第7話 ニードル

 いつかのカトラは回想する。あの初対面のタカランの行動は正常である、と。厳しい環境で生き抜いてきた彼女にとって、無人島でふと現れた見知らぬ子供二人は絶対的に警戒の対象であると。

 子供を使う非道な悪党の使いっ走り、魔物が可哀想な子供の形をしている。さまざまな可能性が考えられる。


 だがこの時のカトラは武器を前に戦えなんて、タカランの鬼のような言動に泣き出しそうだった。一撃当てたら勝ちなんていう甘い条件ではない。タカランはカトラに勝利を求めたのだ。自ら達の安全のために。


「剣……」


 海賊がよく持つ半月のように湾曲した剣の柄を握ってみた。御伽話でも、ファンタジー小説でもよく見る武器。カトラはそれを持ち上げてみる。


「んっ……お、重……!」


 両手で万力のように柄を握りしめてやっとのことで剣を持ち上げられた。


「剣ね。まずはオーソドックスだね」


 タカランの言葉ほどカトラは考えていなかった。彼女にとって武器といえば剣だった。英雄タコメシも、御伽話の主人公ウラータルも使っていたという武器が一番しっくりきた。


 槍や弓、ハンマーなんてどう使えばいいのかわからなかった。ハンマーに至っては杭を打つ以外の用途を思いつかない。


 やっとの思いで剣をかまえ、タカランの前に立ってみる。


「緊張してるね。硬くなるのは早いねぇ」


 カトラは故意に人を傷つけたことはない。村で同年代の喧嘩が起きたら諌めるか、傍観するかだった。


 カトラは耳に心臓の音が聞こえてきた。手汗で剣が滑り落ちそうだった。息も浅い。満足に呼吸ができない。しかし今自分が逃げれば安全が保障されない。子供達が危険に晒される。


「やるしか……ないんだ」


 絶叫と共に、カトラは地を蹴った。剣の重さにフラフラとバランスを崩しながら、タカランに突進する。上に振り上げて振り下ろすなんて芸当は彼女には不可能だ。胸の前で剣を両手で固定し、突き刺すように進む。


 血走った目、ぐっと噛み締めた歯を見せながら彼女の初めての攻撃が幕を開けた。


 タカランは剣の切先をタカのような鋭い眼光で見極め、鉄拳で剣の側面を叩いた。


 その衝撃で剣を強く握っていたカトラはぐるりと視界が反転して転がされる。


地面に背をつけ、ホコリが立つ。砂が目に入る。涙に目を滲ませながらタカランを逃がすまいと視線を上げた時、彼女の腹をサイの突進のような一撃が捉えた。


 絶対刺された。そう思った。彼女はその一撃の後痛みに悶え、のたうちまわった。腹を掻きむしるように抑える。しかし手は鮮血に染まることはなかった。


「カトラさん!」


「蹴っただけだよ。早く立ちな」


 タカランは微塵も油断しない。カトラの四肢と獲物から目を離さない。


 カトラはやっとの思いで立ち上がった、と思うと足元がふらついた。視界がフレームごとグラグラと傾く。胃の中はすでにぶちまけていた。カトラはゴシゴシと顔を拭くと、武器置き場に走った。剣では勝てない。そう判断した。彼女が次に手に取ったのはピストルだった。


「弾は込めてあるよ。数発ね。一つはあんた、もう一つはオレンジ髪のガキにぶち込もうか」


 カトラは狂ったように叫び、引き金を引いた。手が透明な暴漢に殴られたように弾かれた。体軸がひっくり返り、その場に尻餅をつく。カトラがタカランを見るも、彼女は無傷のまま近づいてくる。


「撃ったことないのかい。舐められたモンだね」


 ジタバタと砂を散らして彼女は再び武器置き場に走った。剣もダメ。ピストルもダメ。彼女は敷物にいっぱい置かれた武器をくまなくみてみたが、勝算を見出せなかった。


 ふと右頬に影と気配を感じた。そちらを見る前に彼女は頭蓋骨が砕かれるような衝撃に襲われた。首が外れそうだった。


 剣の側面で叩かれたカトラ。戦士ならば泣かない。カトラは戦士ではないので、どんどん涙が溢れてきた。歯をガチガチと震わせ、顔を手で覆った。タカランは舌打ちをした。


「なんだい。無人島にいるってことは海に出たってことだろう。そんな覚悟で海に出たのかい?」


「ち、違う……私はただ、きらきらし、た宝石を……探し……たいだけ!なんで……こんな目に遭わなきゃならないの」


顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。もう立つ気力もなかった。


 なぜこんなにもの暴力に晒されなければならないのか。村を破壊された国家の暴力。無人島に流された自然の暴力。そしてタカランに追い詰められる、人の暴力。宝石を手に入れたい彼女の夢とはなんの関係もない。だから彼女は赤子のように泣き叫ぶ。


 タカランは少し黙った後、剣の切先をカトラの喉元に向けた。


「残念だったね。暴力、邪魔なんてのは人が進む限り、無関係でいられないんだよ」


「そ、そんなの……ひ、ひどいよ」


「あたしもひどいと思うさ。思うだけ、さ。歯を食いしばりな」


 タカランは拳を握りしめ、カトラの顔面目掛けて振り抜いた。石を水面にぶつけたときのような音がする。カトラはモロに拳をうけて、そのまま突っ伏す。砂浜に鮮血が散る。


「いろいろあるんだろうけど、さよならだ」


 項垂れるカトラに、ギロチンのように刃が迫る。カトラはもう何も聞こえなかった。感じなかった。一つだけ残った感覚。それは視覚だ。視界の端に数十本の針の束が見えた。

 

 縫い物を教えてもらった村の記憶が蘇る。カトラは息を思い切り吸い込んだ。満足にすえていないのはわかっていた。


 カトラは思い切り身を捩った。体軸ごとずらしたので、彼女への刃は砂に突き刺さる。タカランは目を見開く。


 カトラは針の束を拾い上げ、素早く立ちあがる。どこか皮が剥がれたように思えた。鋭い先の一撃から素人のカトラが完璧な回避をできるわけがない。しかしカトラはそれを考えないことにした。


「お願い、お願いみんな……まだ終わりたくない。


 カトラは針の束を片手に持ち、もう片方の手で二、三本の針を引き抜いた。熱い涙が首筋まで流れるのを感じながら、あざだらけの顔面でタカランを睨む。タカランは目を細めた。


「次は終わらせるよ」


 カトラは針をぎゅっと食い込まんばかりに握りしめる。


「そうだね。


 縫い物を教えてくれた村の女性は決して針を人を傷つけることには使わない。彼女のことはカトラは好きだった。しかしカトラは針で今人を傷つけんとしている。

 



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