其之二 玄武坤禅

 広い幷州へいしゅうの州土を東西に分断するように南流する河水がすい。その流れはあたかも西岳・華山かざんへ導かれるように流れた後、今度は中岳・嵩山すうざん、東岳・泰山たいざんの方へ向けて東流する。

 五岳や各地の名山、名湖などパワー・スポットの間には〝龍脈りゅうみゃく〟という大きな気の流れが存在し、河水はそれになぞらえるようにして流れているのだと、蔡邕さいようは語った。

 また、それらの龍脈上に建設された都市・城邑じょうゆうは繁栄・隆盛の運気を取り込むことができるといい、前漢の都・長安も、後漢の都・洛陽も、華山と嵩山とを結ぶ龍脈上、あるいはその延長線上に建設されている。

 永和えいわ五(一四〇)年に起きた匈奴きょうどの大規模な反乱で、西河せいが郡の郡治は離石りせき県に、じょう郡の郡治は夏陽かよう県に遷されたが、離石も夏陽も華山から延びる龍脈上にある。

「――――おそらく風水に達した者が進言したのであろうな」

 蔡邕はそうも語った。

 幷州東部を流れる最大河川は汾水ふんすいといい、幷州の州都・晋陽しんようは汾水沿いにある。

 そして、晋陽も蔡邕一家が一時的に逗留とうりゅうしている界休かいきゅうもまた北岳・恒山こうざんと華山を結ぶ龍脈上にある。

 当代随一とうたわれた清流派の人物鑑定家・郭泰かくたいの故郷に留まっていた蔡邕に、かつて郭泰の評価を受けた王允おういんが恩赦の知らせを持ってやってきた時、屋敷から漂ってくる穏やかかつ清らかな音の風を聞いた。そうの演奏のようだ。

 ちょうど蔡邕は郭泰をしのんで作った『山中に故人を思う』という曲を演奏中だった。蔡邕は万能の学者であるとともに、書や音楽に通じた一流のアーティストでもある。

 五原での流刑生活では音楽をたしなむことはできなかったので、界休での逗留中はよく筝を演奏した。筝は梧桐ごとうの木で作った本体に十二本張られた弦を爪で弾いて演奏する弦楽器で、形状は琴に似ている。蔡邕の指が弦を弾いて生む優美な旋律に満二歳を迎えた蔡琰さいえんが泣きじゃくるのをやめて耳を澄ませている。そして、曲が終わりを迎える頃には蔡琰はすやすやと眠りの世界へついていた。恩赦の知らせを聞いた劉備りゅうびが蔡邕に言葉をかける。

「よかったですね、智侯ちこう先生」

「うむ、十回忌に良い報告ができた。林宗りんそうや他の皆々も喜ぶであろうな」

「恩赦があったとはいえ、安心はできません。董卓とうたくが新たな幷州刺史ししとして赴任してきました。濁流派の差し金です。一刻も早く幷州を出ることをお勧めします」

 王允が忠告に蔡邕がうなずいた。

「旅をするのにもよい季節になってきた。時期も近付いてきたことだし、そろそろ坤禅こんぜんに向かおうかな」

 蔡邕が出発を決断して、一行が再び歩みを南へ向けた。王允がまた一行を先導した。汾水沿いを下り、新緑に包まれた深い山中を横切って河水に出る。その内に地響きのような音が聞こえてきた。それは五原ごげんで経験した地震を想起させた。

「あれは三里(約一.二キロメートル)先の河水の音だ」

 劉備や孫堅そんけんが辺り警戒する中、王允が言った。

 一行はそのまま音が発せられる方へ進み、ようやく壺口ここうと呼ばれる場所へと到達した。いくつもの支流を集めて水量を増した河水の水が三方から中央の巨大な割れ目に向かい、地鳴りのような轟音ごうおんとともに流れ落ちている。それはまさしく巨大なつぼの中に水が注ぎ込まれているような景色で、膨大な水量が流れ落ちる過程で生み出された白い水煙みずけむりがもうもうと立ち昇って、飛沫ひまつを天に向かって吹き上げていた。

