第3章 本当の気持ち

第19話 宿屋の女主人エスタナ

 ナファネスクたちはウールジークという街にやって来た。緊急時の防衛のために周囲は高い壁で囲まれているが、広々とした街だ。


 街に入る前に、一角獣ウニコルニオのホーテンショーは一時的に野に解き放った。人々の注目の的になるのは必然だったからだ。それでなくても、彫像から抜け出たような綺麗な顔立ちと王侯貴族が着る豪奢な服装で歩くナファネスクは周囲の

人々から好奇の目を向けられた。ひそひそと何か小声で話している大人たちもいた。


(周りの奴ら、何で俺を見てるんだ? そんなにこの恰好がおかしいのか?)

 ナファネスクは急に赤ら顔になり、石畳で敷き詰められた道を足下に目をやりながら歩いていく。

「さっきから何を恥ずかしがってるのよ。あんた、王子なんでしょ? だったら、前を向いて堂々と歩いてればいいのよ」

 ナファネスクの気持ちを察してか、カサレラが声をかけてきた。


「元王子だけどな」

 平然とした顔でずっと隣を歩いてくれるカサレラには感謝した。とても心強かった。二人の後ろからは周囲を警戒しながら着いてくる焔豹ケマールのハクニャの姿があった。

(確かに、こんな物怖じした姿は俺らしくねぇよな! カサレラの言うように周りの目なんか気にしなけりゃいいんだ! 笑いたい奴らは笑うがいいさ!)


 開き直ったナファネスクは大きく胸を張った。それから、これからの段取りを話し始めた。

「まずは宿屋を探さねぇとな。それから、飯だ」

「分かったわ」

 カサレラも異論はないようだ。


 歩き続けること十数分。石造りで作られた建物が立ち並ぶ中、カサレラが宿屋らしき看板を見つけた。

「あそこにしない?」

 清廉な少女の指差すところに目を向けると、三階建ての建物があった。その看板には《豊穣の女将停》と書かれてある。

 別段悪くなかった。そのままナファネスクたちはその宿屋に入っていく。


「いらっしゃいませ! 何名様で?」

 受付のカウンターには女性ではなく、小太りの中年男が座っていた。退屈そうに読書をしている。

「二人だ。二部屋借りてぇ。できれば隣り合わせがいいな」

 まだ子供の声に違和感を感じ取った店番の男はナファネスクたちを見た瞬間、あからさまに不審な目つきになる。

「なんの悪戯いたずらだ? お前ら。ここは大人の来る場所だ! ガキはとっとと出て行け!」


 いきなり頭ごなしに怒鳴りつけてきた。宿屋の名前とはかけ離れた態度だ。

「おい、オヤジ、子供だから宿屋に泊まれねぇってどういうことだよ! 宿賃だってちゃんと持ってるぜ! それで文句はねぇだろ!」

 ぶっきらぼうな物言いは返って逆効果だった。店番の男は怖気づいている。


「ほ、本当にあるなら、は、早く見せてみろ!」

 ナファネスクは「ほらよ!」と腰からぶら下げた、はち切れそうなほどお金の入った布袋をカウンターに放り投げた。


「こ、これは!?」

 店番の男は思わず腰を抜かした。どう見たって、子供が持つにしては大金だった。

 ナファネスクの着ている豪奢な服装は高貴なものに見えなくもない。ただ、もし一流貴族の子供なら、こんなごく普通の宿屋に泊まるはずがなかった。


 不意に店番の男の脳裏を空恐ろしい考えがよぎった。もしかすると、この大金はどこかから盗み取ったものではないか、と思い込んだのだ。太々しいガキならそれくらいやりかねないという確信めいたものがあった。


「だ、誰か来てくれ! 泥棒が現れたぞ! 警備兵を、警備兵を呼んでくれ!」

 怯えるように店番の男は座っていた椅子から転げ落ちた。そのまま大声で叫び声を上げる。


 周囲にいた客たちが怪訝けげんそうな視線をナファネスクたちに向けてきた。一階で泊まっていた客の中には、ドアを開けて覗き見る人もいた。

「この野郎、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」

 ナファネスクは激怒した。食ってかかりそうなのをカサレラが必死になって止める。


「ねぇ、知らない街で争い沙汰はまずいよ! 別の宿屋を探そう?」

 カサレラも同様に気分を害しているのは確かだ。だからと言って、ここでいきなり面倒事は起こしたくない。大きな瞳がそう訴えかけていた。そのときだ。

「あんたったら、いったい何を騒いでるんだい?」

 店の奥から恰幅のいい体格をした年配の女性が現れた。尻込みする店番の男とほとんど同じ年齢に見える。


「お前、良いところに来た! このガキどもは泥棒だ! 早く警備兵を呼んでくれ!」

 恰幅のいい女性はまだ子供の二人と沢山の大金を詰め込んで膨らんだ布袋に目をやり、少し思案した。

「おい、何をしてるんだ! 早く警備兵を――」

「お黙り!」恰幅のいい女性は、店番の男に拳骨を喰らわせた。


「あんたってば、本当に人を見る目ってもんがないねぇ。ここは私に任せて、中の手伝いでもやって来な!」

「痛ッ! いきなり殴ることはないだろ! 俺はただ……」

 ぶつくさ言い訳をしながら、店番の男はしぶしぶ奥へと去っていく。


「うるさいねぇ! あと、周りに変なことを言い触らすんじゃないよ! 分かったかい!」

 振り返りながら、さらに怒声を上げた。それから、恰幅のいい女性はざわめいていた周囲の泊り客に目を向ける。

「うちの亭主がいきなり物騒なことわめきましてすいませんね、お客さん! 特に何の問題もありませんので、どうぞくつろいでくださいな!」


 恰幅のいい女性は愛想のいいにこやかな笑みを浮かべながら詫びた。すると、泊り客たちは一様に安堵したようだ。

 宿屋は落ち着きを取り戻し、それぞれのやりかけていた行動に戻っていった。


「あんたたちも嫌な思いをさせて悪かったねぇ。あたしがこの宿を切り盛りしている女主人のエスタナだよ。今奥がちょっと忙しくてね。うちの旦那に店番をさせてたとこなんだよ」

 ナファネスクたちに目をやると、エスタナは謝った。宿屋の名前は真実だった。

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