はじめてコミケに参加しまーす!」
「おおー」
なんだかよくわからないがすごいらしいと察した凛音はパチパチと拍手する。
綾子は得意げに腰に手を当て、胸をそらすポーズを取っていた。
「あの、テレビのニュースで出てくるやつ?」
類はなんとなく知っているらしい。
「そうそう。東京ビッグサイトに国内外から数十万のオタクが集結する、夏の祭典だよ! 冬もあるけどね!」
「コスプレした人がいっぱいくるんだよね? アヤちゃんもコスプレすんの?」
「コスプレが好きな友達はいるけど、私はやんないよぉ! 人前で目立つの嫌いだし!」
「そこは昔から変わらないんだ……」
呟きながら、凛音の胸に『友達』というキーワードが引っかかる。
綾子は昔、友達が多いタイプではなかった。
いつも遊ぶメンバー以外のクラスメイトとは、必要最低限の言葉しか交わさなかった。
学校の外で他のクラスメイトとすれ違っても、挨拶すらしなかった。
だけど今、綾子にはたくさんの友達がいる。
――私が知らない友達。私が知らない世界。
旧友としては喜ぶべきことなのだろう。
なのに、なんだか寂しい気がして、凛音は素直に喜べなかった。
「コミケ、興味があるなら一緒に行く? って言いたいところだけど、あそこは人が多くて大変だし、保護者がついてないとまずいからなぁ……地元のコスプレイベントなら付き合うよ。二人とも可愛いから、コスプレとっても似合いそう!」
「いや、オレはやるつもりないし……衣装? とか持ってないし」
「人気のアニメのやつなら、子供用サイズのコスプレ衣装も市販で売ってるんじゃないかな」
「そんな金ねーって。だいたい、やりたいなんて一言も言ってないし」
「凛音は? あっ、そうだ凛音は、リンネのコスプレしたらいいんじゃない!?」
「…………リンネの?」
「ウィッグつけて、ワンピース着てさ! 昔みたいな格好してみたらおもしろいんじゃない!?」
「…………」
綾子の部屋の姿見にちらりと視線をやる。
鏡に映っているのは、黒髪の男の子だ。
リンネとは別人の姿である。
だから、リンネだった頃の友達に会っても、みんなすぐに信じてくれなかったりする。
でも、もしリンネの姿に戻れるなら……?
「ウィッグって、どこで買えるの?」
「おっ、その気になってくれた? いいねぇ。ネットでも買えるみたいだから、友達に聞いとくよ。……ただ、いまけっこう修羅場ってるから、原稿終わったらでもいい?」
ニコ、と笑ってから、綾子は机の上を振り返って、はぁ、とため息をつく。
机の上にはパソコンとタブレットが設置されており、その脇には、絵を描くための資料と思われる本が何冊も積み上げられていた。
エナジードリンクと、栄養補助食品も置いてある。
「ごめん、アヤ、忙しいんだったね。本にする漫画を描いてる最中? なのかな?」
「そう。夏コミの新刊用のね。早割の締め切り、三日後なんだけど、間に合うか微妙で……通常締め切りでもいいんだけど、今回いつもよりもページ数が多いから、金額差がなぁ……」
「邪魔しちゃって、ほんとにごめん! そろそろ帰るよ。……あの、時間ができた頃に、また遊びにきてもいい……?」
「もちろん。あ、貴希には早めに連絡しとくよ。返事きたら、凛音に連絡するね。えっと、スマホ……は小学生だとまだ持ってないのかな?」
「うん……」
よく考えたら、連絡手段といえば、家の電話ぐらいだ。
しかも、電話が置いてあるのがリビングなので、母に話を聞かれる可能性も高い。
「オレ、こないだキッズケータイ買ってもらったんだ。電話してきてもいいけど、ショートメールぐらいならできるよ」
類が自慢げに言い出した。
「そうなんだ? すごい!」
「凛音くんも、習い事始めるなら買ってもらえよ。……まぁでもひとまずのところは、オレが連絡役になってやってもいいぞ」
アニメのキャラみたいなカッコつけた物言いだったが、間違いなく頼もしいのは確かだ。
「お願いしちゃっていいの……?」
「オレなら、アヤちゃんと連絡取り合っててもママに変に思われないだろ? 従姉弟だし。まっ、暇だから付き合ってやるさ」
「ありがとう類くん!」
「へへ……」
類は得意げに鼻の頭をかいている。
「信頼から芽生える恋心……いける……」
綾子がなにやら妙なことを呟いている気がしたが、ツッコむ勇気まではなかった。
帰り際。
「あっ、類これ、類の家のお母さんに渡しといて、だって。お中元でもらったんだけど、食べきれないからもらって、ってことらしい」
玄関先で、綾子が思い出したように紙袋を持ってきて、類に渡した。
紙袋の中を覗き込むと、高級そうなゼリーがたくさん入っている。
「アイスはないの?」
玄関の外に一歩踏み出すと、むわっとした熱気が押し寄せてくる。
確かにアイスを食べたくもなる。
「ないなぁ。昨日私が全部食べちゃった」
「えー、なんだよぉ」
「ていうか、アイスなんて、持って帰る途中で溶けちゃうでしょ。家の近くのコンビニとかで自分で買いなさいよ。ほら、お小遣いあげるから」
類の掌の上に、ピカピカの五百円玉が置かれる。
ぎょっとした顔で、類は綾子を見上げた。
「アヤちゃんがお小遣いくれるなんて信じられない! 大丈夫? あとで返せ、なんて言わないよね?」
「うっさいわねぇ。それ、私からじゃなくて、うちのお母さんからよ。ジュースでも買いなさい、だって。別に、ジュースでもアイスでもいいから好きなもの買いなさいよ」
「あ、なんだ。そうだと思った。……おばさーん! ありがとう!」
調子よく切り替えた類が声を張り上げると、一階の廊下の奥の方から、はーい! という声だけ帰ってくる。
「じゃあね、凛音。また今度」
「……うん。またね、アヤ」
当たり前みたいに手を振って、綾子とはそこで別れた。
『またね』ともう一度言えた。
あの時は、言えなかった。
夏休み明けに本屋さんに一緒に行く約束もしていたのに、死んでしまったから、約束を叶えられなかった。
(生まれ変われて、よかったなぁ)
「凛音くん、アイス買うの、そこのコンビニでいいかな?」
「うん」
前世の友達も、今世の友達もみんな優しい。
自分はきっと、恵まれている方なのだろう。
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