第3話 ちょっと目を離したら…


 駅前のカフェは、僕には近寄りがたい光を放つオシャレなカフェだった。

 店内でパソコンを開いて仕事をしている人、美人さんが集まってスマホを片手に写真を撮っていたり。女子高生もいるけど、やっぱり存在自体がオシャレで、そのまま雑誌の表紙を飾ってもおかしくない見た目だった。

 容姿ではなく服装で大体の人はなんとかなると言われているが、この光景を見るとやっぱり最低限の容姿は必要なんじゃないかと思う。少なくとも僕にはどうしたって追いつけない。


「……帰ります」

「なんでよ!? せっかくここまできたんだし……私が買ってくるから後輩くんはここにいればいいよ。もちろん私が奢ってあげるから。ほら、そこの席に座って待ってて」


 気を遣ってくれた夏原先輩は、店内ではなく、パラソル付きのテラス席を選んでくれた。気温が高いから店内の方が絶対いいはずなのに……あの人、気を遣えたんだなあ、と少し感心だ。

 数分して戻ってきた先輩はパフェをふたつ持っていて……どっちも先輩が食べたい味だから深くは考えていなかったけど、色合いが原色過ぎてどんな味なんだろう……?


「? レモンとイチゴだよ。苦手だったの?」

「いえ……まあ甘いものを積極的に食べる方ではないですが……ひとまず、先輩が好きなだけ食べていいですよ。余ったら僕がいただきます」

「えーっ、いいの? 全部食べちゃうかもしれないけどっ」

「いいですけど、太りますよ?」


 先輩の手が止まった。数秒前までバクバクと食べていたのに……もしかして、パフェを食べる人間が、まさか太ることを気にしていたとか……?


「…………いらない」

「食べてください。先輩は少し太ったところで魅力がなくなることはないですから。というかちょっと細過ぎだと思います。パフェを食べてちょうどいいと思いますよ」

「そうかな……?」

「そうですそうです。だからさっさと食べちゃってください。僕のことは気にせずに」


 夏原先輩は美味しそうにパフェを食べ続ける。ふと、思い立ってスマホでパフェを……というかパフェも含めて食べる先輩を撮影した。シャッター音に気づいた先輩が僕を見て、


「ちょい、無許可はダメですよー。消しなさい、後輩くん」

「パフェを撮影しただけです。ほら、リア充は食べ物を撮影するんですよね? ばえ、ですか?」

「それは食べる前に撮るの。食べてる途中のを撮っても映えません。いいから見せなさい、パフェじゃなくて私を撮ったんでしょう? 怒らないから、ほらほら」


 渋々、スマホを見せると、食べている自分の写真を見た先輩が顔を赤くさせ、僕を睨んだ。


「撮ってるじゃん……っ」

「先輩が映り込んできたんですよ。大丈夫です、トリミングで消すので」

「切り取らないでよ!」

「だってメインはパフェですし」

「いや完全にピントが私なんだけど……」


 スマホを取り返して見てみれば、パフェはぼやけて先輩がくっきりと映っている……これはスマホの気まぐれで、設定ミスです、ということにしておいた。


「それ、消してね。大口開けてる写真なんか後輩くんに持っていてほしくないもの」

「消しますよ」

「バックアップもダメだからね?」

「……しませんよ」

「間がありましたけどー」


 先輩にしては鋭い指摘だった。まあ、仕方ない。いじりがいがあるとは言っても本当に嫌がっていることをするわけにはいかない。先輩の前で、ちゃんと消したことを見せる。


「はい、消しました。バックアップも取っていません……これでいいですか?」

「よろしいです」


 すると、先輩が椅子を持って僕の隣に移動してきた。……なんで?


「先輩? なんですか?」

「もっと近づいて。じゃあ撮るからね?」


 先輩がスマホを片手に腕を伸ばして、僕とのツーショット? を撮ろうとしている。


「あっ、後輩くん、目瞑ってる……もうっ、もう一回ね!」

「あの、なんで写真……」

「だって後輩くんが私の写真を欲しがってたから。どうせなら一緒に撮った写真を残してほしいじゃない? さっきみたいな、人の素を盗み撮るんじゃなくて!」


 大口開けてパフェを頬張る先輩も可愛かったけど。きっとそういうことではないのだろう。

 油断しているところを撮られて、写真が残ってしまうのは僕だって嫌だし。


「……分かりました。覚悟を決めます」

「ツーショットを撮るだけだから。……私とのツーショットって、覚悟がいるの?」


 いいから撮りましょ、と流して、先輩に撮影を任せる。納得のいってなさそうな先輩だったけど、伸ばした腕が疲れていたみたいで、撮影は迅速におこなわれた。

 何度か撮影し、僕の目線の向きや、目を瞑っていない、ちゃんとした写真を選んで一枚を決める。先輩にその写真を送ってもらって……僕のアルバムに夏原先輩の写真が新たに加わった。


