第15話『大悪魔ミダラー様の軍隊運営繁盛記2』


 金色のツインテールを弾ませ、邪竜王の天幕へテレポートした大悪魔ミダラー卿は、異様に迫った天幕とぐにゃりと柔らかい踏み応えに、初めは天井に目を向けたのだが、そっと足元を見てみた。


【これがお前の言う、少し変ったもの、か? 確かに、見た事も無い姿だが……】

【マ、マスター!?】


 マスターを踏み台にした、大悪魔ミダラー卿の侍女(メイド)服姿は、静かに真下から見上げられていた。


【や、だ……】


 全てを見られているのは判っているのだが、頬を赤らめてスカートの前を押さえる仕草で、そっとご主人様の上から降り立つと。


【い、今のは怒って良い所ですよ、マスター】


 そう、ご忠告申し上げた。極めて恥ずかしそうに。



【別に何のダメージも無いが? ああ、それにいくらか満たされた気分だよ】


 にこにこと上体を起こす邪竜王の胸には、ブーツの刻印が幾つも残っていた。


【もう……そんな事では示しがつきませんわ!】


 大悪魔ミダラー卿は、そっとお盆を床に置くと、懐からハンカチを取り出し、ご主人様の前に跪いては自分の足跡を拭き取った。


【無礼を働いた臣下には、罰をお与え下さい】

【ほほう……】


 くっと邪竜王の右腕が、大悪魔ミダラー卿のハンカチを持つ右腕を捉える。



【では、どの様な罰を望む?】


 ご主人様の深~いお言葉が、耳からだけで無く、全身のありとあらゆる所を駆け抜けて、響き渡った。

 それだけで意識の大半を因果地平まで吹き飛ばされたミルティアは、期待に膨らむ胸を隠す事無く、淫堕な表情に染まり、思わずその赤い唇を舐めた。


【与えられる側が喜ぶ様では、罰になりませんわ……】


 邪竜王のその手に、ミダラー卿の左手がそっと添えられる。


【それは難題だな……】


 二つの影は一つとなり、ゆっくりと始まる一つの唱和。



【あの~……】


 今日こそは、その決意を胸に、出納係の長であるゴブリンのゾッムは、その天幕の前に立った。


【失礼致します。その……そろそろ、書類の方は出来ておりますでしょうか……私の様な下賎な者が、邪竜王閣下にお手を煩わせるのも何ですが、そろそろ……そろそろ……】


 そう言いながら、そっと天幕の中へ。


【閣下?】


 先ずは相変わらず手付かずのままな書類の山に、ほお~っとため息をもらすゾッム。


【あの~……お留守でしょうか?】


 パンと何かが弾ける様な音がして、一瞬の閃光がゾッムの視界を焼いた。


【いひっ!?】


 身を縮こませ、きつく閉じた瞳をそろそろと開ける頃には、この天幕の奥にひそむ何かの正体に、ようやく気付く事となる。


 金の瞳が二つ、こちらを眺めている。恐ろしい、邪竜王閣下の瞳だ。

 そしてその前には、変な服装の、金髪を左右に大きく分けた女が跨り、こちらに背を向けていた。

 それだけで、邪竜王閣下がどの様な状態なのか悟ったゾッムは、その場で死を覚悟した。



【な~んだ、ゾッムじゃないか?】


 少しくぐもった女の声が聞こえ、何やら最近聞いた様なと、咄嗟に平伏していたゾッムは、おそるおそると顔を上げた。

 すると、邪竜王閣下に跨っていた女が、口元に手を当てて振り返っている。

 成る程、くぐもった声は口を押さえていたからか、と得心するゾッムであったが、その相手の女がどうもこちらの顔を知っているらしく、そこが死の恐怖に震える身には不思議でならなかった。