 壺口。別名を〝玄武げんぶの穴〟。蔡邕が見た古文書の記述にはそうあった。

 河岸に突き出て瀑布ばくふを間近にのぞめるところに玄武観というくたびれた小さな祭殿が築かれており、蔡邕たちは無人の玄武観に入った。

北瀆ほくとくを祀るには玄武をってす。華山の北、河水中に玄武の巣穴あり……。ここはかつて神器を納め、玄武を祀る祭殿であった」

 蔡邕が独り言のように言った。北瀆とは北の河川のことで、それは河水(黄河)を意味する。しかし、その祭殿は神器が行方不明になって久しく、人の管理を離れて長い間放置されていたせいで、まるで廃墟のような印象だった。

 蔡邕が何かを言った。しかし、その声は滝の轟音に勝てず、かき消されてしまった。劉備が耳を近づけて尋ねた。

「玄徳、下まで行って河水を汲んできてはくれまいか」

かしこまりました」

 蔡邕の言いつけで劉備と長生ちょうせい急峻きゅうしゅんがけを下りて行った。長生は手足の傷口に布を巻いて、五原以来、黙々と劉備に従っていた。河岸の岩場に下り立ち、水をむのに適当な場所を探す。吹き上がった滝の水が落ちて岩の隙間に溜まっているところを見つけ、腰に付けてあった革袋を取り出す。長生が劉備の隣にかがむ。劉備が声量を上げて言う。

「もう護衛の必要はなくなった。君の武勇でいろいろと助かった。河東かとうに戻ってきたことだし、ここで契約を終わりにしよう。故郷に帰って養生するといい」

 劉備が河水の水を小さな革袋に汲む間、長生は傷口を洗って、回復具合を確かめている。

「かすり傷です。ご覧のとおり、傷も塞がりました。もうその必要はありません」

 長生が太い腕に受けた大きな傷跡を見せて言った。呂布りょふという強者に付けられた傷だが、それはすっかり回復している。

「それに、まだ半年契約期間が残っています。お尋ね者の私は当分故郷に戻れませんし、すでに両親もなく、行く宛てもありませんから、このままあなたに御一緒したい」

「分かった。君と一緒なら、何をするにしても心強い。これからもよろしく頼む」

「こちらこそ。信義のあかしに本名を明かします。姓はかん、名は。長生は私の字です」

 長い月日を共に過ごし、五原では命を賭けて戦った。すでに劉備と関羽は固い信義で結ばれている。河水のほとりで友となった二人は再び崖を上って、蔡邕に革袋を渡した。

「ご苦労だったな」

 それを受け取った蔡邕は祭壇の上に置いた玄武硯げんぶけんに河水の水を注ぎ入れ、手持ちのすみを溶き始めた。十分に墨が溶け出して真っ黒になったところで、蔡邕が筆を浸す。

「先生、書く物が何もありませんが……」

 劉備が顔を近付けて蔡邕に忠告したが、その必要はなかった。

「見ておれ」

 何を思ったか、蔡邕は打ち捨てられていた祭壇の上で筆を走らせた。張芝ちょうしの素早い筆使いが乗り移ったかのようなスピードで、その筆跡に沿って墨が踊るようにして「玄武」の二字を描く。飛白体ひはくたい。素早くかすれたように書く書体で、蔡邕が創始した。その文字は生き物のようだ。それから、体を屈めて、今度は祭殿の床に筆を走らせると、何やら不思議な文様もうようを描いた。

