第7話 寝不足の日

「ソラさん、おはようございます」

「……ああ、おはよう」


 ……目を開けると、エプロン姿のベルがいた。昨夜は一睡もできなかった。まさか森で拾った少女が――敵国の王女様だとは思わなかったのだ。俺はとんでもないことをしでかしたのかもしれないと、いろいろな考えが頭の中をぐるぐると巡っていた。


「どうかなさいましたか?」

「いや、昨日は考え事をしていたものでね」

「そうでしたか。朝ごはん、ご用意しておりますよ」

「すまんな、ベル」


 俺はベッドを降りて、右足を引きずりながら居間へと向かった。どれどれ、今日の朝飯も美味そうだな。俺が席につくと、ベルも腰を下ろした。


「神よ、日用の糧に感謝いたします」


 昨日の話を聞いてからだと、このベルの言葉も違って聞こえるな。モワ王国の王室は宗教と密接に結びついているはずだ。すなわち、王国の信仰の中心にいた人物が――今まさに目の前にいるわけか。


「食べよう、ベル」

「はい」


 俺が促すと、ベルはフォークを手に取った。今日の献立は茹でた野菜に卵を焼いたものか。しかし、寝不足であまり食欲が湧かないな。


「どうされましたか?」

「いや、ちょっと……眠れなくてな」

「……そうでしたか」


 ベルは静かに俯いた。俺が結構なショックを受けたことも分かっているようだな。昨日はあまりの驚きですぐに床に就いてしまったけど、聞かなければならないことがある。


「……すまん、昨日聞きそびれたことを聞いてもいいか?」

「はい、なんでございましょう?」

「王室内に大きな動きがあったと聞いている。……お前がここにいるのも、それが理由か?」

「……はい」


 やはりそうだったのか。クラーラが言っていた話がベルと繋がっているとは思わなかったな。しかし、それにしたって違和感がある。……第一王女が消えたというのに、王国内で騒ぎになったという話を聞かないのだ。


「ベルは王国から逃げ出した身だろう? 追っ手が来たりしないのか?」

「いえ、特にそういうことはございません。私がこちらに来たことは王国も把握していないと存じます」

「そうなのか?」

「はい。ですから、ソラさんが危ない目に遭うことも無いかと」

「そうか。すまんな、俺の心配までしてもらって」

「いえ、匿っていただいているのは私の方ですから」


 それなら安心だが、第一王女の失踪を把握出来ないほど王国の奴らが無能だとは思わない。恐らく、何かからくりがあるはずだ。それが何かは分からないがな。


「……あの、ソラさん」

「どうした?」

「私が王女を騙っているとはお考えにならなかったのですか?」


 ベルは不思議そうな顔でこちらを見ていた。たしかに、コイツが第一王女に成りすましている可能性がないわけではない。しかし、あの「不完全治癒魔法」と昨日の魔法。……ベルがただの魔術師ではないことは明らかだ。


「なーに、お前の魔法を見りゃ分かるさ」

「信じていただけたなら何よりです」

「俺だって仮にも魔術師だからな、ははは」

「……ソラさん、私からもお聞きしたいことがあります」


 俺が軽口を叩いていると、ベルが真剣な表情で問い詰めてきた。聞きたいことと言われても、あくまで敵国の王女様だからなあ。


「別にいいけど、答えられないこともあるぞ」

「承知しております。それでも伺いたいのです」

「分かった。とりあえず言ってみな」

「……『ハイルブロンの悪魔』という言葉に聞き覚えはございますか?」


 一瞬、時が止まったような気がした。俺は持っていたフォークを落としそうになり、慌てて掴み直す。


「な、なんでそんなことを?」

「ソラさんは航空魔術師でいらっしゃいますから。……ご存知かと思ったのですが」


 知らないわけがない。ハイルブロンという地名を聞けば、すぐに俺のことだと気づいてしまう。こっちじゃ俺は「英雄」だが、向こうじゃ「悪魔」らしいからな。


「その『ハイルブロンの悪魔』がどうかしたのか?」

「いえ、我が国では名前が知られた存在ですので。……帝国の恐るべきエースだと」

「……なるほどね」


 紛れもなく俺のことだ。しかし王女様がわざわざ興味を持つほど俺の名が知れ渡っているとは思わなかったな。向こうの王室が軍事に首を突っ込んでいる印象はなかったが、近年は違うのかもしれない。