 そこで、大悪魔ミダラー卿は、口を押さえた手を離した。


【悪かったな。その書類、代筆で良ければ、あたしが後で処理するから、昼ぐらいにはまとまった量を返そう。それで良いか?】


 少し苦しげな声。


【め、滅相もありません! よ、喜んで! ……?】


 ゾッムは不思議そうにこちらを眺めていたが、その顔に対して異様に大きく見える眼球が、みるみる更に大きく見開かれる頃には、どうやらこちらの正体に気づいたらしい。


【あ、あんた……ミダラー様で?】

【遅いよ~あっ!? マ、マスター……何を?】


 不意に繋がったままの状態で、マスターが腰をうねらせ始めた。


【罰を与えねばならぬな……声を出してはならぬと申し付けたではないか?】

【こ、これは別です!】


 ゾッムに見られているのに、再び元気に動き始めてしまったご主人様に、顔を真っ赤にした大悪魔ミダラー卿は、弓なりにのけ反る様にして、逃れようとする。

 ぺったりと背を地に着け、邪竜王はそれにのしかかる様に追いかけた。


【いいや、声は声だ。もう一つ罰を与えねば、示しがつかぬな】

【そ、そんな……マスター……い、いじめないで……】



 くっと涙目で目線をそらす大悪魔ミダラー卿に、邪竜王は突如として言い知れぬ情動を覚え、白いシャツを淫らに着崩すその上へ更にのしかかった。


【いいや、駄目だね……その様な顔をするとは、実にけしからぬ……】


 相手の頭をその体ごと抱きかかえる様に、その耳元へ囁きかけると更なる追い討ちをかけて相手の狂態を導き出す。

 その様な状態にあっても、マスターマスターと己の事しか呼ばぬ可愛い女に、次はどの様な罰を与えようかと思案するその片隅で、視界に入った老ゴブリンに邪竜王は退出を命ずる事とした。


【ゾッムよ、下がりなさい】

【あ、後で中庭かここに取りに来てね~】


 不意にあっけらかんとした声が響き、邪竜王はびっくりして傍らの女の顔を見た。



【ま、まさか、いままでのは全部演技か?】

【な、な~にをおっしゃいますか~。マスターが私以外に気を逸らすから~】


 くすくす笑いながら、きゅっと抱き締めて来る女に、邪竜王は少し怒気を込めて挑みかかった。


【こいつめ!】

【あは……素敵です、マスター……】


 またもうっとりする声を奏で、互いの蛇が絡まる様に蠢く様は、立ち尽くすゾッムの老いた肉体にも春を巡らせたみたいだ。


【い、いかんいかん……】


 そうそうに変な走り方で退出すると、ゾッムは一目散に自分の天幕へと帰って行った。



 しゅるしゅると、着崩れた衣服を直す様を眺め、邪竜王は燃えきらぬくすぶりをその胸の中に漂わせていた。

 確かに、今の様に何者かが用事を携えて訪れて来ては、流石にバツも悪い。それが何度もあってはだ。

 出来うるなら、一日中どころか、一ヶ月中ぶっとおしで、いや一年か? 子作りに励んでいたい邪竜王であったが、軍の前線指揮官ともなるとそうはいかないのだ。例え、それがお飾りであったとしてもだ。



【お待たせ致しました】


 大悪魔ミダラー卿が、勇者ミルティアが、着崩れをすっかり元に戻した姿で振り向いた。


【マスター?】


 そのままで良かったのにな……と少し寂しく想う邪竜王であったが、ミダラー卿より差し出されたそれを見、再びミダラー卿の顔を眺める。とても良い表情で、暖かな笑顔を向けて来る。

 それは、人側の軍隊で、一般の兵士に支給されている普通の朝食だった。

 パンにスープにチーズと、実にシンプルな物だが、邪竜王にとってはとても珍しく映った。


【これは?】

【敵軍の朝のご飯です。もうスープは冷えてしまいましたが……】


 そういうと、ミルティアはパンをちぎってスープに浸し、それを滴らせながらスープ皿で受ける様にして、邪竜王の目の前へ差し出して見せた。


【お一つ、如何です?】

【ああ……】

 


