おどあほ そんそん

雲八

前編 私の親友はとんでもない奴のことを好きになっていた

「私、普通すぎるんだよね。嫌になるくらい」


 ミキがつぶやいた。十五歳の私たちにとっては、「普通」であることは苦痛だ。けど、こんなありきたりな悩みは、たぶん五十年以上前から世の中の十五歳の悩み事ベスト3に入ってきたと思う。

 もはや「普通」について悩むことが「普通」だ。私は、そのことにけっこう早く気が付いたので、ミキのような思春期ループからは抜け出している。


「どんなとこが?」

「なんていうか、ユウキの隣にいるといつもそう思う」

「なんで?」


 昼休み、二人並んで教室の窓から校庭を見ていた。中等部三年の冬。よくある深刻な悩みを抱えたミキと、「別に普通とか、普通じゃないとかどうでもよくない」と気軽に言えない私。

 ミキは私の質問には答えてくれなかった。それでも全然いい。

 二人でぼおっとしてるこの数分間が、なんとなく私とミキの全てだと感じた。


 放課後は部活。ミキは吹奏楽部、私はバスケ部。お互い十八時に部活が終わると、正門で待ち合わせて一緒に帰る。約束してるわけじゃないけど、いつからかそんな流れになった。


「ごめん、ちょっと遅くなった」


 私が軽く謝ると、ミキがスマホから顔を上げた。二人で並んで進む。駅までの道は人通りも少ない。私たちの学校は住宅街にあって、途中にコンビニもない。

 ときどきぽつりぽつりと暗い道に現れる妙に明るい自販機が私はなんだか好きだった。ああ、人がここで生活してるなって、変な嬉しさが込み上げてくる。夜に見る自販機の光は私の胸にキュンとくる。


「夜に見る自販機の明かりってよくない? なんか人がここで生活してるなって思えてこない?」

 私は思ったことをそのままミキに伝えてみた。実は夜の自販機の光の方が、太陽の光より好きなんだ。

「そういうとこなんだよね」

「なにが?」

「ユウキのそういうの自然に言えちゃうとこ。そんなの、私思ったことないもん。そういうの聞くと、ああ、私って普通だなって思うんだよね」


 私にはミキの考える「普通」がよく分からなくなった。要は、自分が思い浮かばないような発想をする人に憧れてるってだけみたい。そんなの、私に限らず、誰に対してもなんとでも思えるんじゃないの?


 標準ってある意味無敵。どうにでもなれるし、なんでも受け入れることのできる最強の枠組みじゃん。ミキだから許せるけど、他のやつがそんなこと言ってきたら距離置くかな。だって、自分を無敵だと思ってる奴には勝てないからどうしても自分がダサくなる。


 私とミキが出会ったのは中等部だった。私たちの学校は神奈川にある初等部から大学まである一貫校で、私は初等部からの入学組だったけど、ミキは中等部からの入学組だった。

 私たちは同じクラスになり、同じ班になった。ゴールデンウイーク前に親睦も兼ねた山登りという楽しくもなく、別に親睦を兼ねるなら山登んなくてもいいじゃん的な行事がある。私たちはいかに山登りが疲れるだけで意味がないか、愚痴を言い合うことで意気投合した。


 それまで一クラスしかなかった初等部が、中等部からの入学者によって、急に三クラスになった。私たちがいた平和な箱庭に、外来種がやってきて、生態系を一気に変えた。

 親友だった坊ちゃん刈りの雄一郎は、ロックの洗礼を浴びて、髪をモヒカンにすると、制服の上に革ジャンを着始めた。クラスのリーダーだった隼人君は、外から来た不気味なほど優秀な連中に気おされ、すっかり闇落ちした。

 私だって、外の世界の空気に触れ、かなり影響を受けた。どうでもいいと思って、なんの興味もなかった化粧品が何よりも宝物になった。理容店から美容室に切り替えたし。

 初等部の頃の、いかにも少年な私はもう見る影もない。ほんの三年で世界は変わる。変わる前の世界には、もう誰も帰れない。


「来週、いよいよダンスパーティーだね」

 ミキが道の先の暗闇を見つめながら切り出した。ミキのタイヤが緩やかに回る。何か大きなパワーをためているようだ。


「私、田中のこと誘ってみようと思うんだ」

「まじ? ついに決めたんだ」


 私はミキが田中のことが好きだということはもちろん知っていた。田中もミキと同じ中等部から入学した一人。私と田中は同じクラスだったから、隣のクラスのミキに田中のことをよく聞かれた。


「田中、まだ彼女とかいないよね」

「たぶん。そんな仲良くないから分かんないけど。彼女とかは聞かないね」


 正直なことを言えば、私は田中が嫌いだった。私たちバスケ部となぜかずっと仲が悪い将棋部のエース、それが田中。マッシュルームカットで、いつも薄ら笑いを浮かべている。


「でも、誘うんだったら早い方がいいんじゃない?」

「そうなんだよね。そうとは分かってるんだけどさ」


 ミキがため息をついた。ミキのため息は白いもやになって、冬の夜道に溶けていった。隣を歩く私は、そんな空気に溶けたミキの悩みを吸い込んでしまったのかもしれない。なぜだか私も気が重くなる。


 そんなこんなで駅に着くころには、私もミキも無言になっていた。ミキは「家帰ったら、連絡する」と言って、車椅子を上手に操り、バスに乗って帰っていた。

 私は一人、駅のホームに立ってスマホをいじる。でかくて硬くて光っているイモムシみたいな電車の腹の中に入ると、終点までぐっすり眠ってしまった。

結局、帰ってからもミキとスマホで二時間も話した。私にとっても、ミキにとっても、どうでもいいような話だった。ミキは「普通」を嫌がる割には、話題の幅が狭かった。

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