第10話 わたしが誰の家でデートしてたか、教えてあげましょうか?
イラストなどを一生懸命描いていると、才能ってなんだろうって思う事がある。
今の時代、ネットを見れば神絵師と呼ばれる人たちがたくさんいて、そういう人達の絵を描いている姿だって、人によっては動画などで上げていたりする。
そういうのを見ると、確かに実際その人達は凄いし、その人達の絵も凄い。
でも、それが実際の所どのように凄くて、何が凄いと思わせているのかという事を言語化しようとすると、話は難しくなる。
僕がそれに関して自分なりに思うのは、そういう人達の絵は、「自然である」と同時に「その絵にしかない輝きがある」という事だ。
絵というのは、自然である事が美しさを生むと僕は思う。
不自然な絵というのは、例えば人物の骨格が不自然だったり、場面に合わない不自然な表情になってしまっていたり、どこかで違和感を生じさせて、見る人がその絵に没入するのを妨げてしまうものなのだ。
自然な絵には、そういった不自然さは存在しない。
全ての要素が、調和して配置されていて、あるべき姿で輝きを放っている。そういうものが、僕が思う自然な絵だ。
とはいえもう一つの、その絵にしかない輝きがある事も、自然である事以上に重要だと僕は思う。
多少不格好で不自然な所があったとしても、その絵にしかない輝き、人間や花や木や海や動物などの輝きのようなものを、まったく見た事もないような形で描いている絵は、唯一無二で、何よりも価値がある絵だと僕は感じる。そういう絵は、どんな絵よりも見た者の感情を強く動かしてくる。
そしてそういう絵を描けるようになるためには、結局のところ、無心で絵を描くしかないのかなと僕は思っている。
無心で、没頭している時が、終わってみると一番いい絵が描けているのだ。
それを積み重ねて、少しずつうまくなっていく事で、いつの日か、僕にもそういう素晴らしい絵が描ける日が来ると、僕は無邪気に信じている。
最近は、ネットにイラストを上げると、結構いい反応が貰える事も増えてきた。
僕はそういうのに一喜一憂するのはそれほどいい事でもないと思っているし、いい反応も悪い反応もクールに対応できるくらいが、プロを目指すならちょうどいいと思っているが。
それでも、やはり褒められて自然に嬉しくなる感情を止める事は難しい。
だがそれまで貰ったどんな感想よりも、五花の心に僕の絵で何らかの影響を与えられた事は嬉しかった。
僕の言葉で、五花が泣いてくれた事ももっと嬉しかった。
僕は、本質的に他人の苦しみを無くしてあげたい人間なんだと思う。
他人の苦しみを分かち合って、それを少しだけでも解かしてあげられるような、そんな作品が作りたいんだ。
そういう意味では、単にイラストを描くだけではなく、もっと物語性やメッセージ性が強い、マンガや小説のようなものに手を出すのも面白いのかもしれないな。
そのあたりはまったくやった事が無かったから、完全に未知の世界で、怖くもあるけれど。
そんな事を考えていると、新学期が始まってまだ1週間だというのに、早くもかなり退屈に思えていた古文の授業が、気付けば終わっていた。一応ノートを取ってはいるが、内容は全く頭に入っていなかった。これは後々まずいかもな。
ともあれ、今日はこれで放課後だ。
僕はまだ部活というものに入っていなかったが、部活見学で海斗と一緒に美術部に行った時に、先輩方に僕のイラストを見せたら、結構熱心に誘われてしまっていた。
僕は油絵とか水彩画とか、そういうちょっと高尚っぽいものに何となく苦手意識があるだけで、そういう絵自体は見れば普通に美しいと思うし、そういうものを自分が生み出す事に、興味がないといえば嘘になる。
華の高校生活3年間を、部活にも入らず一人寂しく過ごすのも、つまらない話かもしれない。