「これは?」

「〝洛書らくしょ〟という。昔、の時代に洛水から出でた神亀しんき甲羅こうらに描かれていた文様だ。またの名を〝亀書きしょ〟という」

 蔡邕はそう説明した。一種の魔方陣だ。そうして下準備を整えた後、蔡邕は祭壇に筝を置いて精神を統一すると、静かに弦を弾き、音をかなで始めた。音楽による方術である。

 蔡家の女子たちは祭殿の外で待っていたが、よちよち歩き回っていた蔡琰は聞こえてきた筝の音に聞き入るように立ち止まると、それに合わせて歌うように声を出す。

「父上と同じように音楽の才能があるのかしら?」

 姉の蔡蓮さいれんが幼い妹の笑顔に呟く。蔡邕は旋律に乗せて『易経えききょう』の一節を暗唱し始めた。

「天はたかく地はひくくして、乾坤定まる。卑高もってつらなりて、貴賤くらいす。動静常有り、剛柔さだまる。方は類をもってあつまり、物はぐんをもって分れて、吉凶生ず。天に在りては象を成し、地に在りては形を成し、変化あらわる……」

 蔡邕の奏でる音と発する声が亀書の魔法陣によって、言霊ことだまを帯び始める。それが怪奇現象を生む。台座の上に置かれたすずりがごとごと小刻みに揺れ出したのだ。

「乾は大始をつかさどり、坤は成物をす。乾はをもって知どり、坤は簡をもってくす。易なれば知り易く、簡なれば従い易し……」

 陰陽の気は地と天、こちらの世界とあちらの世界を巡っている。言霊は天へエネルギーを放ち、魔法陣は地へエネルギーを送る。

太一たいいつは陰陽両儀に分かれ、両儀また分かれて東西南北四象ししょうかたどる。北方玄武は水神にて、介虫かいちゅうの長なり。その精は北瀆ほくとく河水に宿れり……」

 龍脈を流れる膨大な陰気が上空へと解き放たれ、玄武観の上空ににわかに暗雲が垂れ込み始めた。それを待っていたかのように硯の彫刻がごそごそと動き出し、硯全体が生き物のようにうごめいた。まさしく黒い亀である。

「易なれば知り易く、簡なれば従い易し。玄武よ、末永く漢土を守りたまえ」

 術者の意思を受けた亀は皆が言葉を忘れて見つめる前で空中に飛び上がると、吹き抜けになっている祭殿を飛び出し、ぐんぐん巨大化して伝説の神獣となる。玄武。

 それを目撃した皆が息を飲んだ。黒光りする甲羅。巨大な角の生えた頭。手足は鱗で覆われ、鋭い爪が突き出している。それが蛇のような長い尾をぐんと振って宙を泳ぐと、黒き亀の神獣は暗雲をまとって滝壺に吸い込まれるように消え、ねぐらへと帰った。

 一瞬の出来事だった。俄には信じられない出来事を目撃して、呆然ぼうぜんと立ちすくむ一行を尻目に、

「坤禅は終わった。しばらくは玄武の力が漢を守る盾となって、鮮卑せんぴを防いでくれるであろう。幷州を去る」

 大きな役目を終えた蔡邕はすっきりしたかのように言った。ややして我を取り戻した劉備が沈黙を埋めるように言った。

「これで晴れて都に戻れますね」

「うむ。石経せきけいの事業だけはやりとげたいな。しかし、都にはまだ陽球ようきゅうがおる。曹節そうせつもおる。騒々しい都に長居しようとは思わんよ」

 蔡邕は洛陽の、現在の朝廷の状況を身にみて理解している。進んで仕官したわけでもない。気がかりなのは石経建立こんりゅう進捗しんちょく状況だけだ。それさえ済めば、都に留まる理由はない。田舎で心のおもむくままに学問や著述、書や音楽に打ち込めることができたら、それで満足なのだ。

造詣ぞうけいを深めるには江南の地へ行ってみるのもよいと思っておる。都での仕事を終えたら、文台ぶんだいに付いて江南へ向かうとしよう」

「お任せください」

 孫堅が胸を張って言った。界休に屯留している間、孫堅は江南での出来事を蔡邕に話していた。石碑に触れて幻想を見た体験も。自分が神器の守護者だと言われたことも。それを聞いて、蔡邕は曹操や劉備と同様、孫堅が衷心ちゅうしんから信頼できる若者だと理解した。同時に逸物いつぶつと誉れ高い曹娥碑そうがひに興味をそそられた。名書家の邯鄲淳かんたんじゅんが書いた碑文をその目で見たくなったのである。


