防壁は敵を殴るためにある

@hekireki_ginka

第1話 バリアブルー・バイオレンス

「ここまでだ」

 背中に感じていた揺れが止まり、外から声が聞こえた。

 狭く暗い荷台の中で起き上がり、伸びをする。そうしている内にも扉が開けられ、外の光が目を眩ませる。

「分かってるわよ、すぐ行く」

 また何か言われる前に、扉から外に出た。

 場所は森の中だ。多少薄暗いが、先の方まで馬車が通れる道が通っている。

「早くしろ。交通が規制されてる中わざわざここまで送ってやったんだ」

 馬の手綱を片手に、御者が迫る。

「はいはい。これ、お金ね」

 そう言って袋を手渡す。御者は中身を一瞥すると、再び馬車に上がった。

「本当にここまでだぞ? ロクシオンまではまだずっと先だ。子供の足じゃ厳しいと思うがな」

「問題無い。だって人の足じゃ無いし」

 そう言いながら車に繋がれた馬を撫でる。人に馴れているようで、馬は気持ちよさそうに目を細めた。

 突然、馬が目を見開き、いななき暴れる。

「うおっ、急になん…」

 馬をなだめていた御者も、続いて目を奪われる。

 彼らの目の前には、御者の連れる一頭にそっくりな馬が立っていた。だがその色は向こう側が透けて見える青で、ガラスの彫像を思わせる。

「じゃ、おじさんも気をつけて」

 少女が青い馬の背に乗ると、それは本物のように動き出し地を蹴って森の奥へと進んでいく。薄暗い中、彼女の姿はすぐに見えなくなった。

「俺たち、必要だったか…?」

「…ブフン」

 その場所は既に馬の鼻息しか聞こえなくなっていた。



 一面緑色の鬱蒼とした森がある。太陽は天高く昇っているものの、地面は高く伸びた木の枝葉が覆うように伸びているために薄暗い。

 その緑を分けるようにして、一つの川が流れている。幅が広く、周囲も開けているために付近は明るい。更に下流へ進むと、人工的に拓かれた道と交わる。こちらも川ほどではないが広めの幅であり、人や馬車が余裕を持って通ることができるようになっている。

 そんな場所に、しかし今は一頭の熊が居座っていた。黒の毛皮に丸太のように太い脚、そして立ち上がらずとも大男二人分はあろうかというほどの巨体。見るからに通常の進化の道を外れ、肉体の異常発達を遂げた獣であった。近くの水面には餌と思しき魚がちらほら漂い、道の方には馬車や貨物の残骸が散乱している。