 パクリと口にし、もぐもぐと……

 とてもこんな少量では食べた気がしない。

 邪竜王が口にするのは、普段なら生きた餌だ。目にしたものなら何でも食べた。馬や牛、ロック鳥やヒポグリフ……



 そんな残念な様を判るのだろう。

 ミルティアは、全て判っていますとばかりに頷いて、それを傍らに置いた。



【マスター。物足りないのではありませんか? それでも、最後に物を口にしたのはどれくらい前になりますか?】

【ん~……三年か? 牛の群れを襲って、平らげたな】

【それ以降、食べる必要は無かった?】

【ああ……一度食事をすると、何年でも昼寝をする。それが私の流儀だ】

【そこです!】


 ピッと指を一本立てて、ミルティアは大事な事だから、ことさらに強調してみせた。



【マスターと私達との大きな違いがそこにあります】

【どう違うのかね?】


 よくぞ聞いてくれましたとばかりに、ミルティアは説明お姉さんの気分になる。


【ご説明致しましょう。私達、小さき者達は、大概この食事を毎日、それも何回か取らなければ力が出せません。最悪、死んでしまいます。ところがマスターは一回のお食事で、何年も食べなくても済むお体をしているのです。この違いはどこから来るのでしょう? そこのところを、ご説明して参ります】


 まるでどこからか、パネルを取り出して比較してしまいそうな勢いだ。


【宜しいですか?】


 こくりと頷く、邪竜王。それを確認してから、ミルティアは賢者モードで続けた。


【人間達の中でも諸説色々御座いますが、私はこうではないかと考えております。すなわち、生まれた時期が違うのね!】


 さっと手を振ると、空間に光る文字が浮かび上がる。


【マスター等の古代種は、神々が天地創造の折に生み出した、最初の生物類と考えられております。すなわち、その時は捕食する様な生物があまり居なかった! となりますと、神々も最初にお作りになられた生物は、他種を捕食する必要性が無い、もしくは低い存在を創造されたのではないでしょうか? 神話の時代、神々が何も形が存在しない原初の世界で、どろどろとした物へ歌いかける事で形を与えたと言われております。七柱の神が造られたのが先か、地水火風の四大エレメンタルが分けられたのが先かは判りませんが、マスターは普段食事をなさらずに済むのは、呼吸から自然とエレメンタルを補給出来るお体をされているのでは無いか、というのが多くの錬金術師達の意見でもあります】

【私はそれ程に古い個体では無いがな】

【それでもマスターのお体を調べる事が出来るとなれば、こぞって私財を投げ打つ者が続出する事でしょう。そんな事はこの私が赦しませんが!】


 ぐっと両手の拳を握って、邪竜王の肉体を独占する宣言をしてしまう。



 そんな有様に吹き出しながら、邪竜王は訊ねてみた。


【お前は調べてみようとは思わないのか?】

【私がですか!?】


 びっくりした様子のミルティアは、そそと邪竜王の傍らに寄り添うと、その右腕をきゅっと抱き締めて頬を摺り寄せてきた。


【私は、こうしてマスターのお傍に居られるだけで幸せです。それ以上、何もいりません。それとも、マスターはご自分のお体を調べてみよとご命じになられますか?】

【そうだな……】


 邪竜王は少し考えた。左の手で、己の右腕に絡みつくミルティアの腕を撫でながら、それからそっと握った。


【マスター?】

【まだまだ時間はある。そう急ぐ事もあるまい】

【はい!】


 そう元気に返答するとミルティアはそのままの姿勢で、甘える様な仕草で話を続けた。



【私共の様に後から造られたと言われる種族は、身体も小さく、とても種類が多いんです。これは、細分化が進んだと申しましょうか、より物質の安定化が進んだ結果だと私は考えております】

【細分化と安定化?】

【はい。様々な物質は、エレメンタルが安定して組み合わさった姿だと思うのです。石なら地のエレメンタルが豊富で、他の種類は少ないでしょう。海の水なら? 暖炉の火なら? そよ吹く風は? 皆、それぞれに流動的ですが安定した姿では無いでしょうか? そして私の様な人もまたこの薄皮の下には血が流れ、体温が上下し、肺は空気を取り込もうとします。とても複雑にエレメンタルが組み合わさり、安定した姿と言えるでしょう。故にマスターの様な、強大な破壊のブレスを吐く事もありませんし、一回の食事で牛を何十頭も平らげるなんて事もありません。実にコンパクトに安定しているのです】