 壺口で坤禅を終えた後、蔡邕は草書の張兄弟の住む華陰かいんおもむいて、そこで遠目に西岳・華山の峰々みねみねを拝みながら、能書談義に花を咲かせた。張芝ちょうしが蔡邕に贈った書「華陰有望」とは、この華陰の地を表し、また、華山を望む張芝と陰山いんざんを眺める蔡邕の両者を表現した言葉であった。そして、張昶ちょうようが贈った「才智図南となん」の通り、蔡智侯は南を目指す。

 河水がすい東流に合わせ、舟旅に切り替えた。陸路を行くと、函谷関かんこくかんなどの関所を通過する必要があるため、何かと面倒になる。河水を下る舟が難所である三門峡さんもんきょうに差し掛かる。

「その昔、神斧しんふを用い、岩山を切り開いて鬼石きせき神石しんせきを作った。その石で河の流れを三つに分け、『人門』・『神門』・『鬼門』の三つの峡谷ができた。舟が通り抜けられる流れの緩やかな北側を人門、通れるかどうかは神頼みの中央は神門、急流で通れない南側を鬼門という……」

 舟は人門を抜けながら、蔡邕が古代の伝説と三門峡の名の由来を娘と三人の若者に教えるように語った。

「このような伝説には、龍脈の気が関係しておるだろうな。禹は神器と龍脈の陰気を利用して、岩山を割ったのかもしれないな」

 玄武の坤禅こんぜんを目の当たりにしたばかりである。孫堅は蔡邕の言葉を疑うことを知らなかった。禹は夏王朝の創始者であり、治水の名人、伝説の聖王である。 

 孫堅は会稽山かいけいざんに賊を討ったが、その会稽山こそ、聖王が眠る場所なのである。

 蔡邕の解説も河水の風にき消えていった。どこかうれいを抱いたかのような劉備の顔を見て、蔡蓮が尋ねた。

「玄徳様、どうしたのですか?」

「いえ……」

 蔡蓮の問いに劉備はその理由を答えられなかった。蔡蓮との別れが近付いている。それを考えると、劉備の心は鬼門の激流に巻き込まれたかのように激しく揺れるのだ。この半年近くずっと彼女と一緒にいた。あまりおしゃべりな自分ではないが、それでも蔡蓮とはたくさん話したと思う。不幸の中でも、劉備は確かな幸せな時を感じていたのだ。

 三門峡を過ぎ、いよいよ洛陽が近くなってきたところで、蔡邕が言った。

「文台よ。江南へ向かう前に都で一月ほど過ごしたいが、良いかな?」

「はい。それは、もちろん構いませんが」

「石経事業は最後までやり遂げたい。あれこそ私の最大の功績となるだろう」

 洛陽では蔡邕が流刑に処されてから、石経建立こんりゅうプロジェクトへの影響が顕著に表れていた。石碑に刻む文字は名書家である蔡邕の書体をもとにしていたからだ。蔡邕が流刑に処されてから、しばらくして事業は中断を余儀なくされた。蔡邕に代わる書家にバトンタッチするか、蔡邕の帰還を待つか。盧植ろしょく馬日磾ばじつていら石経事業に関わる学者たちがこぞってそれを理由に蔡邕の早期赦免を願い出ていたが、これで石経建立作業は継続できるだろう。


 小平津しょうへいしん。河水沿いに作られた数ある船着き場のうち、最も都・洛陽に近い。夕刻、小平津に蔡邕一行を乗せた船が接岸した。盧植、馬日磾、張馴ちょうじゅん単颺ぜんよう楊賜ようしら石経プロジェクトに関わる清流派官僚と学者仲間たちが大学者の帰洛を極秘裏に迎えた。