「……自分が映っている写真って、好きじゃないんですよね」

「えー、なんで?」

「自分のことが好きじゃないからですね」


 先輩には分からない感覚だろう。

 先輩は、だって自撮りをするくらいだから、少なくとも嫌いではないはずだろうから――


「……ねえ後輩くん、君、私が私のことを好きだって思ってない?」

「え? 違うんですか?」

「ううん、好きだよ」

「…………」


「いやいや、今は好きだけどって話。昔は後輩くんみたいに自分のことが嫌いだったの。でもね、こうなりたいって目標を見つけて、努力をして……そして今になったの。自分が納得していれば自分のことが好きになれた。いつでもどこでも自撮りもできるし、人に写真を撮られても寛大な心で許すことができるようにもなったのよ」

「さっき注意されましたけど」

「あれはダメ。映りがよくなかったから」


 細かいルールはあるようだった。


「だから後輩くんも、自分が納得できるように自分を改造したらいいと思うよ。自分はダメだーって考えて諦めて、落ち込むのはできることを全部やってからでもいいんじゃない?」

「…………」


 自分は陰キャだ、と言って色々なことを諦めてきた。向こう側は自分がいる世界とは相容れない異世界だと決めつけて、逃げて……。

 本当に嫌ならしなくてもいいとは思う、けど。本当はやってみたいのに自分には似合わないと決めつけて諦めるなら、一度くらいは、やってみてもいいんじゃないかと、先輩は言ってくれている……先輩のくせに。


「先輩のくせに良いこと言いますね」

「くせにってなに!?」

「はは、褒めてますよ」

「褒められた気がしないし!!」


 もういいっ、と先輩がパフェを全て平らげてしまった。本当に全部食べるなんて……正直、一口くらい、先輩のことだから「あーん」でもしてくれるのかと思っていたけど、そういうイベントもなく、ただ単に先輩がふたつのパフェを食べただけだった。いいのかな、これで。

 このデートは罰ゲームだから、ドッキリポイントがあるはずなんだけど……今のところどこにもない。僕が見つけられていないだけだったりして……。


「後輩くん? さっきから私以外を見て……なにかあるの?」

「いえ、なんでもないです」

「あ、分かった! 綺麗な人に目を奪われてたんでしょ! やっぱり男の子だなー」

「なんでですか、違いますよ」

「どーだかねー」


 節操がなく女子を目で追っている、と思われているのは癪だった。


「……目の前に最高級がいるのに、どうしてそれ以下を目で追うんですか。意味のないことはしない主義なんです。僕は他人を盗み見るような最低な人間じゃありませんから」

「あ、うん……そう、なんだ……」


 勢いを失くした先輩が、空になったパフェの器をスプーンでかつかつとほじくっていた。もうアイスもクリームもないけど……まるで茶碗の中の米粒を残さないみたいに、綺麗にしないと気が済まない人なのだろうか。


「先輩、意地汚いですよ」

「え? あっ、違うのこれは!!」

「あと口、クリームが……紙ナプキン取ってきますね」

「ううん、ハンカチあるから別に」

「ハンカチで口元を拭うんですか? ハンカチって汚いんですよ? すぐ戻ってくるので待っててください……クリームは舐めちゃってくださいよ」

「後輩くん!?」


 席を立って紙ナプキンを取りにいく。こういうのは店内に常備されているはずだから、目に見えるところに……、分からなければ聞けばいいし。

 入口のすぐ傍にあった紙ナプキンを数枚持って店を出る。

 夏原先輩が待っている席へ急いで戻ると……、



「さっきから見てたんだけど、あんな冴えない奴よりオレらと遊ぼうぜ、お嬢ちゃん」

「ぜーんぶ俺らの奢りで楽しいこと教えてあげっからさ」

「ガキと遊んでもお嬢ちゃんのためにならないだろ? 大人の遊びを知りたくない?」


「あ、あの、私は遠慮しますので……」


「いいからいいから、早くいこうぜ」



 と、肩に刺青が入った、大学生? くらいの男たち三人が、先輩を囲んでいた。先輩、ひとりになった途端にナンパされている。さっきまで手を出さなかったのは僕がいたから……? じゃあ、一応は僕でも男避けにはなっていたのか。

 それにしても、典型的なナンパで、分かりやすい悪者役者だった。なるほど、これが罰ゲームか。ナンパ男を先輩にぶつけて、僕がどういうリアクションをするのか、カメラで撮影しているのだろう。ドッキリを仕掛けた先輩たちは僕が怯える情けない姿を撮りたいのだろうけど、でも……それって動画としてはどうなんだ? 面白い? まあ、笑い者にはなるかな。


 だけどありふれている動画で、再生数は稼げないのではないか。二番煎じどころか二百番煎じな動画になりそうだ。だったらここは、陰キャの僕がナンパ男たちに立ち向かっていく動画の方が、笑いにはならないかもしれないけど、物珍しさはあるのかもしれない。