【成る程。我が破壊の力は、不安定故の産物と、お前はそう言うのだな?】

【物事は流動的であればある程に、大きな力となります。普段、魔法を攻撃に使う際にも、安定した所からバランスを崩してある種のエレメントの塊を生じさせ、それがある一定以上の大きさになった所へ移動のベクトルを与えます。すると、それが安定した物体に衝突した際には、その安定した状態を大きく崩す事となります。それが結果的に破壊だったりするのですが、まぁこれはかなり大雑把なお話ですので、聞き流して下さいませ】



 話が随分とそれてしまったので、ここで一区切り。


【最初に造られた存在は、身体も大きく、力も大きく、長命で、食べる行為にこだわる必要は少ない。逆に後から造られた存在は、身体も小さく、力も小さく、短命で、頻繁に食べなければ生きていけない。その代わり繁殖力は旺盛です】

【お前のその繁殖力に期待したところだな】


 すっと邪竜王の左手が、ミルティアの下腹部を撫でた。そして、ミルティアは気恥ずかしそうに、その手に己の両手を添えるのだった。


【はい……私も期待致します……】



 ちょっとした沈黙から、ミルティアは改めて話の続きをする事とした。まだまだ先はあるのだ。


【これら人の食事もまた、安定した物質で出来ていると言えます。それも他の物に変容し易い。消化されて身体を動かすエネルギーとなるのです。これは我が魔王軍の下級兵士達も、実は同じ事なんです】

【そうなのか!?】


 少し驚いた様子で、邪竜王はミルティアの美しい眼差しを覗き込む。

 それは一度伏せられて、肯定の意を伝えてきた。


【魔王様の兵隊も多くは、この食事を取らねば戦えません。その為に必要な手続きをするのが、あれらの書類の山だったのです。マスターには何がどういう意味をしているのか、ご理解出来なかった事と推測致しますが、貴方様のミルティアがどうしてこの様なお話をさせて戴いたのか、合点して戴けましたでしょうか?】

【うむ……ガッテンだ……すると、我が軍は?】

【おそらく、各部隊で略奪品を食いつぶしている状態なのではないでしょうか? 昨日、支給を受けた我が部隊も小さな種芋ばかりで、本来はこれを食べてしまうと、次の収穫が出来ないのではと心配される品でした。もしや魔王軍のこの度の南下は、重大な食糧不足によるものでは無いかと……国の疲弊を外へ逸らす為の、方便なのではありませんか?】

【そ、それは……】


 ぎゅっと手を握り締めてくるミルティアの、心配気な顔をみつめ、邪竜王は返答に言い淀んだ。ミルティアにしても、胸の中に膨らんだ小さなしみが、徐々に大きく広がっていく感覚を恐れる余りに、とうとう憶測で物事を口にしてしまった自分を恥じた。と同時に、その憶測は明らかな確信へと繋がっていってしまう。


【では、何故に魔王陛下はマスターをこの前線へ送られたのでしょう? 確かに、単独戦力としては最強。その投入に誰もが心を燃え立たせられた事でしょう。我が……いえ、人側の連合軍も大変肝を冷やされた想いでした。しかし、ならばなぜ、軍の内政にお詳しい方を、一人お付けにならなかったのでしょう? 知恵袋と呼ばれる程の方が四天王にはおられるのでしょう? 何故、その方が軍師として赴任されなかったのか? それは、国許を離れられない事情がおありだったのではありませんか?】

【……】



【マスターは要石。何者もここを突破して、本国へ攻め入る事は出来ないでしょう。またそれだけのリスクを犯して、挑もうとするだけの胆力や知力を兼ね備えた方は、人側の諸侯の中には居られない様に思えます。今のところは……】

【……】

【陛下のご指示は、このロードンの死守だったのでしょう? 決して、討って出よとは……】

【無い……その様なご下命は受けてはおらん】

【今のところは……】


 こくりと頷く邪竜王に、ミルティアはそっとその両の頬に手を差し伸べた。


【ならばまだ大丈夫です!】

【本当か?】


 沈みかけた邪竜王の表情が、その一言でパッと明るさを取り戻す。


【まだ時間が我らに味方しております! 本国の事はさておき、何事もマスター! 粘り腰で御座いますよ!】


 そう言って、ミルティアはくいくいっとその腰を、可愛らしくも淫らに振って見せた。

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