 この日のために盧植は郊外に屋敷を用意し、蔡邕一行はその屋敷に仮住まいした。

 蔡邕はそれから用意されていた無地の石碑の数々に経文を書す日々を送った。

 この作業は急ピッチで行われた。濁流派や百鬼が蔡邕の京師けいし逗留を知って動く前に完了させなければならない。この間も孫堅と劉備による警護は続けられた。

 そして、一月。その作業もついに終わりを迎えた。蔡邕は再び洛陽を去る。帰洛を迎えたのと同じ面々が小平津にそれを見送る。

「江南へ難を避けるのは良いが、唯一心残りなのは、石経の完成を見られないことだな。それも仕方あるまいが」

「都が平穏になったあかつきに上洛すればよい。我らが何とかきれいにしておく」

 楊賜が言った。楊賜、あざな伯献はくけん。草書の張兄弟が暮らす弘農華陰の人で、楊氏は関西一の名族、袁氏が東の四世三公しせいさんこうなら、西の四世三公が楊氏である。楊賜は見送りに集まった面々の中では最も官位が高く、皇帝師範でもあるので、直接献言ができる立場にある。

 劉備の視線は軽やかに舟に乗り込み、たおやかに座り、優雅に風に髪をなびかせる蔡蓮の姿を追っている。蔡邕の屋敷は盧植が譲り受けており、劉備は蔡邕が石経作業に従事する間、名残なごり惜しくも蔡蓮との貴重な時間を過ごしたが、その胸中はやはり複雑であった。

 洛陽に逗留する間も、蔡邕が翻意ほんいするのをかすかに期待していたが、蔡邕一家の無事を願うならば、やはり変わらぬ方が良かったのだ。しかしながら、それは蔡蓮と遠く離れてしまうことになる。もう二度と会うこともないかもしれない。

「さようなら、玄徳様」

 大義に生きると決めた。身分も違う。劉備は最後まで自分の気持ちを押し殺して、蔡蓮の別離の言葉に黙ってうなずいた。

 蔡邕ら一行は再び舟で河水を下り、兗州の泰山郡に向かう予定だ。泰山には清流派の羊氏がおり、亡くなった蔡質さいしつの娘が羊氏に嫁いでいる。また、泰山には義侠の王匡おうきょうがいる。王匡は流刑に処されて財産を失った蔡邕のため、生活資金と逃亡資金を援助してくれた。会って礼を言わねばならない。一行は泰山での一時滞在を経て、徐州を経由して揚州へ入る手筈てはずだ。孫堅は徐州二県でじょうを務めたことがあるし、沂水きすいきょ(運河)を舟で下れば、江水(長江)まで出られる。水路の活用は長旅には便利であったし、何より移動が楽であった。

「玄徳、いつかまた会おう」

 船上の孫堅が別れ際、河岸に立つ劉備に声をかけた。

「お元気で」

 劉備が旅立つ孫堅と蔡邕、そして、蔡蓮に手を振った。舟が見えなくなるまで河岸にたたずんでいた劉備は関羽かんうの言葉に我に返った。

「行きましょう」

 劉備は頷いて、蔡蓮への密かな思いを断ち切るかのように馬に飛び乗った。

 劉備もこのまま洛陽を去り、故郷に帰るつもりである。母とはもう一年以上会っていない。早く会いたいという思いが乗り移って、馬が飛ぶように駆け、砂塵さじんを巻き上げた。

 関羽が黙ってそれを追いかけた。すでに両親を失っていた関羽は、このままこの人に従って行ってもいいという気持ちになっていた。

 そして、その思いのとおり、以来関羽は劉備にずっと付き従い、苦楽を共にすることになるのだ。それは劉備の不思議な人間的魅力がせるわざだった。


 蔡邕から譲り受けた洛陽の屋敷で、盧植は遠い地にある弟子の身を案じて呟いた。

伯珪はくけいにはほんによかったのぅ……」

 弟子とは公孫瓉こうそんさんのことである。公孫瓉はある罪人の供をして再び洛陽に来た。

 その罪人とは先に党人の朱震しゅしんを匿い、鮮卑との戦いで母を亡くした趙苞ちょうほうの後任として遼西太守となっていた劉基りゅうきのことである。趙苞は母の喪に服すために辞職し、その後任として赴任してきたのが劉基だった。ところが、その劉基が法に触れたということで、都の廷尉ていいのもとに送られることになり、公孫瓉は道中、その世話のために同行してきたのだった。

