ウィンタースポーツの日焼け止め

まらはる

怪異の話です。

 ――ウィンタースポーツには日焼け止めが必要だ。

 これは、ちょっと考えると理屈はわかるが、実際に関わったり詳しく調べたりしないとなかなか考えが至らないという話だ。

 冬場の雪山と言う単語のイメージだけなら、紫外線なんて気にしなくてもいいように思ってしまう。

 だがスキー場へ足を運んでみると、天候が良すぎて雲がないため日差しが雪原に反射してむしろ眩しい、という経験をすることがある。

 実際のところ、雪でいっぱいのゲレンデにおける日光の反射率は8~9割と言われており、夏の海辺が1~2割という点と比較するととんでもない量である。

 そしてその反対に、話は一周戻って「実際にウィンタースポーツで遊ぶ」という経験や想定をしたことが無い人であれば、日焼け止めが必要という考えに自力で至るのはイメージとの乖離ゆえに難しい。だから、そんな人は案外多いと思う。

 スキーやスノボについて全く無知と言う人はさすがにいないだろうが、こまごまとした必需品については頭が回らない人はいてもおかしくない。

 ウィンタースポーツは海での遊び以上に、道具や労力や技術やそのほかの手間がかかる遊び、といったイメージだって少なからずあるはずだ。

 かくして、単純な知名度は高くても、実際に触れてみて初めて分かる専門知識……とも言えない初歩的な知識みたいなものは、世の中に存在する。


「知らなかったんだよ」

「知らなかったんだね」


 冬でも雪山でもない。

 夏の木々が生い茂る森の奥。……一応、地形的には山ではあったか。

『山に死体を埋めるな』

「これはさぁ、さすがにこっちから先んじて聞けないから教えてほしかったなあ」

「ごめんごめん、やったことないとそりゃ知らないよね」

 初めて死体を埋めたのだ。

 口が堅く、信頼もあり、非合法的なことにも躊躇のないタイプの友人に手伝ってもらった。

 死体の名前は知らない。

『山に死体を埋めるな』

「でもそもそも、君が軽率で短絡的たっだのが悪いってのは、わかってる?」

「ああ分かってるよ。それを言われると返す言葉は無いが……」

 暴力に慣れすぎていた。

 表向きは商社の社員、という身分だが、その商社は実際のところ反社会的組織の下請けだったりする。

 「反社会的組織と関わりがありますか?」と聞かれて正直に答えるならイェスになってしまう。正直に答える機会なんて無いが。

 反社会的な立場と言うのは昨今特に風当たりが強く、まず口には出さないし、出さな過ぎてむしろその事実自体はいつも半分忘れているが、それでも空気感というものはある。

 社内に限れば、上から下への殴る蹴るは軽いあいさつ代わりになるような社風だ。

 いや社外の人とも互いの立場次第で殴り殴られ蹴り蹴られだ。

 あとは仕事として人や物を運んだりもする。詳細を聞くことを禁じられたうえで、だ。法令には引っかかってるだろうが、どう引っかかってるかは知らない。知らされることはない。

