第8話


 小学校に入ってから、一人で遊びに行っているまわりの子はわりとたくさんいるけど、凛音の母は、まだ心配らしい。いちいちついてこようとする。

 今日は、類の家に遊びに行くと行ったら、『それなら安心ね』といった様子で送り出してくれたけど。


 約束の時間よりもだいぶ早く出て、リンネがよく歩いていた道を歩いてみた。

 思い出は昨日のことのように蘇ってくるのに、街並みはところどころ変わってしまっている。

 まるで浦島太郎にでもなったような気分だ。


「ここは変わらないなぁ」

 愁ともよく一緒に歩いた、河原のそばの土手の道。ここだけは相変わらずで、安心する。

 このあたりでは有名な、大きい川だ。

 夏には毎年、花火大会が開催される。


(シュウちゃんとも毎年行ってたっけ)

 日が落ちたあと、自転車を走らせて、橋の上まで行って花火を見た。

 打ち上げ会場からはちょっと離れているけど、晴れているとここからでもよく見える。

 地元民だけが集まる、穴場スポットだった。


『リンネ、ほら、見てろよ。次、大きいのがくるぜ』

 花火が好きな愁が目を輝かせて、しゅるしゅると打ち上がる音を聞き分けていた。


 今年の花火大会はまだこれからのはずだ。

(そうだ、シュウちゃんを誘ってみよう)

 きっと、懐かしさに喜んでくれるはずだ。


 あとで電話をしてみよう。

 それとも、直接家に行ってみた方がいいかな?

 浮き足立ちながら凛音は、類と約束していたコンビニへと向かう。


 小学校の敷地の隣に建つコンビニは、昔からあったものだ。

 学校帰りに寄ることは禁止されていたけど、遊ぶ時によくここに寄ってジュースやお菓子を買っていったりした。

 おもちゃつきのお菓子をたくさん取り扱っている店で、財布の中身と欲しいおもちゃの箱を交互に眺めながら悩んでいたら、待ちきれなくなった愁がよく『ジュース奢ってやるから、もう行こうぜ』と声をかけてきたものだ。


 少し早く着いたので、お菓子コーナーでも見て待っていようかと店内に入ると、ジュースのコーナーに、背の高い男の人が見えた。


「シュウちゃ……」

 成長しても、後ろ姿ですぐに愁だとわかった。

 しかし、隣に女の人がいることに気づいた凛音は、あわてて口を噤んで、棚一枚隔てた通路に入る。


「またそれ飲むの? 飽きない?」

「うるせー。おまえはなに飲むんだよ」

「あたしはこのカフェモカかな」

「そんなに糖分高そうなやつ飲んで大丈夫か? こっちの黒ウーロンにした方がいいんじゃないのか?」

「うっさいわね! あたしが太ってたのは中学三年の頃の話でしょ? 今は適度に運動もしてるので大丈夫ですぅ」


 ずいぶんと親しげな様子で会話する声が聞こえてきた。

 愁と一緒の女の人の声には聞き覚えがある。


(レイチェル)

 愁とリンネの、小学校からの友達。

 そして、今はカフェの店員さんをやっているらしい、佐城礼香さじょうれいかだった。


(なんだぁ、びっくりした、レイチェルか。シュウちゃんの彼女かと思った)

 リンネは愁と礼香を含めた合計五人の同級生と、よく一緒に遊んでいた。

 今でも仲がよかったとしても不思議はない。

 というか、礼香も愁のことが好きだったから、なにかあれば愁に一番に話しかけにいっていて――。


 そこまで思い出してから、頭の中が真っ白になる。

 あの頃はみんな小学生だったから、誰が誰のことを好きというのはあっても、恋人になるとか付き合うとかまで踏み込むことはなかった。

 でも、小学生じゃなくなったあとは?

 中学生や高校生になってからは?


 二人は凛音が隠れている通路には目もくれずに横の通路を通り抜け、お弁当コーナーに移動していった。

 バクバクする心臓を押さえながら、凛音はこそこそと棚の陰から二人の様子を見守った。


 仲良く弁当を選ぶ姿は、カップルそのもの。

 記憶よりも十年分成長していることを差し引いたとしても二人とも身長が高いので、よくお似合いだ。


(お弁当買ってるってことは、これから二人でどこか行くってことかな? っていうことはやっぱりデート!?)

 今すぐ飛び出していって、二人はどういうご関係なんですか? と聞きたい。

 しかし、もしそれで付き合っていることが判明した場合、自分は二人の関係を祝福できるだろうか?