 廷尉とは主に重大犯罪や高級官僚の犯罪を扱い、その裁判と処罰を行う九卿きゅうけいの官職である。この時の廷尉は潁川えいせん陽翟ようてきの人、郭禧かくきあざな公房こうぼうという者であった。

 郭氏は小杜律しょうとりつ(前漢の杜延年とえんねんの法律)に熟達し、代々廷尉を輩出していた名法の家である。

 郭禧はちょうど李膺りよう杜密とみつらの清流派官僚が濁流派に罪状をでっち上げられて処刑された第二次党錮事件の直後にも廷尉となった。前任者も清流派の皇族、劉寵りゅうちょうあざな祖栄そえいが務めており、宦官らは悪謀を巡らせて、彼らを清流派が占める廷尉には下さずに、宦官が裁量できる北寺獄ほくじごくに送り、処分を決定したのだった。郭禧も劉寵も太尉まで昇った後、官職を離れていた。

 まだ流刑になる前、それを惜しんだ蔡邕ら清流派が上奏して、彼らの再登用を求めた。その効果があったのか、この年、郭禧はまた廷尉に復職していたのである。

 郭禧は着任すると、早速蔡邕の案件を再審理して無罪と決した。ちなみに、時を同じくして郭禧の子の郭鴻かくこう王智おうちの後任として五原太守となった。

 明法の郭禧が流刑と判決したのだから、確かに劉基に罪はあったのだろう。護送される太守の世話役として公孫瓉も流刑先の日南郡へ同行すると盧植に報告に来た。

 日南郡は今のベトナムで、かつて竇武とうぶの一族が流刑に処された僻遠へきえんの地である。

 昔の問題児がどういう変わりようか。ともかく、それはまさしく義行であり、盧植もその弟子の行為に心打たれるものがあった。

 ところが、流刑先の交州日南郡は只今騒乱の真っ最中で、一向に収まる気配がなかったので、一行は道中の荊州零陵れいりょう郡に留め置かれていたのである。そんな時、運良く大赦が発布されたのだ。劉基は放免され、公孫瓉も故郷へ帰れることになった。

「智侯も赦され、伯珪も助かった。まさに天佑ありじゃ」

「党禁も緩んだことであるしな」

 王甫一党がちゅうされた後、上禄じょうろく県長の和海わかいという者が党錮処分の緩和を訴えた。

 党錮というのは、党人関係者を生涯官吏に登用しない人事処分である。それが遠縁の者にまで適用されるのは経典に反すると上奏したのだ。

 いつもなら、このような上奏は簡単に握り潰されるか、逆に罪に問われるところだが、王甫が殺されたばかりで、濁流派の間では動揺が広がっていて、この時ばかりは自分たちの自衛に忙しかった。その間隙を突いた上奏は皇帝のもとまで届いた。

 党錮の全面解除を訴えているわけではない。反対意見もないので、皇帝もこれを認めた。

 党人の親族であっても、小功しょうこう(五か月の喪に服する関係)以下の遠縁とおえんの者であれば、党錮処分を解除することが決定された。土俵際どひょうぎわまで追い詰められていた清流派がいくらか体勢を押し戻したといった感じである。

 その最大功労者の曹操は清流派の面々の前から姿を消していた。

「王甫を除いてから、曹公を見ないな」

「次のはかりごとを考えておるのじゃろう」

「曹節と親しくしているそうだが、まさか靡いたのではあるまいな?」

「そりゃなかろう。相手のふところに入って様子を探っておるのじゃ。今度の鬼謀も楽しみじゃ」

「神器の方でも進展があったそうだし、楊公が言われるように少しはきれいにできる兆しが見えてきた」

 蔡邕が去って以来、盧植の話し相手はもっぱら馬日磾である。弟子の劉備も公孫瓉もすでに洛陽を去っていた。

「うむ。玄武を坤禅できたことは大きな進展じゃ」

 四神器を坤禅することは国土の四方に安寧をもたらすことにつながる。

 北方では檀石槐だんせきかいというカリスマ的リーダーを得て強大になった鮮卑が連年のように侵攻を繰り返している。蔡邕が反対した鮮卑討伐軍は惨敗をきっし、その余勢をかって西でも東でも侵攻があり、外患の状況はさらに悪化していた。深い内憂を抱えて弱体化した国家は、近いうちに鮮卑に滅ぼされる――――清流派たちの危惧は増すばかりであった。

