第7話 藤 2

 獣の尾は蛇だった。

 頭は猿、手足は虎、胴は狸。


 月明かりがその巨体を写しだしていた。

 その隣に寄り添うように女性が立っている。


 まるで恋をするような、熱を含んだ瞳で。


 もう一度、尾が地面を叩く。すると女性の手がスッと動いた。何の迷いもない動き。

 その動きを、目で追う。


 何のためらいもなく、悲鳴すら上げずに女性は首に短刀を滑らせた。

 長い髪が一緒に切り落とされていく。


 ゴトリ、と音を立て首が落ちた。


 側にいた獣が歓喜の鳴き声を上げる。その鳴き声はトラツグミ。

 あれは……あれは――――!


「鵺……」


 そう呟くと、鵺の顔が私を捕らえた。そしてニヤリと笑ったのだ。


「燕!」


 パシン、と音がして瞬時に頬が熱くなる。

 目の前では叔母様が不安そうな表情で私をのぞき見ていた。


「お、叔母様……」

「燕、飲み込まれてはいけないと教えたでしょう?」

「はい、はい……ごめんなさい。でも、アレは……」

「アレ?」

「アレは、鵺です」


 ぽつりと呟くと蘇芳様が腰を上げる。


「鵺だって!?」

「はい。鵺でした。この短刀は危険です。女性の首を落とした」

「その女性の特徴、いえる?」


 蘇芳様の言葉に私は女性の姿を思いだす。闇夜の中でも目立つ艶やかな黒い髪。そして目元にほくろがあった。


 年の頃は私よりも上。

 たぶん十五~十六ぐらい。若葉色の重ねを着ていた。

 その情報を伝えると、蘇芳様は険しい表情になる。


「鵺が、いたといったね?」

「はい。伝承にある姿でした。ただ……」

「そうだね。鵺の姿が伝承の通りかどうかは誰も知らない」

「その通りです」

「でも鵺の姿だった、か――――」


 蘇芳様は私の言葉に考え込む。

 鵺とは伝説上の災厄を呼ぶ獣。


 大昔にこの湟国を半壊にせしめた、存在だ。

 そのとき、龍がこの国を守った。龍は鵺を退治した代わりに、当時の帝の娘を望んだのだ。


 その子孫が帝や蘇芳様、旭たち。

 だから鵺は、特別な意味を持つ。


 私は手に持っていた短刀に視線を落とす。乱れ刃の、短刀。月明かりの中、波紋がきらめいて見えた。


 刀身に自分の姿が映る。


 おおーい、おおーい。ここだ、ここだ。

 ここにいる。ここにいるぞ。


 呼びかけてくる声。その声に聞き覚えがあった。

 遠い、遠い昔にどこかで聞いた。


 刀身に写ったのは――――淡紫の瞳。

 私じゃ、ない。


「……帝、さま?」

「え? どうしたの、燕」

「え?」


 パチン、と音がしたかのように思考がハッキリする。

 もう一度刀身を見れば、見事な乱れ刃で……私の姿が映るのみだった。相変わらず、私を拒絶するようなそんな感覚を受ける。


 なんだっけ、なんだろ? 今なにか……??