 そんな大熊の耳が、遠くから響く音を捉えた。

 熊はすぐさま辺りを見渡す。音は木々の無い道の向こうから聞こえてくる。軽い足音がいくつも重なり、ガチャガチャと硬質な音も混じっている。

 熊はこの独特な足音に覚えがあった。群れで行動し、時に他の生物の縄張りであろうと構わず侵入する存在。

やがて、道の中央に複数の人間が現れた。

「グオオッ」

 先手必勝と言わんばかりに大熊が駆け出す。群れて近づいてきた人間に威嚇の効果が無いことを経験上知っていたからだ。

「来るぞ」

 先頭の男が叫ぶと、全員が足を止め身構える。数は二十人程度。全員が鎧を身につけ、各々剣や杖などの武器を携えている。

「爆撃部隊、構え」

 号令に応じて前列の男たちが杖を構える。すると、その先端から一つずつ火の玉が出現した。人間の頭よりも一回り大きな光源が横一列に並ぶ。

 だが走り来る熊も火を恐れなかった。十数個ほど並んだ火球に、猛然と突進する。

「撃てぇっ」

 再び男が叫ぶと、次々に火の球が飛んでいく。机の上で弾かれたコインのように、炎は勢いよく進んでいった。

 直後、大熊が走りを止めた。土煙を上げ、四足で勢いづいた巨体を押し留めんとする。そしてあわや火球と衝突する寸前、前足で地面を蹴り上体を起こした。

 火球が熊に当たり、まるで火薬に引火したように爆発する。

「おお、もろに当たった!」

「まだだ、散りながら各自二発目を放てっ」

 指揮官と思しき男が即座に攻撃を命令する。

「野郎、びびって腕で受けやがった。また動き始める前に少しでも消耗させろ!」

 今度は全員が杖を構え火球を放つ。炎の連弾が熊に煙と爆音を浴びせ続ける。

 その間、指揮官もまた自分の杖を煙の中心に向ける。すると、杖の先に特段大きな火球が現れた。

「喰らえ!」

 撃ち出された巨大火球は煙の充満する空間に風穴を開け、そして。

 音も無く通り過ぎていった。

「なにっ」

 火球はそのまま道に沿って川の向こう岸へ飛んでいく。その軌道上にいるはずの大熊が突如姿を消し、全体に動揺が広がった。

 巨大火球が当たる寸前まで、攻撃は当たっていた。この一瞬で一体どこに消えたというのか。

 黒煙が空中に立ち上り、空との境目が見えなくなる。気がつけば日の光が雲に遮られ、辺りが暗くなっていた。

咄嗟に答えを導き出せない指揮官の頭に、答えは天から降ってきた。

 素通りした大火球が川の向こう岸に着弾し爆発音が返ってきたのとほぼ同時。黒色の巨体が地面に着地した。

 否、それこそ「着弾」と呼ぶべき光景であった。

 衝撃が空気を伝って周囲の人間を吹き飛ばし、数人が木の幹に叩きつけられる。そして爆心地の無力な指揮官と不幸な数人は、真っ赤なカーペットに変わっていた。

 少し遅れて悲鳴を上げながら背を向ける人間たちを、大熊は一瞥し横薙ぎに腕を振るう。三人ほどが瞬時に血飛沫に変わり、爪が掠った一人は頭が捻じ切れた。

 特段鳴き声を上げる一人を殺せば群れが瓦解することも大熊は知っていた。



 数分後。そこには、人だったものがいくつも転がる凄惨な光景が広がっていた。原型を失った肉塊、主のいない手足、幹の形に成形された胴体。強烈な血の臭いの中を蠅が飛び回る。

 その中で、一人の青年が生き長らえていた。木に寄りかかって座り、ただ呆然とそれを眺めている。

「…なん、だこれ」

 息も絶え絶えにつぶやく。彼自身、はらわたが大きくまろび出て身動きが取れないでいた。混乱と激痛の中、ふと死にたくないという言葉が脳裏によぎる。

(どうしようもないな)

 自嘲する他はない。今自分が生きているのは致命傷を負ったからだ。あの怪物は負傷者を後回しにして、元気溢れる他の狩人ラプターたちを追いかけ回しに行った。初めは付近に数名ほどいた生存者も既に息絶え、自分もこのまま出血多量で死ぬのが目に見えている。仮に生き延びたとしても、熊が戻ってきたら今度は本当に自分の番だ。

 不思議と涙は出なかった。狩人ラプターになった日からいつかはこうなるだろうということは覚悟していたし、何よりも目の前の地獄に感情が追いついていなかった。

 頭の片隅で死を恐れながら、その実自分は死が怖くないのではないか。あまりのあっけなさに驚きすら覚える。リーダーが潰れた時の方がまだ怖気が立った。回らない思考でできあがった頭蓋の中で、とりとめの無い言葉が乱反射し続けていた。

(何にせよ、私たちじゃ実力不足だったんだ。次はもっとマシなレベルの人員を揃えて…って)

 自分が死んだ後のことを考えても仕方が無い。思考を止めて目を閉じ、意識を失おうとしたちょうどその時。

「うわぁ…何これ」

 死の臭いが漂う場所には似つかない、甲高い声が響いた。

 まぶたを薄く開くと、声の主は年若い少女であった。白い肌に青く透き通る髪、そして橙色の目を持った、十代後半くらいの子供。

 青年は目を見開いた。杖などの武器は持っていないから、少なくとも増援ではない。ぼろい格好からすると町娘か。どうしてこんなところに。迷い込んだのか。町の閉鎖は。いやそれよりも。

「あ、おーい。生きてるー?」

 少女は唯一の生存者を認めると不用意にも近づいてくる。青年は必死に言葉を紡ごうとするが、もはや満足に喉を震わせる気力も無い。

「…、…ろっ」

「え、なになに」

「に、げ、ろ」

「…え?」

 少女の背後から二人へ向けて、大熊が右腕を振り下ろした。



「あーごめん、よく聞こえなかった」

 少女がへらへらと笑う。まるで何事もなかったように。だが事実何も起きていなかった。青年も少女も潰されず、お互いの顔を見つめ合っている。

 熊が振り下ろした巨腕は、同じく太い腕で防がれていた。それは巨大ながらも人間の腕であり、少女の髪色と同じガラス細工のような青色をしている。

(なんだ? 何が起きた?)

