第3話 レフターズ
カトラとヨンワリは軋むドアを開き、船室を出た。カトラはヨンワリが久々の日差しにショックを受けるかと思い、チラリと彼の方を見たが杞憂だった。
「心配しないでくれ。もうショック受ける機能もない」
ヨンワリはボロボロと肉片を落としながら伸びをした。不思議とそんな光景に慣れをカトラは感じていた。
ビネアホエール号の上から彼女は水平線を見渡す。そして後方へと目線をやる。まだ村の港がうっすらと見えていた。喧騒こそすでに聞こえないが、村からは煙が立っているのが見える。指抜きを手のひらで転がしてみる。ちょっと仲のいいお姉さんからの貰い物。それだけだ。しかしどうしても胸が締め付けられた。
「キャプテン、戻ることも可能です」
ビネアホエール号は速度を落とし、カトラにそう伝えた。しかし彼女はブンブンと首を振る。
「もう決めたの。宝石を見つけるって。それが今やるべきことなの」
「アイ、アイ、サー。では具体的にどこへ?」
カトラは少し目を白黒させ、ヨンワリの方へと視線を送る。しかし彼は首を傾げて肩をすくめた。
「わかんない。じゃあ、あの船の人たちに聞こう」
「あの船?キャプテン、なんのことを言ってるんだ?」
「あれ」
カトラは水平線へと指を刺した。最初ヨンワリには青々とした水しか見えなかったが、よく目を凝らすと帆が見えた。見つけるや否や彼は口笛を吹こうとしたが上手く鳴らなかった。
「よく見えるな。でもあれは危ない船かもしれないぜ?軍のならラッキー、海賊ならアウトだ」
ヨンワリは一旦船室に引っ込むと、かたがた音を立ててから戻ってきた。その手には傷だらけ、持ち手は腐りかけの望遠鏡があった。それをカトラは受け取ると船の方に向けて覗き込んだ。
「知らない帆。でも制服を着てる人が一人乗ってる。きっと安全だ」
ビネアホエール号に頼んで進路を少し右側にずらしてもらう。視線の先の船にどんどん近づいていく。
緑色の船だった。家一軒ほどの大きさの船で、看板には制服のボタンがはち切れんばかりの白髪の小太りの男がいた。
ビネアホエール号から視認できたということはこの船からも視認できていた。小太りの男はビネアホエール号に向かってメガホンで呼びかけた。
「お嬢さん、どこの許可を得た船かね?海賊じゃないだろうね。船長を出して」
メガホンなどという高尚なものは沈んでいた船にはない。カトラは大声で叫び返した。
「私がキャプテン!私しかいない。それより聞きたいこ……」
「難破船か!よーし……こちらへ来るんだ。助けてあげよう。パンも毛布もある」
つばの音がメガホン越しでも伝わるような叫び方をする男。カトラは首を傾げた。話を聞いてもらえない。再び叫んで、聞きたいことがあると言っても相手方の船はどんどんと近づいてきた。
あぐらをかいて相手の船から見えないようにしていたヨンワリは眉を顰め、小声でカトラに言った。
「相手の話を聞かなすぎる……何かおかしい。キャプテン、奴らから離れた方がいい」
その言葉が終わるや否や、ビネアホエール号の甲板の淵へ鉤爪が飛んできた。そこから伸びる鎖を握るのは先ほどからカトラに話しかけてきている男だ。
「さぁ、さぁ!助けてあげよう!早く、早く!こっちへ来るんだ!来い!」
カトラはやっと相手の異常性に気がついた。男はカトラを保護と言っているが、それが過剰すぎるのだ。
「ビネアホエール号!逃げて!」
「行かせるかぁ!」
スルスルと鎖を蛇のようにとんでもない速度で男が伝って来る。その後ろには同じ制服をきた男たちが続く。
甲板を踏みつけるかのように小太りの男はビネアホエール号へと足を踏み入れた。彼は後退りするカトラに向かって歩み寄っていく。
「来なさい。あと一人なんだ」
「ひ、ひとり……?」
「村を襲撃した別部隊の奴らめ……娘一人を逃しおって……納めものはわしで補填しなくては……!」
言葉の最後の方はほぼ男の独り言で、カトラには聞こえていなかった。彼女に伝わって来るのはただの執着心だ。
「た、助けてくれるって言った割には……その手錠はなに?」
男は何も言わない。ただ腰のベルトから手錠を外し、輪を開けた。取り繕ったような笑顔は彼の顔から消えていた。鬼のような形相と血走ったまなこでカトラに近づく。時計を見て彼は舌打ちをした。
「まずいまずい!」
なりふり構わないというように、彼はカトラに飛び掛かる。カトラは男の勢いに圧倒され、その場に尻餅をついた。ここぞとばかりに男がカトラの腕を掴む。
その男の腕を掴む手があった。そこから伸びる腕は骨が露出し、腐った肉が付着していた。小太りの男はギョッとして手を引っ込めた。男の手を掴んだのはヨンワリだった。
「キャプテンから手を離すんだ」
「ひっ、ひぃぃっ!なんだ、お前は?!」
ヨンワリは男の肩にもたれかかるように掴み掛かる。男にとって腐乱した肉体に掴まれるのは初めての体験だ。男は恐怖のあまり、ビネアホエール号の甲板の柵まで後退した。そこにヨンワリが迫る。
「やってることが外道に近い。キャプテンに近づくんじゃあない」
「や、やめろ!近づくな!」
ヨンワリに痛みを感じる機関はすでにない。しかし彼はふくらはぎからしたがどんどんと崩れていくのを感じた。しかし歩みを止めない。その様子を見ながらカトラは動けなかった。
「や、やめろぉっっっ!」
がくがくと顎を鳴らし、手を前に突き出す男。そこに腕を絡めるヨンワリ。
男は柵からのけぞって落ちそうになる。ヨンワリは勢いを緩めず、男にどんどんと圧と体重をかけていく。
カトラはやっと立ち上がり、叫んだ。ヨンワリが何をしようとしているのかわかったのだ。
「まってよ、ヨンワリ!残ってること、一緒にやるんでしょ?!」
ヨンワリは首を百八十度回転させ、唇のない口で歯を見せてニカリと笑う。
「残ったことをやるの、頑張れよ。キャプテン」
そのままヨンワリは男と柵の向こうに落下していく。船のボディを滑るように落ち、水柱が立った。手を伸ばしたが、カトラの腕は虚しく空をかく。
「ヨンワリ、ヨンワリ!」
海面に向かってカトラは絶叫する。しかししばらく泡が経った後、音沙汰がなくなった。必死にビネアホエール号の中で縄を探したが、そういう類のものはない。
しばらくすると、海面に腐りかけた腕が浮かんでくる。そこに青い糸が絡み付いている。カトラが縫い合わせた腕であることは明白だ。
カトラは項垂れた。必死に頭を回す。しかし何も彼を引き上げる策は浮かばない。甲板で一人だ。
「な、なんで……一枚噛むんじゃないの……?ねぇ……ヨンワリ」
甲板にぽつりぽつりと雫が垂れる。カトラは思った以上にヨンワリに入れ込んでいたことに自分で気がついた。
「一緒にいてくれるって思ったのに」
くしゃくしゃに泣き叫んでも、誰も返事をしない。
ただ、足音が一つ近づいてきた。泣き腫らした顔面を上げると、そこにはカトラよりも五つほど下の齢だと思われる男の子が立っていた。
「お、お姉さん。平気です、か……?」
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