01-3.

「いいや、父さんたちは死ぬ時まで伊織のことを気にかけていたよ」


 あやかしは嘘と戯れる。


 真実と偽物の中を行き来し、他人の心の隙を突きながら生きていく。


 だからこそ、美香子の言葉は嘘ではないとわかってしまった。


「嘘だろ。俺に息子を返せと言ったんだ」


「なんだい。その後、大泣きをしていたのを知らないのかい?」


 美香子の言葉は伊織の思い出を撫ぜる。


 ようやく見つけてくれたと喜んでいた伊織を否定した両親の死に際を思い出す。息を引き取る瞬間を伊織は見ていない。


「……知らねえよ」


 錯乱状態を引き起こした両親に対し、怯え、逃げてしまった。


 自分自身を否定される恐怖に後退りをしてしまった。


 ……化け物だって言ったじゃねえか。


 それは姿をくらました当時よりも若返った姿だったからだろうか。


 それとも、軍の途方もない実験を知っていたのだろうか。


 ……返してくれって、言ったじゃねえか。


 今にも灯が消えそうな命を差し出そうとする両親の姿が頭を過った。


 それは事実だったのか。それとも都合の良い妄想か。それすらわからない。


「色々と話をしておくれ。母さんたちにも出来なかった分も、姉さんに教えておくれ。どうしてそんな姿になっちまったのかも、どうか、話しておくれ」


 伊織の気持ちとは異なり、美香子の願いは些細なものだった。


 それを叶える義務はない。しかし、行方不明となった弟の生存を信じていた姉に対して素っ気なく対応をすることも出来なかった。


「時間のある時でもいいか」


 伊織は困ったように笑う。


 涙を流しながら必死に言葉を紡ぐ美香子の願いを妨げられなかった。


「構わないよ。もうずいぶんと待ったんだよ。それよりも長いことはないだろうからね」


「そうかよ。楽観的だな、姉さん」


「長く生きりゃそうもなるもんだよ」


 美香子は自身の腕で涙を拭う。


「はは、長生きねえ。九十そこらはまだまだ子ども扱いだってのに。大きく出たもんだ。いいもんだねえ、人の子は。先のある人生を楽観的に生きられりゃあ幸せだ」


 伊織は和傘を揺らす。


「なんだい、これは。読めたもんじゃないねえ」


「そうだろうな」


 それから着物の中に仕舞ってあった巾着袋から長方形の紙を取り出す。


 それは名刺のようなものだ。


 自由気ままに生きることの多いあやかしたちの中で個性豊かな名刺を作ることが流行をした際、居場所としている鬼頭自警団の一員として作ったものだ。


「子どもの玩具だってしっかりと作っているもんだよ。これがなんだっていうんだい?」


 美香子の眼は昔より悪くなっているのだろう。


 渡された紙に書かれた文字を読もうとしている姿は寂しく思えてくる。


「大事なもんだ。今の俺の居場所だ」


「へえ、そうかい。伊織の居場所ならいいところなんだろうねえ」


 あやかしたちの中では日常的に使われている字は古い文体が多い。


 それは明治生まれの美香子でも読めない文字だった。


「会えてよかったよ。美香子姉さん」


 美香子の反応に対し、伊織は笑った。


 今度は上手に笑えただろうか。


 笑顔を浮かべれば鋭い牙が見える。人ではないそれに反応をすることもない美香子に対し、抱いたのは薄れつつある人としての培ってきた情だろう。


「さようなら、姉さん」


 それからもう一度、和傘を揺らす。


「……伊織?」


 何度も瞬きをしている美香子の表情も見慣れてしまった。


 伸ばせる範囲で手を大きく動かす美香子が見当違いな方向を向いていることを指摘もせず、伊織は歩き始める。


 和傘を揺らしただけだ。


 それだけの何気ない仕草を見逃しただけなのだが、美香子の視界から伊織が外れた。


「どこにいったんだい、伊織。こんな紙切れだけ残したってねえ、あたしは納得なんかしやしないよ!!」


 一度、外れてしまうとその姿を認識できなくなるのだろう。


 それはまだ美香子の寿命が残されていることを証明していた。


 ……あやかしとの縁なんて結ぶものじゃねえ。


 逃げるように立ち去ってしまったことに対する罪悪感はない。それどころか、思わず渡してしまった名刺を捨ててくれていることを願ってしまう。


 ……なにをしてるんだろうな。俺は。


 頭では理解をしていることだった。


 それなのにもかかわらず、心が追い付いていかない。


 二度と交わることはないと諦めていた縁だった。その視界には映ることはないのだろうと思っていた。


 万が一のことがあったとしても、両親の時のように受け入れられることはないのだろうと思うことで諦めたつもりだった。


「伊織!!」


 それらは全て意味がなかった。


 美香子は伊織の名を呼んでいる。昔のように笑いかけてくれた。


「どこに行っちまったんだい! 伊織!!」


 再び繋がった縁が恋しくなったのだろうか。


 途切れないように縋りつくかのように彼岸のものを渡していた。


 人間が生きる此岸の世界では存在をしない植物によって編み込まれた紙で作られた名刺は、美香子と伊織を結びつけるだろう。


 ……ごめん、姉さん。


 あやかしたちが好む彼岸のものは人間にはよくない影響を与える。

 あやかしと縁を結ぶのはよくないことだとわかっていた。

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