 青年は必死に目を動かそうとする。しかし動かない。微塵も動かせない。己の二つの眼はただ、目の前の少女のみを見据えている。

 大熊の側も一瞬呆気に取られていたが、すぐさま左腕を横から打ち付ける。しかしこれもまた新しく現れた腕で受け止められる。大熊は咄嗟に後方に飛び距離を取った。

「もう一度聞くけど、お兄さん」

 少女は再度青年に問いかけた。

「あなたは私にどうして欲しいのかな?」

 その言葉で青年は金縛りが解けたように我に返る。状況はどうあれ、この少女には大熊を退けるだけの力があるらしい。いや、それどころかこの様子ならばこの熊を仕留めることすらもできるかもしれない。ならば増援を待つよりも、少しでも熊が消耗している今のうちに畳みかけるべきかもしれない。いやそうすべきだ。ならば頼もう、我々に代わってあの熊を倒してくれと言って…

「助けて、くれ」

 口から出た言葉は、自分の思考とは真逆のことを伝えていた。

(何を言ってるんだ、私は)

 もはや助からない事は自分が一番わかっているだろう。何より目の前の獣がそれを許しはしない。それならば討伐を優先しなければならないはずだ。

 どうしようもないことだから、考えないようにしていたのに。

「おっけー」

 しかし少女は一言返事を返すと、背後の大熊に向き直る。

「一応なんだけど、あの熊火吹いたりしないよね?」

 死にゆく青年を尻目に少女は問いかける。

(…何だ? もしかして私に聞いているのか? だがすまない、もはや答える気力も…)

「ちょっと、もう喋れんでしょ!」

「えっあっ…え?」

 戸惑いのあまり声を漏らし、そしてことに驚愕する。

 反射的に視点を真下に移す。鮮血に染まり破れて固まった衣服の下には、傷一つ無い素肌が覗いていた。

 遠巻きに様子を伺っていた大熊が先に状況を理解した。警戒して取った距離を一気に詰めようと、二人に突進してくる。

 己の攻撃を歯牙にもかけず、さらには瀕死の同族を瞬時に回復させてみせた人間。

 こいつだけは生かしておけない。

「返事ぃ!」

「っ、『モンスターベア』は魔術の類いは使わない!」

 青年が言い終わるのを待たずして、青い巨人の半身が二人を覆うように現れる。筋骨隆々な体躯は、向かってくる大熊を真正面から受け止めた。巨人の腰からは大木のように根が張られ、地面に亀裂が入る。

「……その代わりに、規格外の身体能力が…」

「ああ、後はいいや。要するに…」

 少女は興味なさげに説明を切り捨てる。

「この『魔女』様の敵じゃない!」

 モンスターベアが上体を起こし、頭突きで巨人をかち上げる。巨人はのけぞった姿勢のまま両手を組み、ハンマーのようにして振り下ろすが、熊は後ろに飛び退いてそれを躱す。両手が空を切り前のめりに体勢を崩した巨人に、大熊は即座に駆け寄ると右腕を振りかぶった。

(まずい、あれをもろに食らったら…!)

 青年の危惧通り、今度の右フックは先ほどの攻撃とは異なる、大熊が腰を据えて放つ渾身の一撃であった。

 だがまたしても巨人の左腕がそれを受け止める。

「⁉」

 再び一人と一頭の感情が一致した。

 青年は透明な内部から正面を見やる。巨人の両腕は今やっとめり込んだ地面から抜き出されていた。そして左方上空を見ると、やはり脇腹から伸びる腕が熊の腕を防御している。どう見ても巨人はその体から腕を三本生やしていた。

 攻撃を受け止めた左腕が素早く熊の手首を脇に挟み、そして腕をがっしりと掴む。熊はとっさに腕を引き抜こうとするが、力強く根を張った巨人の体はびくともしない。反射で左手を突き出すも、巨人は元あった右腕で掴み、逆に大熊を押さえ込んだ。

「やっと捕まえた」

 大熊を拘束した三本腕の巨人は、右腕をもう一つ脇腹から生やす。腕二本で獲物の両腕を押さえながら、もう二本の腕で攻撃を再開した。

 地鳴りでも起こっているのかと言わんばかりの重低音が間髪入れずに響く。無防備になった大熊の頭蓋を、右フックで、左フックで、両手ハンマーで打ち鳴らし続ける。本来決して急所とは言い難い熊の分厚い頭部を殴り続け、その脳天を揺さぶる。鳴り止まない轟音の中でかすかに聞こえるうめき声に、やがて液状の音が混ざり始めた。

「トドメの一発!」

 少女が叫ぶと、巨人はまともに立っていられなくなった大熊から手を離し、顎にアッパーカットを打ち込んだ。

「グゥッ」

 モンスターベアはその一撃を受けて体を真上に持ち上げられる。

「さらにもう一発!」

 続けて左ストレートを腹に打ち込む。真横への衝撃は熊の巨体を僅かに持ち上げた後、そのまま地面へと仰向けに叩きつけた。大熊が血と吐しゃ物をまき散らしながら倒れ、ピクリとも動かなくなるのを見届けると、青色の巨人は体の先から消滅していった。

「どーよ、ブイっ!」

 少女は振り向き、自慢げに青年に勝ち誇った。

 気づけば再び日が覗いていた。細く差し込んだ光に照らされ、少女の青透明の長髪は眩く揺れた。

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