「悪いが、その質問には答えられないな。気を悪くしないでほしいんだが、俺はベルのことを完全には信用していない」

「はい。拾っていただいた身である以上、わきまえております」

「すまんな。分かってくれ」


 そう言って、俺は茹でた野菜を口に運んだのだった。しかしこれは頭の痛い案件だな。いっそのこと、ベルが亡命の手続きを取れば然るべきところで丁重に扱われることだろう。一時的とはいえ、右足を治してくれたベルを役人に突き出すのは心苦しいのだが、王女となれば話は別だ。下手に匿っているより亡命の方がいいかもしれないな。……治癒魔法が使えなくなることだけが惜しいが。


「なあベル、正式に亡命する気はないか?」

「えっ?」

「その方がお前の身は安全になる。それに、今よりずっと自由に暮らせるぞ」

「……いえ、亡命はしません」

「へっ?」


 意外な言葉に、俺は戸惑う。ベルが王国から逃げ出した真の理由は知らないが、向こうにいると何か不都合があるのは間違いないだろう。それなら、いっそのこと帝国臣民となってしまった方がよいと思うのだが。


「どうして断る?」

「……拾っていただいたとき、私はあなたにこの身を捧げると誓いました。帝国に、ではございません」

「それはそうだが……」

「もちろん、ソラさんがお困りなら亡命も考えさせていただきます。しかし、私はまだあなたのご恩に報いることが出来ておりません」

「つまり――亡命したくないのは俺のためだと?」

「はい。どうか、このままあなたのもとに置いていただけないでしょうか」


 ベルは真っすぐな瞳でこちらを見つめていた。やっぱり綺麗な目をしているな。……コイツは王女としての立場を捨てたうえで、たまたま自分の身を拾ってくれただけの男に身を捧げると言っているのだ。生半可な覚悟ではないだろう。


「……分かった。しばらくはこのまま匿うよ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。ベルの魔法を使わせてもらいたいし、何より不味い飯には戻りたくないしな」

「ソラさんったら……」


 頬を赤く染め、ベルは少し恥ずかしそうにしていた。……そういや、コイツって何歳なんだ? 年下だろうとは思っていたが、この際きちんと知っておく必要があるな。


「なあベル、お前っていくつなんだ?」

「そんなっ、淑女に歳を聞くなんて破廉恥な……!」

「破廉恥ってこたあないだろ」

「……十五歳でございます」

「じゅうご!?」


 三つも下だったのかよ!? それこそエレナたちと近い年齢じゃないか。……生徒と同い年の女を家に連れ込んでいる教官なんて、他人に知られたら何を言われるか分からんな。


「そ、そんなに驚くことでしょうか?」

「すまん、取り乱した。俺はそろそろ学校に行く」

「あ、はい。承知しました」


 俺は席を立ち、学校に向かう準備を始めた。服を着替えて荷物を持ち、いつも通りに杖を持つ。ベルが支度を手伝ってくれるようになってから、随分と楽になった。右足のこともあるから、同居人がいるというのは素直に有り難い。


「じゃあ、行ってくるから」

「行ってらっしゃいませ、ソラさん」

「家に押し込めて申し訳ないが、我慢してくれ」

「いえ、とんでもないです」


 こうして、俺は学校に向かって歩き出した。しかし、敵国の王女様が俺の帰宅を待っているとは未だに信じられんな。いったいどうなることやら――

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