そう思って、僕はもう一度美術部に遊びに行ってみる事にしようと思った。
まずは海斗を探そう。
そう思い、僕は隣のクラスを訪れる。
「海斗」
僕はちょうど鞄を持って教室を出ようとしていた海斗と出くわし、声をかける。
「卓。やあ」
海斗はその端整な顔立ちをふわりと微笑ませて、声を返してくれた。相変わらず格好いい奴だと素直に思う。
「放課後、美術部にまた遊びに行ってみようかなって思ったんだけどさ。海斗は今日、行くか?」
僕がそう問うと、海斗は表情を曇らせた。
「えっとね、行きたいのは山々なんだけど、今日はちょっと先約があるんだ」
「そっか。うーん、僕一人で行くのはちょっとハードル感じるなぁ」
「卓なら大丈夫だよ。行って来なよ。うちの美術部は、ガチな人はガチだけど、初心者にも優しく教える雰囲気があるみたいだから」
「まあ海斗がそういうなら。でも、用事ってなんなんだ?」
「うーん、秘密で」
そういって、海斗は悪戯げに笑って見せた。
なんだかその表情が少し辛い表情を押し隠しているようにも見えたのは、気のせいだったのだろうか。
何となく気になったが、ひとまず僕は軽い言葉を返す。
「友達に秘密はほどほどにしてほしいけどね」
「こういうとき、詳しく聞かない卓が好きだよ」
照れる事を言ってくれる。少女みたいな綺麗な顔立ちの海斗にそういう事を言われると、なんだか変な気持ちになってくるから止めてほしい。
「……ま、それじゃ、邪魔してもあれだし、僕は勇気を出して美術部に行ってみるよ。じゃあね」
「うん、それじゃあね」
僕はそういって、美術部に向かおうとする。
と、挨拶して後ろに振り返った海斗のポケットから、一枚のカードのようなものが落ちたのに僕は気づいた。
「海斗、落とし物だよ」
僕はそれを拾うと、それは病院の診察券のようだった。
この辺りでは一番大きな大学病院のもので、僕は不思議に思った。
そんな大きな病院に世話になる用事っていったいなんだろう?
「……ああ、ありがとう」
海斗は僕の疑問に気づいているのか、少し表情を硬くしながらも、僕からカードを受け取った。
まあ、人のこういった事情を自分から詮索するのは、あまりよくないかもしれない。
僕は海斗が自分から話すのを待つ事にした。
「実は今日は、病院に行くんだ」
「……そうなんだ」
「でも、その後にデートするんだよね、女の子と」
「え、マジ? 彼女いたの?」
思わず周囲を振り返ってしまうが、幸い近くに人はいなかった。
「まあね。人に言いたがらない子だから、誰にも言ってなかったんだけど。なんとなく、卓には言いたかったんだ。みんなには秘密で頼むよ」
「ああ、分かったよ。でも、流石だな、海斗」
「なにが流石なんだか」
僕はその海斗のサプライズ発表を、素直に祝福できた。
そうだよな、海斗は格好いいし、頭もいいし、センスもいいし、何より性格がいい。
これで彼女がいなかったら、逆に不自然ってものかもしれない。
「ま、そういう事なら余計邪魔すると悪いね。それじゃ、今度こそ僕は行くよ」
「うん。じゃあね」
そういう海斗の微笑みには、やはりどこか何かが辛そうな色が隠れているようにも思われたが……
僕はそれに気づかないフリをして、美術部に向かった。
美術部では、油絵の基礎などを教わりながら、実際にキャンパスに向かい、花瓶の花を描く作業をしてみた。
筆を持つのは授業以外では初めてなので、結構作業は不慣れな物になってしまい、正直描いている途中でも不格好になりそうなのが分かってしまったが。
先輩や他の入部希望の新入生とちょっとずつ仲良くなりながら、雑談したりするのは結構楽しかった。
これなら、入ってもいいかな。
僕はそう思って、家に帰る。
家に帰ると、五花はまだ帰宅していないようだった。
それもそのはず、五花は今朝、僕とすれ違ったときに、