 そんな仕事に、中途半端に慣れてきてしまったのだろう。

 今日会ったばかりの人間と揉めて、軽く小突いたら死なれてしまった。軽く、という程度がズレてしまっていた。

 とはいえ、さすがに人の命を奪うのは初めてだったので、頼れる友人に相談して、今に至る。

 今とはつまり、埋め終えて、ここまで来た足である車に戻ってきたところだ。

『山に死体を埋めるな』

「いや、っていうか、でも知ってたのかよ。逆に。ツッコミが前後するけどさ」

「知ってたよ。童貞じゃないんでね」

 この童貞とは軍隊スラングで、殺人経験についての話である。

 似たような界隈で仕事をしてる友人だからさもありなん。

 いや、その初体験が業界に来る前の可能性もある。

 なにしろ普段何をやって何を考えてるかよくわからない友人だからだ。

 ぼんやりと疑問に思うことはあるが、聞こうとは思わない。

 だが今回ばかりは別だ。

『山に死体を埋めるな』

「これッ、なんとかならないのかよッ!?」

「さぁ、そればっかりは。僕の知ってる対処方法はただ一つ、——我慢して慣れろ」

『山に死体を埋めるな』

「うるさいんだよ、コレッ!! どうにかならねぇの!?」

 車内にいるのは、俺と友人の二人だけだ。

 だけどそれ以外の声がずっと耳元で聞こえてくる。

『山に死体を埋めるな』

 埋め終えて、ふっと一息ついて冷静になった瞬間から聞こえ始めた。

 耳元で、ずっとささやかれている。

 振り返っても誰もいない。 耳の近くで腕を振り回しても変わらない。

 男の声のようにも女の声のようにも聞こえる、ぼそぼそとした声。

 でも、なにを言っているのかは言葉も意味もはっきりしている。

『山に死体を埋めるな』

「ホントどういうことなんだよ、コレッ!?」

「山で死体を埋めたんだからね。山で死体を埋めてほしくない何かしらから怒られるのは仕方ないんじゃないかな。いや、怒ってるかどうかは知らないけど」

「怒ってるんじゃねぇかなぁ!?」

 今までウィンタースポーツに興味が無くて初めてゲレンデに行くやつが、紫外線のことに気づける確率はいくらだろうか。

 自分で死体を作って山に行くことを想定してなかったやつが、死体を埋めたらこんな……こんな不気味な現象に見舞われるなんて想像できるだろうか?

 できるわけがない。

「僕も初めて死体を埋めたのが、この山でね。この山特有のものかもしれないけれど……ともあれ実はその時からずっと聞こえてるんだよ、僕も。『山に死体を埋めるな』って、同じ調子でずっとね。当時は幻聴かと思ったけど、まぁ普通の耳鼻科に相談もできないし」

「初めてがいつかは聞かねぇけど数年以上は前の話だろ、正気かよ?」

「死体を埋めたやつが正気なわけないだろ」

「それもそうだがよ」

『山に死体を埋めるな』

「ああん!!もううるせぇ!!!」

 友人は頼りになるが頼りにならない。

 異常事態においては精神的には頼もしい。

 今回のように無茶もできる。

 以前ちょっと仕事で失敗して挽回が難しそうで海に沈められそうになった時は、汗ひとつかかずに逆転の道筋を考えてくれた。

 だがよく考えるとその時も考えてくれただけで、土壇場で何とかしたのは俺自身だった気がする。

「頑張っても沈むときは沈むし。ドンマイ」

 などとふざけたことを言ったのでブチ切れて、しかしその後冷静になったらちょっとしたアイデアが思いついて、それでなんとかなった。

 そういう意味ではそばにいてくれたので助かったと言えなくもないが。

 そういえば、あの時もすでにこの友人は幻聴を聞き続けていたのだろうか?

「なぁ、ホントにこれ……耐えるしかねぇのかな?」

「たぶんね。そういう、妖怪? 怪異? みたいなもんだよきっと。ドンマイ」

「ドンマイじゃないんだよ。仮にも当事者の態度かよ」

 そんなやつだから死体埋めも手伝ってくれたのだろう。

 そんなやつだから、気味の悪い声が耳元でささやかれ続けるリスクも些細なものと考えていたのだろう。

 そんなやつだから、何もしなければずっとコレが続くことの証人にもなってる。

「解決方法、なんかないのかよ。山のどっかにある祠にお参りするとか、坊さんに見てもらうとか、塩ばらまくとか」

「あっはっは。すごいね、よくとっさにそんだけ思いつくもんだ。僕は思いつくのにそれぞれ1年くらいかかったよ」

「言いたいこと色々あるけど、結果だけ聞くぞ。全部試したんだな?」

「全部試したよ」

「そっかぁ」

 詳しくは聞くだけ無駄そうだ。

『山に死体を埋めるな』

 もはや合いの手にも聞こえてきた。

 さっき埋めてから、1時間もたっていない。

 それでもこの暗い車内で数百回は聞いている。

 友人のように、慣れるかもしれない。

 そんな希望もなくはないが、やはりそれより先に精神が参る方が先な気もする。

 あるいはこれまでにもたくさんいたのかもしれない。

 死体を埋めて、ささやかれて、誰にも相談できず参っていった人間が。

 そんなことにまで想像が回ってしまう。

 決して表沙汰にならず、罪を犯した人間だけが知っている罰。

「今回の教訓は、やっぱり人を殺すのは良くないよね、ってことで」

「お前は別に良くないと思ってないだろうがよ」

「おや、バレたか」

「思ってたらそんな態度でいられないだろ」

 ちゃんちゃん、で締めれたらいいのだがそうもいかない。

 このまま帰ってどうなる?

