アホイ!マイボイジャー

キューイ

第1話 アホイ、マイキャプテン!

 彼女は近所の港から海を見た時ホッと一息ついた。あいも変わらず少女の背後からは爆発音や銃声、悲鳴が聞こえてくる。甲高い声が多い。なぜならこの村にいるのはほぼ女性や子供だからだ。


 男の老人たちは敵国の兵士がやってくるや否や女性たちの壁となった。だから彼らが倒れた今、敵国兵士たちにとってはイージーゲームだ。


 地獄の様相の最中、少女が海を見て心が和らいだのは久しぶりに輝きを見たからである。


 太陽は水平線に溶けかかっている。太陽の子分たちが水面に散らばり、海の色は完全な青とは言えない。しかし彼女は海に深く青を見る。


 彼女の目が海に吸い込まれそうになったとき、薬指に衝撃が走った。その指を起点に腕が大きく弾かれ、ぐらりと彼女は揺れる。地にふした彼女の目の前にはピストルを構えた無精髭の男が立っていた。


「立て。さもなくば次は脳天だ」


 彼女は男に従った。薬指には激痛が走っている。熱く、血が滴る。


 銃口の丸い形がぼやけるほどにピストルは彼女の近くに突きつけられていた。


「……わかった」


 ポツリと彼女はつぶやいた。膝を立てたところで、ピストルの向こうに鎖に繋がれた女性たちの項垂れる姿が見えた。


 少女のお隣さんであるカレアという女性もいる。カレアは少女に縫い物をよく教えてくれていた。少女にお手製の指抜きをくれた。


 その奥にはミドリーがいた。彼女は少女の二つ上の齢だ。彼女は少し苛烈な性格で防風林の管理を任されている。少女は幼い頃に秘密基地を作るために防風林を切り倒したことがある。そこにはお気に入りの石を大量に保管していた。それを黙認してくれたのがミドリーだ。


 他にも少女の見知った顔が何人も鎖に繋がれている。ポツリと彼女は呟いた。


「私たちはどうなるの」


「自分で確かめろよ。地獄にも種類があるからな。ほら、さっさと来いっ!」


 兵士はピストルを構え、もう片方の手で少女の出血してる手を掴んだ。あまりの激痛に呻くが、力で敵わない。乱暴に手を引かれていく。


 激痛。そして体の芯をぶらさせるような強引な引き摺りに少女は顔を顰めながら尋ねる。


「ねぇ」


「なんだ?変なこと抜かすと撃ち抜くぞ」


「あの鎖に私も繋がれて……その先で……宝石は手に入る?」


 少女の言葉に兵士は眉を顰めた。ピストルを握る手が弱まった。それほどまでに滑稽なことを言っている。


 しかし少女は真剣だ。両親の指輪に嵌め込まれた宝石。それが始まりだった。ガラスを砕いて磨き、太陽に透かして楽しむのが趣味だった。いつかは本当に宝石を手に入れたかった。それが彼女の至上命題だ。


「宝石なんか手に入るわけねぇだろ!」


「……そっか」


 少女はポケットに手を突っ込み、まだ磨いていないガラス片を取り出した。兵士が目を見開いた刹那、悲鳴をあげた。少女がピストルをもつ兵士の手にガラス片を突き刺したのだ。少女はすかさず塩の小瓶を男に投げつける。塩もキラキラしてるので持ち歩いていた。傷口に塩が降りかかり、兵士の男は絶叫した。


「がぁぁっ!ま、まてクソガキ!」


 少女は再び海の方へと走り出す。後方に行くと宝石に辿り着かないことがわかった。だから残された道は海でしかない。そう考えて走った。港の石畳を鳴らして走り、肩で息をする頃になると、後一歩進めば海というところまで来た。


 空が焼けたように橙色だった。その下の海はゆらめき、大きな宝石の表面のように輝いている。


「素敵」


少女は手を海へと伸ばす。後方の惨劇も、兵士の怒号も何も気にならない。非常なまでに少女は海に惹かれていた。


「後ろに宝石はないの!こっちにしかないみたい!ねぇ!仕方ないからこっちの道で宝石まで連れて行ってよ!」


 少女は生まれてこの方出したことのないほどの大声をしぼりだした。


 水面が盛り上がった。泡が立ち上り、弾けた。水の盛り上がりと泡は段々と大きくなっていく。


 大木のような柱が水面から姿を現した。ボロボロの布が巻き付いている。少女はそれがマストと呼ばれるものだと知っている。だからこれから船が出てくるのだとわかった。


 しかし驚く。なぜならそのサイズが家三軒分ほどの大きな船だったからだ。木の船だった。ところどころ朽ちている。甲板は欠けている。しかし少女はこの船に一目惚れしそうだった。サファイアのような装飾がいつくつも散りばめられているのだ。


 船が全貌を現した。幽霊船と呼ばれてもおかしくないほどの様相。それと対極的な装飾部分。不可思議な船は少女に


「ア、ホイ!マイキャプテン。ワタシはビネアホエール号。どちらまで?」


「……宝石があるところ」


少女が答えると、船からハシゴが伸びてきた。足をかけただけで割れそうなハシゴだ。おまけにワカメが絡みついている。


 彼女がそのハシゴを登っている時、兵士の男が追いついてきた。ピストルを構え、叫ぶ。


「お前が行けば、他の奴らはもっと酷い目に遭うぞ!」


「それは残念……でも私、行かなきゃなの」


 男は激昂し、引き金を引いた。男は名手というわけではない。しかしその弾は少女の頭目掛けて飛ぶ。


 しかし彼女の頭は傷ひとつついていない。船から伸びた縄が銃弾を絡みとっていた。


「なぁっ!?」


 ありえないことが起きている。少女も兵士もそれがわかっていた。しかし少女だけはすぐさま順応して見せた。


「ビネアホエール号。宝石のあるところまで連れてってよ」


「了解キャプテン」


 逆光で兵士の目からは船は黒く見え、少女顔にも影が落ちていた。


 しかし彼の目からどう見えているかなんて少女はどうでも良かった。宝石のある方に行く。そうやって生きてきた。だから出航するのだ。


 船は波を立てながら旋回する。港が小さくなっていく。銃声や爆音は聞こえていなかった。看板で少女は微笑んだ。


「どんな宝石があるのかなぁ」


「キャプテン。お名前を伺っても?」


「ん?私はカトラ」


 カトラは微笑み、船の全貌を眺めた。船室は大きい。操舵のための舵はない。帆も機能を果たしていない。ただ船は進んでいる。

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