 

 ――きっと無理だ。


 リンネが死ななければ、今頃あんなふうにシュウちゃんの隣にいたのは大人になったリンネだったはずだ、とか、そんなこと考えたくないけど、きっと考えてしまう。

 じわりと目元から熱いものがにじんで、凛音は慌ててその場にしゃがみこんだ。


 逃げ出したい。

 でも、逃げる時に見つかっても困る。

 類との約束も破りたくない。

 どうしていいのかわからず身動きできずにいると、つんつんと肩をつつかれた。

(……シュウちゃん?)


「おーい、凛音くん? だよな?」

 淡い期待は、すぐに打ち砕かれる。

 頭上から降ってきたのは、前世の友達ではなく今世の友達の声だった。

「大丈夫? 具合悪い? 家に連絡するか?」

 心配そうに覗き込まれて、凛音は慌てて顔を上げた。


「ごめん。……えっと、ちょっと、のり塩味がいいかエビ塩味がいいか悩んでただけ」

「……どっちも美味しいんじゃないかな」

 店の自動ドアの目の前にあった棚に並んでいたスナック菓子を思い出して適当に言い訳にすれば、類は困惑気味に答えた。


「お?」

 そこに、愁と礼香がやってきた。

「……凛音?」

「おっ、森倉先生じゃん」

 慎重に呼びかけてくる愁の声に真っ先に反応したのは類だった。

「きみは……スイミングスクールの生徒だったかな?」

「ほーい、低学年クラスの藤枝類です」

「凛音の友達か?」

「幼稚園から一緒の友達だよ。森倉先生、凛音くんの命の恩人になったんだって? すごいじゃん。新聞に記事とか載ったりした?」


「リンネ?」

 礼香が名前に反応して声をあげる。

 なんとなく目が合ってしまい、「あ」という顔をされた。

「あれ……? きみ、この間、カフェでレイチェルの話をしたお客さんだよね?」

 それぞれが微妙に知り合いであるため、改めて自己紹介するのも微妙な雰囲気になってきた。


「凛音、礼香にももう挨拶に行ってたのか?」

「ええと……」

「挨拶ってなに?」

「礼香、リンネだ。リンネが生まれ変わって、また会いにきてくれたんだ」

「ちょっと待って。リンネって……まさか、来栖リンネの話をしてる?」

 状況が飲み込めずにきょとんとしていた礼香の顔が、みるみるうちに引きつっていく。


「やめてよ。まさか、またあの子の夢でも見たとか言い出すつもり? ……あの子はもういないのよ。なにを今さら」

 冷たく吐き捨てるような声音。

(……あれ? もしかして、レイチェルはリンネが生まれ変わったこと、喜んでくれない?)


「やめろ! リンネはここにいる! 黒崎凛音……それが今の名前だ!」

 庇うように凛音の肩を抱きながら、愁が力強く言い放った。


「……はぁーっ!?」

 たっぷりと数拍置いてから、礼香は憤慨めいた声をあげる。

「あんた、とうとう本格的に頭がおかしくなったの!? この子、どう見ても男の子でしょ!?」

「生まれ変わったら性別が変わることだってあるだろ!」

「あたしを身代わりにしただけじゃ気がすまなくて、今度は小学生を身代わりにするつもり!? 森倉、頼むから、犯罪者になるのだけはやめてよね」

(あれ? レイチェル、昔はシュウちゃんのこと、シュウ、って呼び捨てにしてなかったっけ?)


「身代わりにした……? なんの話だ?」

「リンネと行きたかった場所にばっかりあたしを連れていっていたのは、あたしがリンネの身代わりだったからじゃないの!?」

「違う。他に行きたい場所が思いつかなかったからだ。そもそもおまえとリンネでは、似ても似つかないだろう」

「あー、はいはい! そうですね! どーせ、あたしはリンネみたいに可愛くないですよー!」

 言い返すことすら諦めて投げやりな口調で言い捨てる礼香は、相当怒っている様子だ。

 

「シュラバ? 修羅場かな?」

 類がくいくいと凛音の袖を引っ張りながら聞いてくる。

 多分、覚えたての単語をそれっぽく使いたいだけだろう。

「どうしよう……」

 凛音はそれしか答えることができなかった。 


 愁は、はーっと深いため息をついた。

「とりあえずいったん店を出よう。店の人の迷惑になる」

 大声で騒いでいたせいで、さっきから店員さんがチラチラとこちらを見ている。

 それを察して、愁は手に持っていた商品をレジに持って行った。

 不満そうながらも、礼香もそれについていく。

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