 どうせドッキリだ。失敗すればお蔵入りになるだけ……なら、やってみるだけやってみる。

 それに、罰ゲームとは言え、今の僕は夏原先輩の彼氏なわけだし……怖い思いをしているかもしれない彼女を前に、僕が腰を抜かして先輩に頼るわけにもいかなかった。


「――あのっ」


『あぁ?』

「こ、後輩くん……っ!?」


「ああ、お前か。いらねーよ、ガキはさっさと帰ってママに慰めてもらいな」

「そうだぜ、分かってるだろ? どんな関係性か知らねえが、お前にこの子は釣り合わねえ。こんな場所にくるもんじゃねえぜ。どうせ教室の隅で一言も喋らねえ陰キャだろ?」

「まあ、そうですけどね……」


 僕よりも大きな体と身長、そして太い腕が伸びてきて、その大きな手が僕の頭を鷲掴みにする。


「後輩くんっ!」

「お嬢ちゃんはこっちにきな」

「まっ、待ってください! 言うことを聞きますから、その子、だけは……ッ」


 先輩も迫真の演技だった。いや、もしかしたら先輩はなにも聞かされていないのかもしれない。だから夏原先輩は本心から怯えて、震えながらも僕を庇おうと……。


「……ダメだ」

「あ?」

「男が女の子にそんな顔をさせちゃダメですよ」


 すいません、と事前に謝ってから、僕は目の前の男の両目に指を突っ込んだ。どれだけ筋骨隆々の相手でも、眼球は鍛えられない。それは僕だって同じなわけだけど、先に相手の目を潰してしまえば反撃を受ける可能性もぐっと低くなる。


「あぎゃっ!?」

 と怯んだ男の手から逃れて、男たちの隙間を縫って先輩の元へ。他二名の男が敵意を持って僕を睨んでくる。怖い……けどっ、目を合わせなければ強面は意味がない。


 先輩を背に、僕が前に出る。


「クソッ……躊躇なく、目を狙いやがって……ッ!」

「おいおい、おいおいおい!! 先に手を出したのはお前だぞッ!!」

「……いや、そっちですけど……確かに痛がらせたのは僕かもしれませんが」

「うだうだ言ってんじゃねえよ!!」


 殴りかかってくる男。これを受け止めることも回避することも僕にはできない。


「先輩、屈んでください」

「は、ぃっ」


 僕は先輩を抱きしめて体を丸める。僕が殴られたら済む話だ。

 覚悟を決めて痛みをがまんしようとしていたら、甲高い笛の音が響き渡る。騒ぎを通報してくれた誰かがいたようで、数名の警察官が近づいてきた。

 男たちは「やべえ!」と焦ってこの場から去っていく……、なんとか、なった……?


「君たちっ、大丈夫かい!?」

「……はい、なんとか……」

「最近、ここ周辺で乱暴なナンパが多いからね……怪我はないかな?」


 丁寧に接してくれた警察官の人にケアをしてもらって、数分後に解放された。警察官が巡回してくれるようだから安心だったけど、夏原先輩はそれから怖がってしまって、僕の手をぎゅっと握ったままだった。

 ……まったく、やり過ぎだ。せめて事前に先輩には口裏を合わせておくべきだったのに……。


 僕にばれてしまうかもしれない危惧は分かるけど、先輩まで巻き込んでトラウマを与えるのは違うだろう。もしかして、これってそういう罰ゲームだったとか? 先輩を、追い詰めるために、とか……。だとしたら悪趣味だ。

 確かに罰ゲームだけど……、これじゃあただの罰だよ。


 夕暮れ時の帰り道。先輩は黙ったまま、離してくれない手をどうしようかと思いながら、僕たちは駅前から住宅地まで戻ってきていた。先輩の家がこっちらしいのだ。

 言葉を発しないけど先輩が微妙に力を入れてくれるので、いくべき方向が分かる。そして、夏原、という表札を見つけたので、ここが先輩の家だと分かった。


「先輩、着きましたよ」

「…………うん」

「怖かったですか?」

「怖かった……」


「もう大丈夫です、ほら、家に着きましたから。お風呂に入ってゆっくり休んでください。もしも夜、不安だったなら……僕に電話してくれてもいいですから」


 先輩のこの不安も、実は演技で……というか全て演技で、僕にクサイセリフを言わせるのが動画の趣旨だった、という可能性も――は、ないか。

 さすがにカメラはない。いやでも録音されているかも……まあそれでもいいか。


 たとえ演技でも、今の先輩を見て疑うのは僕がしたくなかった。

 嘘でもいい。嘘の方がいいし。今の先輩は、慰めてあげたいと思った。

 泣いている女の子が可愛いだなんて思ったわけではないけれど、弱っている女の子の不安を取り除くのは男の……仮でも、彼氏の役目だと思った。


「先輩、おやすみなさい」


 先輩の手がすっと、僕の手から抜けていく。

 門戸を開けて進んでいく先輩が玄関のノブに手をかけて、振り向いた。


「おやすみなさい、後輩くん」


 泣き腫らした目を見て、僕の中に生まれた、本気の気持ちがあった。

 扉が完全に閉まったところで、ぼそっと呟く。これは絶対に、聞こえていないだろう。



「好きです、先輩」



 …続

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