「今日はたっくんではない彼氏とデートをします。晩御飯までには帰るんですけど、遅めになるので、よろしくです」
と言っていたのだ。
その時僕は、「たっくんではない彼氏」とわざわざ言う意味が分からなくて、かなり混乱していた。
そもそもなぜそれを僕に言うんだ。そんなのは勝手にすればいいだろう。
そう言いたかったが、なんとなくそう言ってしまうのも大切な何かが失われるような気がして、僕は、
「そう。いってらっしゃい」
としか言えなかった。五花はなぜか不機嫌そうな顔になったが、正直手に負えない。
ともあれ、おそらく今五花は彼氏とデートをしているわけだ。
そう思うと、僕はなんとなく心が落ち着かない。
先日の五花との会話は、今でも脳裏に焼き付いている。
五花の涙は、素直に美しかったし、僕の心に鮮烈な印象を残していた。
あの涙を、僕が流させたのだ。
そう思うと、五花という不可侵で絶対的な存在に、なんらかの影響を与えられてしまった事への戸惑いのようなものを感じる。
でも僕が感じているのはそれだけではない。
あれで泣くという事は、五花は僕について、少なくとも平凡でどうでもいいそこらへんのモブ男Cみたいな感覚では見ていないと言えるのではないだろうか。
そう思うと、僕は失われた自分への自信が回復しかけてくるのを感じたし、五花に重要と扱われているのだとしたら、それは素直に嬉しかった。
そう思うと、僕はやはり、五花の事が今でも好きなのだろう。
それは本当に認めたくない事実で、その事を考えるだけでも吐きそうになってしまうほど向き合いたくないトラウマが同居してもいたが。
それでも、僕は五花が好きなのだ。
だから、僕は五花が彼氏とデートしていると聞くと、落ち着かない。
いや、正直に言えば、彼氏の事を八つ裂きにしたいとすら思っているかもしれない。
僕はそんな野蛮で怒りに満ちた人間ではないつもりでいたが。
人間の心というのは、こういう事が起こるまで、自分でも良く分かっていないものなのかもしれない。
そして、そういう事を考えていると、あの夏の日々の苦しさや、浮気をされていた事への憎しみなども蘇ってきて、訳が分からなくなってくる。
だから、僕はそうした混乱から現実逃避するために、イラストを描いた。
下書きをして、おかしなところを訂正して、ペン入れを行い、色を塗り始める。
作業に没頭する事で、そうした落ち着かなさは一時的に忘れられた。
「ただいまです」
だが玄関から五花の帰ってきた声が聞こえた事で、僕は現実に引き戻される。
五花は、何を考えているのか、自分の部屋に鞄だけ投げ込む音がしたかと思えば、その足でそのまま僕の部屋を訪問した。
ノックの音に反応しないでいると、五花はそのまま僕の部屋に入ってくる。
前もそうだけど、なんでこいつは許可なく思春期の男子の部屋に入ってくるんだろう? 僕だからだろうか? 僕が舐められているのだろうか?
「やっほーです、たっくん。お元気ですか?」
「ちょうど今、元気がなくなったところ。キミのせいでね」
現れた五花の顔を振り返らず、僕はそのままイラスト作業を続けた。
「ひどいです、どうしてそういう事言うんですか? あ、もしかしてわたしが彼氏とデートしてたから、嫉妬してるんじゃないですか?」
残念ながら完全に図星だった。五花はこういう事に関して驚くほど鋭い。
そのまま五花は、僕の耳元まで顔を近づけると、こう囁いた。
「わたしが誰の家でデートしてたか、教えてあげましょうか?」
僕は思わず、がばりと五花を振り返ってしまう。
そんな僕に、その可愛らしすぎるほどに可愛らしい顔を天使みたいに微笑ませて、こう言った。
「朝森海斗くんですよ」
その瞬間、世界が歪んで壊れてしまったかのように、僕は感じた。
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