第8話 僕じゃなくて構わない?
先程は窓から差す月明かりが照らす暗い部屋でひと悶着あったわけだが、今は蛍光灯を灯している。そんな中、向き合って座ったお互いの顔を見つめながら、しばらく僕らは沈黙していた。
「……えっと、なんでこんな風に話をしようってなったんでしたっけ?」
その末に五花から出てきたのは、なんとも気の抜けた言葉だった。
「まあ、その、僕が『五花は、寂しいの?』って聞いて、五花が変な風になって、僕が心配になったからだけど……」
そう言うと、五花はまたしばらく沈黙してから、こう切り出した。
「……うん……そうですね……ぶっちゃけると、そうなんです……」
「そう?」
僕の相槌のような問いをきっかけに、五花は自らについて語りだした。
「えっとですね。たっくんの部屋を訪れたのは、寝れなかったからって言ったじゃないですか? これ驚かないで聞いてほしいんですけど……わたし、寂しいから、寝れなかったんです。寂しいだけで、まったく寝れなくなってたんですよ。このわたしが。笑っちゃうでしょう?」
僕は五花の話が続くのを、ひとまず黙って聞く事にした。
「わたし、無性に寂しくてしょうがなくなる発作みたいなのが、ちょこちょこ起きちゃうんです。馬鹿みたいですよね? こんな悪い事ばっかりやってるクズなのに、いっちょまえに寂しいんですよ? 本当、笑っちゃいます……」
五花の独白は、自分で自分を嘲笑うような、自分で自分を傷つけるような、そんな内向きの悪意に溢れていて……
だからこそ、これが彼女の、本心からの悲痛な叫びだと、僕は理解できてしまった。
何かを言わないといけない。
そんな衝動に駆られた。
「五花……五花は確かに悪い奴だし、見方によってはクズかもしれない」
そう言うと、五花は打ちのめされたような表情で、弱々しく笑った。
「そうですよね。本当、そうなんですよ」
僕は、そんな五花は見たくなかった。
だから勇気を出して、今までになく踏み込んだ言葉を紡いでいく。
「でも、例えば五花が寝れなくなるほど寂しくて、それに本当に苦しんでるんだとしたら、僕はそんな五花をなんとかしてあげたいと思うんだ」
「いきなり何を……今更口説いてるつもりですか? だとしたら……」
「そうじゃない」
僕は、身体を動かして五花に近づくと、五花の唇にそっと自分の人差し指を押し当てて、静かにするようにとメッセージを送る。
五花は、目を見開いて、驚いたように僕の指先を見つめていた。
「五花には、こんな酷い事ばかりされてる僕でも、思わず救って見せたいと思ってしまうくらいの、何かがあるんだ」
五花の目が、さらに見開かれる。
「それがなんなのかは、僕も未熟だから分からない。でもさ、とにかく僕は、五花を放っておけないと、そう感じてるんだ」
「たっくん……」
五花は捨てられた子犬のような弱々しい目つきで、僕に縋るような視線を送ってきていた。
僕はそんな五花がなんだか愛しく思えてしまって、こんな事を口にする。口にしてしまう。
「だから、五花は一人なんかじゃない。少なくとも、僕は今日から五花のお兄ちゃんではあるわけだし。妹が寂しくて寝れない時は、兄の部屋に入って、寂しさを紛らわしても、いいと思うんだ。僕の事を、頼ってくれよ。それで寂しさがどれくらい消えるかは、分からないけどさ」
「……」
五花はしばらく僕の言葉を咀嚼するように、じっと味わうような沈黙を続けた。
そしてその末に、こういった。
「わたし、たっくんの妹になれて良かったです……たっくんは、優しいですね。本当に、優しい……なのにそんなたっくんを、わたしは……わたしは、酷いことを……今まで散々……」
喜んだ笑顔を見せたかと思えば、五花はとたんに表情を歪めて、辛そうな顔をする。
その表情の変化に、僕まで感情を揺さぶられて、不安定になってしまう。
「たっくん。わたしに言いたい事とかないですか? あったらここで言って、すっきりしてほしいです。わたし、今まで他人の事、同じ人間として認めた事なかったんですけど、たっくんの事、今初めて認めちゃってるみたいなんです。だから、たっくんにだけは、対等な人間として認めてほしいです。そんな感じに、なってます。だから、なんでもいう事を聞く覚悟で、これを言っています」
五花は真剣さを帯びた表情で、僕の左手を両手で掴んで、力を込めてそう言った。
僕はその五花らしからぬ言動に驚きながらも、そこに右手を合流させて、逆に五花の左手を中心にぎゅっと握りかえした。ここは間違えてはいけない所だと思った。
「五花の事、教えてほしいかな。もう遅いし、今度でもいいけど。一緒の家で暮らすわけだし、お互いの事、もっと深く知ってもいいと思うんだ」
そう言うと、五花は驚いたように目を丸くする。
「……そんなのしかないのですか? もっと、浮気した事を土下座して謝れ、とか、俺のたぎりにたぎった性欲を一回でいいから発散させろ、とかそういうのをぶつけてくる感じを想像していたんですけど……」
僕は少し呆れて、こういった。
「そりゃ、そういう感情もゼロとは言わないけどさ……僕はこれでも、五花の事、好きだったんだぞ? それもめちゃくちゃ、超がつくくらい好きだったんだ」
そして、自然と笑みを浮かべながら、こう言えた。
「男は本当に好きな女の子を前にすると、何よりもまず、笑ってほしいものなんだよ」
ちょっと格好つけられたかなと思って五花を見ると、五花はぶるりと身体を震わせて、頬を赤らめて目を潤ませていた。
あれ、この反応は……思った以上に、刺さった?
「うう、ううう、ううううう……! そんなのでたらめだって! そんなのバカみたいだって! そういってやりたいのに……!」
五花は、気付けば泣いていた。
「どうしてこんなに嬉しいんですか! どうしてこんなに嬉しい事を、言えるんですか! わたしは! こんなの、でたらめにきまってるのに! どうして……! こんなに……」
気づけば、五花はひっく、ひっくとしゃくりあげていた。
僕は驚いていた。
僕なんかの言葉が、あの五花という不可侵であるかのように思えた少女を、こんなにも変化させられたなんて。
だが、驚く以上に、今は言ってあげたい言葉があった。
「五花。とりあえずさ。もう浮気なんてやめよう。付き合う男は一人にするんだ。それは僕じゃなくて構わない。でもその一人を、ちゃんと大事に、大事にして、愛を与えるんだ。そうすれば、必ずその男が、特大の愛を返してくれる。その愛が、五花のその寂しさを埋めてくれる」
「ひっく! うええ! うえええええええ! どうしてたっくんは! たっくんが! たっくんがあああああああ!」
五花の言葉はもはや支離滅裂で、何が言いたいのかはよく分からなかった。
だけど、確かにその言葉は、五花の心に何かの爪痕を残す事には成功したらしい。
翌日、学校から帰った後、しばらく後に帰ってきた五花はこういった。
「……付き合ってる男は一人にしました。なんか、浮気とかダサいなってふと思いましたし。でもそれはたっくんじゃないですからね。たっくんじゃなくて構わないらしいですから」
僕はその変化に、思わずあんぐり口を開けて驚き……
五花はふんっと可愛らしくそっぽを向いてしまう。
そして僕は――もし「僕じゃなくて構わない」なんて余計な事を言わなければ、五花に選ばれた一人は誰だったのだろうか、とそんなあらぬ妄想をしてしまうのだった。
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