 果たして耐えられるか?

 単純に秘密として黙っているのはいい。

 万が一バレて問題になるのも、それこそ万が一って程度には考えられる。その時はその時だ。

 でも、こんなよく分からないバケモノか妖怪かに付き合わされ続けるのは?

『山に死体を埋めるな』

 ささやかれるたび、生温く、か細い吐息が混じって耳の奥へと届く。

「……ひとつだけ、多分お前が試してない方法を思いついた」

「へぇ、さすがだね。短気だけど、その分頭の回りが早いのも君の長所だと思うよ」

「ちょっと面倒くさいが、手伝ってくれるか?」

「いいよ、参考にしたいし」

「……いや」

 残念ながら参考にはならない。

 ごくごく初歩的な、そして前提をひっくり返す方法。

「死体を掘り返そう」

「あー、なるほどね」

 ずっとささやいてくる声。

 目的があるとすれば、そういうことだ。

「山に死体を埋めるな、っていうなら死体を掘り返せばいい。当たり前だ。でも誰もそれをやらねぇ。それも当たり前だ。死体埋めるってのは、基本的に追い詰められた最後の選択肢だからな」

 なんとか、冷静な頭で損得勘定ができた。

 死体を掘り返す労力、別の場所で死体を処理する手間、友人に付き合わせた後の埋め合わせ、それらに対する耳が元に戻る可能性。そしてこの可能性は十分に高い。

「試す価値はありそうだね」

「一回やったら何やっても許しません、ってスタンスなら分からないけどな」

 怪異ってのは科学で説明つかないものである。

 どんな理不尽さが待ち構えているか分からない。

 だが一方で、罠のようではあるがルールはある。

 ルールがあるなら、それに従う。

 それが一番の近道なのだ。

「で、手伝ってくれるか?」

「いいよ、どうなるか知りたいし」

『山に死体を埋めるな』

「ああ、わかったよ」

 声にうなずく。車の外に出て、死体を埋めた場所へ行く。

 それを見て友人も、また続く。


 ………………。

 たっぷり時間がかかった。

 もともと深夜にこの場所に来たのだが、いつの間にか早朝の時間だ。

 遠くに見える山の端が明るくなっている。

 死体を掘り起こして、車に積み込んだ。

「どうするかな、これから」

「それはこれから考えよっか」

「考えてるのかよ」

「考えてるよ、一応。海に捨てる?」

「あー、また夜を待つか……」

 この会話の間、俺はさっきまでの声を聞くことはなかった。

 推測は正しかったらしい。

 関わった人しか知れないタイプの知識が、これでひとつ増えた。

 これから先、酒の場で話すネタとしては十分かもしれない。

「……とりあえず、ふもとまで下りるか」


 ――ウィンタースポーツには日焼け止めが必要だ。

 これは、ちょっと考えると理屈はわかるが、実際に関わったり詳しく調べたりしないとなかなか考えが至らないという話だ。

 雪原がどれだけ眩しくなるか、想像するのは難しい。

 何事も、経験して初めて「そういうことがあるのか」と知る知識がある。

 死体を埋める、というのが、まさかこれに当てはまるとは思っていなかったが、そういうこともあるのだろう。

 ひょっとすると、たまたま耳にしなかっただけで業界ではそういう噂ぐらいはあったのかもしれない。

 今のご時世、意外と山に死体を埋めるなんて、なかなか無いのかもしれない。

 だから、経験して知っている人間はごく少数なのだ。


 つまり死体を、掘り返した人間はもっとごく少数なのだ。

『山で死体を掘り返すな』

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