 そんな時、蔡邕が四神器の一つ、玄武硯を入手し、それを坤禅することに成功したというのだから、漢は九死に一生を得たといっても過言ではなかった。

「北方に加護がもたらされれば、これ以上、鮮卑を憂うことはなくなろう」

 北方の幽州出身の盧植の安堵あんどはひとしおだった。馬日磾は蔡邕が残していった漢の地図が記された絹帛けんぱくを広げた。その地図には〝四瀆しとく〟と呼ばれる河水(黄河)、江水(長江)、淮水、漢水の四方を流れる河川が表されており、その上に玄武、朱雀すざく、青龍、白虎びゃっこの各文字が隷書体で書されている。それぞれ坤禅する対象を示している。

 さらに、〝五岳ごがく〟である衡山、恒山、泰山、華山、嵩山の上に赤火、黒水、青木、白金、黄土の各文字が書されている。これも封乾ほうけんの対象を示している。

 陰陽道では〝九〟は特別な数字である。そして、九のうち五が天宝に、四が地宝に割り当てられている。万物を形作る陰陽の神秘の力がこの九つの宝に凝縮されているのだ。

 蔡邕の地図にはすでに玄武の文字の横に印が付いている。坤禅が済んだという証である。

「これで行方ゆくえの知れぬ神器はあと二つか」

 馬日磾が青龍の文字の脇に違う印を付けた。四神器の一つ、青龍爵せいりゅうしゃくの行方はつかんでいる。分からないのは白虎炉びゃっころ朱雀鏡すざくきょうの二つで、それには何も印が付けられていない。白虎炉については、鮮卑討伐軍を率いて敗れた臧旻ぞうびんに袁氏を介して西域せいいきの調査を依頼した。朱雀鏡に関しても、袁氏の中でも一番の清流派、袁忠えんちゅうが南方で調査を継続している。

「仙珠は四つの所在が分かった。五年前は全く分からなかったんじゃからな、千里前進したと言えるじゃろう」

 五仙珠については、四つに印が付いていた。全ては曹操という男の存在である。

 曹操の推理によれば、一つは張奐ちょうかんが、一つは曹節が所持しているという。

 もう一つは百鬼の男が持ち去り、残りの二つを曹操自身が所持している。

「仙珠も封乾せねばならぬのではないか?」

〝封乾〟は天を祀ることを意味する。四神器が地宝なら、五仙珠は天宝と言われる。

「智侯でなければ、やり方が分からん。時期も関係あるようじゃしな……」

「ふ~む……。我等の学識はどれほど智侯に及ばぬのだろうな?」

「それこそ、天と地ぐらいじゃろう」

「では、我等われらと曹公との知謀の差はどう思う?」

「それも天と地の差じゃな」

 盧植は陽気に笑って言うのだった。

 

 喜んだのも束の間。王甫が誅されてから半年――――陽球が死んだ。

『早まってくれた……』

 曹操はその報告を聞いて、目を閉じた。

 陽球が劉郃りゅうごう劉納りゅうのう陳球ちんきゅうらと示し合わせて、次なる濁流派の首魁・曹節を殺そうと企んだが、計画が漏れて、逆に誅殺されたということだった。

 陳球はあざな伯真はくしんという。徐州下邳かひ淮浦わいほの人で、竇武・陳蕃ちんばん冤罪えんざいを訴えたこともある清流派に属する人物である。県令、郡太守を歴任して優れた治績を残し、零陵太守の時は荊南で起きた大反乱の鎮圧に功があった。律令りつりょうにも通じていて、廷尉となり、九卿三公を歴任した。折しも王甫が誅殺され、陳球は曹節を除くのはこのタイミングを置いて他にないと考えたのだろう。陳球は王萌おうぼうの死で欠員した永楽少府となり、衛尉に遷された陽球を再び逮捕処罰権のある司隷校尉に返り咲かせようとして、劉郃に相談した。