「燕?」

「あ、いえ……なんでもありません」


 心配そうな顔をする蘇芳様に問題ないと、頭を振ってみせる。

 もうそのときには、刀身に写ったモノのことなど忘れてしまっていた。


「本当に? 大丈夫なの?? 僕が頼んだせいで何かあるのはイヤだよ」

「本当に大丈夫です。でも、この短刀はお相手様に返さない方がよいかと」

「それは、そうだね。それで首を落とされたらたまらない」

「はい。何のためらいもなく落としていましたし……」

「ですが、女の力で自らの首を落とせるものかしら?」


 叔母様の問いに、私たちは顔を見合わせる。普通に考えると無理だ。

 そもそも人間の首には骨がある。短刀で喉を突くことはできても、切り落とすなら太刀の方がいいだろう。


 それもよく切れる太刀。

 上から振り下ろせば、綺麗に切れる。


 短刀にそれが可能かどうか? そもそも短刀はお守りとして渡されることが多い。

 つまり首を切り落とすことに特化してるわけではないのだ。


 私は蘇芳様に視線を向ける。


 この中で刀を扱うとすれば、蘇芳様ぐらい。そりゃ私も脇差しなら持てなくはないけど……それよりも符術と呼ばれる、呪符を使う方が楽だ。

 アレはちょっとした脅しに仕える。


「刀って……扱うのに、それなりに訓練がいりますよね?」

「そりゃあね。下手すれば自分を傷つけかねないし。それを考えると、この短刀にはなにか呪でもかかってるのかな?」

「持った感じではなにも……叔母様も持たれてみますか?」


 そういって一端鞘に納めた短刀を手渡す。

 叔母様は鞘から短刀を抜き、じっくりと眺めていたが私の意見を肯定するように頷いた。


「確かに。これには何も呪はかかっていませんね。綺麗な、乱れ刃の短刀です」

「うーん……桃花鳥様や燕の言葉を信じないわけではないけれど、じゃあどうしてこの短刀を他人に触らせるのを嫌がったんだろう?」

「短刀が問題なのではなく、大事な相手から貰った物が大事なのでは?」

「ああ、それは確かに。でも鵺から貰った短刀かあ……」

「鵺が必ずしも鵺の姿をしているとは限りませんよ?」

「人の姿に化けていると?」

「可能性の話です」


 叔母様の言葉にも一理ある。

 あの巨体で貴族の屋敷に現れたら目立つ。そもそも屋敷に入るのだろうか?

 それなら人の姿に化けて、屋敷に潜り込んだ方が確実だと思う。


 人の姿に化ける、という意味では揚羽や三葉もそうだし。

 鵺が化けられない理由もない。


「そうなると、どうすればいいかな?」

「陰陽領の方々か、もしくは阿闍梨を頼られては?」

「そうしたいのは山々だけど、鵺といって信じてくれるか……」

「そうですね。その問題がありましたか……今の時点では、娘の元に見知らぬ男が通っているだけですものね」


 未来とは不確定なモノ。私が今、見たものは起こりえる未来の一つ。

 変えようと思えば、変えられる可能性もあるし……変えてもやはり同じ道を辿ることもあるのだ。


 それは叔母様の元にきてからわかったこと。

 私のを見る力は不安定で、それでいて必ずしも知っている人の先を見るわけではない。


 全く知らない人の先が見えるときもある。

 それは白昼夢のときもあったし、夢の中で見ることもあった。


 それらを全部まとめて、紙に書き記してある。

 何かの役に立つかもしれないからだ。


 今回に関しては、相手が鵺であるなら人の身で対峙できるのか? という問題はあるけれど、鵺というのが比喩的な映像として出てきている可能性もある。


 相手が本当に人であるなら、人の姿を取るだろう。

 しかし人ではなく、妖の類いなら……


 本来なら、こういった妖が入らないように斎宮が祈りを捧げ結界を張るのだけどね。

 今は形骸化されて、陰陽領の術者がいればなんとかなるだろう。そう思われているのかもしれない。


 それだけ平和だった、ともいえるが。

 ただ短刀だけでなく、実際に相手の女性を見ることで別のモノが見える可能性がある。


「……試しに、私をその方のお屋敷に連れて行っていただくことは可能ですか?」

「えっと……でも大丈夫?」

「何かできるわけではありませんが、私が見た屋敷とそのお屋敷が違えば多少は……」

「あーなるほど。移動した先でって可能性もあるよね」

「まあ移動しなくても、という可能性はあります」

「必然か、そうでないか、ってこと?」

「そうですね……その判断は私にはできませんが」


 見てしまったからには、このまま知らん顔もできない。

 そもそもそのつもりなら蘇芳様は私に見てほしいなんていわないだろう。


 これでこの方は、面倒ごとをここに持ってくれば解決してくれる。なんて勝手に思っているのだから。


「それならお願いしようかな。一応、ひわくんも連れていくから何かあっても大丈夫だよ」

「葛城様もお気の毒に……」

「そうはいってもねぇ……彼、腕が立つから仕方ないよね」

「一応、ご本人に許可取ってくださいよ?」

「本人に許可取らなくても、彼の上司に許可を取れば大丈夫だよ」


 なんだかんだいって人が良いんだ、彼。と蘇芳様はニコニコ笑っている。

 私は心の中でこの場にいない、人の良い武人に手を合わせた。


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