「――――宗室のあなたが陛下の危機を支えず、君臣である我々が国家を助け起こさないのであれば、我々は天下に必要ない。この目でこの国が滅びるのを見ることになりますぞ」

 歩兵校尉という洛陽守備兵を率いる官にあった劉納も劉郃の決起を促した。

 今なら自分が率いる兵を投入できる。劉郃も兄が竇武・陳蕃とともに王甫・曹節に殺されていたので、その恨みを晴らすチャンスだと思い、積極的に賛同した。

 ただ、彼らは知らなかった。長年、のぞくことができずにいた清流派の宿敵・王甫がなぜ先日誅殺されるに至ったのか、その経緯を。その裏には一人の鬼謀があったことを。曹操が入念に手回ししたお陰で王甫を殺すという難題を克服することができたことを。権謀術数で生き抜いてきた曹節という宦官の、類稀たぐいまれなる老獪ろうかいぶりを。

 彼らは曹節を殺すための策謀をったが、油断と手落ちがあった。

 王甫が誅されて日が浅いこの時期に陽球に近付くことは、自ら曹節の監視網の中に入ることと同じだった。曹節は陽球を危険視して、衛尉に遷してからも、その動向に目を光らせていたのである。隙を見て取り除こうと考えていたところ、獲物が網にかかった。陽球のめかけは宦官の程璜ていこう養女むすめである。大宦官の曹節は程璜をおどして情報提供を求め、そして、命の保証と引き換えに、程璜の口からそれが曹節に伝わったのである。

 まさに、竇武・陳蕃のクーデター失敗が十年の時を経て繰り返された形となった。

 王甫を殺して、次は曹節だと公然にアピールしたことが曹節の恨みを買った。

 しかし、今回の抗争劇では他の清流派たちに災禍は及ばず、曹操が言ったとおり、陽球がその恨みを引き受けて死んだわけである。

『もう少し役に立って欲しかったが……』

 思ったようにはいかないものだ。曹操は新たな策を考えなければならなくなった。

『こいつを手放すか……』

 が、その道筋が見えないわけではない。少し時間がいるだけだ。

 曹操は手に入れたばかりの王甫の形見に目をやった。

 そうやって過ごしているうちに玉門関ぎょくもんかんの向こう、西域に出ていた臧旻が洛陽に帰還した。臧旻はその足で袁逢えんほうのもとへ向かった。依頼されていた四神器の一つ、白虎炉の調査報告のためである。それに加え、西域諸国の事情とその風土、道のり、作物や動物に至るまで見聞きするところの全てを袁逢に伝え、逢を感心させたという。

 臧旻は袁逢のもとへ足を運んだ後で曹操邸をおとなった。張奐からの書簡を携えていたのだ。

「やっと来たか」

 曹操はそう呟いて、書簡に目を通した。曹操がにらんだとおり、王甫が殺されたことで張奐は曹操を信用する気になったようだ。張奐は陳蕃から託された白金珠を秘匿ひとくしようとしてかたくなになっていた。清流派にも心を許さず、世俗を離れ、砂漠の彼方に埋もれていたのだ。どこから秘密が漏れるか分からない。段熲だんけいのように濁流派に近付く者も出ていたし、初めて会った男を、宦官の孫である曹操をはなから信用できるはずもなかった。

 曹操は王甫を殺すことで清流的行為を顕示けんじし、有言実行の強い行動力を証明して、張奐の信用を勝ち取ったのだ。曹操は張奐に返書をしたためた。

 約束どおり、仇に報い、死に花を咲かせられる舞台を用意するために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る