第6話 客人の正体
市場に着くと、俺は馴染みの肉屋に向かった。そこそこお安い値段で良い肉を売っているので、普段の買い物に重宝している店なのだ。
「おう、いらっしゃい先生!」
「こんにちはー」
店の軒下に入ると、店主の男が元気な声で出迎えてくれた。一般人で俺のことを「ハイルブロンの英雄」だと知る者は多くない。このレムシャイトの街でも、俺はあくまで「ソラ・シュトラウス教官」ということで通っているのだ。
「今日はいつものやつ……を倍の量で」
「昨日も倍頼んでたが、何かあったのかい?」
「しばらく客人が泊ることになりましてね。二人前必要なんです」
「なるほど、先生も苦労が多いねえ! おまけしとくよっ」
「ありがとう、助かりますよ」
俺は店主から肉を受け取り、鞄にしまった。そのまま杖を手に帰ろうとしたのだが、後ろから呼び止められた。
「ちょっと先生、待っておくれ!」
「はい?」
「工場の方で空襲があっただろう? やっぱり王国が戦争を始めるって噂は本当なのかい?」
「それは……」
俺が軍の教官であることを知っているから、こんなことを尋ねてくるのだろうな。あまり嘘を言いたくはないが、むやみに怖がらせるのもよくない。少し考えてから、俺はニコリと微笑む。
「大丈夫ですよ。我々はいかなる場合にも備えて、生徒たちを育てていますから」
「おお、先生が言うなら安心だな。頼むよ」
「はい。任せてください」
こういうのを「誤魔化す」と言うのだろうな。俺は何か聞かれないうちに、足早に店を後にする。ふと見上げると、何も飛んでいない平和な青空が広がっていた。このレムシャイトも、いつしか戦場になる日が来るのだろうか……。
***
「帰ったぞー」
「お帰りなさい!」
帰宅すると、白のワンピースに身を包んだベルナデッタが出迎えてくれた。家にある服は好きに着てもいいと伝えてあったので、着替えたようだな。
「ごめんな、暇してただろう?」
「いえ、そんなことはございません。たくさん本がありましたから」
「それは……」
ベルナデッタの指さす先には書斎があった。元の家主である魔術師が使っていたもので、魔法から歴史まで様々な本が収納されている。しかし、ベルナデッタは帝国の言語を理解しえないはずだが。
「お前、どうやって読んだんだ?」
「辞書もありましたので、それを片手に。少しずつこちらの言葉も勉強しないといけませんから」
「へえ、それは熱心だな。というか、こっちに逃げてくる前に勉強しておこうとは思わなかったのか?」
「……王国にいた頃は、自由に本も読めなかったのです」
どうやら辛い記憶を思い出させてしまったようで、ベルナデッタは悲しい表情をしていた。目はほんのり潤んでおり、俯いている。
「悪い、嫌なことを思い出させたな」
「いえ、大丈夫です」
「それより、飯にしよう。俺はお前の作る飯が気に入ったんだ、また作ってくれないか?」
「はい、もちろんですっ……!」
「食材は調達してきた。好きに使ってくれ」
「支度しますから、お待ちください!」
ベルナデッタはエプロンを着て、台所に立っていた。っていうか、エプロンなんてあったのかよ。きっと今日はあれやこれやと家にある服を試していたのだろうな。年頃の少女だし、お洒落に気を遣うのも当然か。
俺は居間の椅子に腰掛けながら、夕飯が出来上がるのを待っていた。そういや、結局ベルナデッタは何者なんだろう。「不完全治癒魔法」のこともあるし、やっぱりただの一般人というわけではなさそうだな。
「どうされたのですかー?」
「いや、お前は後ろ姿も美人だなって」
「か、からかわないでくださいっ!」
ぼーっと後ろ姿を眺めていたものだから、ベルナデッタが怪訝に思ったようだ。それにしても、自分の家にこんな少女がいるというのは不思議な気分だな。今までずっと一人だったから、こんな感覚は久しぶりだ。
しばらくすると、夕飯が出来上がった。ベルナデッタは器を持ってテーブルの方に寄ってくる。二人分もあるから、わたわたとして忙しない。
「おい、配膳くらい手伝うぞ」
「シュトラウスさんは座っていてください、大丈夫ですよ」
「そうか」
しかし「シュトラウスさん」と呼ばれるのはどうにも違和感があるな。俺も「ベルナデッタ」と呼ぶと長い気がするし、そこらへんも考えた方がよさそうだな。そんなことを考えていると、いつの間にかベルナデッタも席に座っていた。
「では、いただきましょうか」
「ああ」
「神よ、日用の糧に感謝いたします」
朝と同じようにして、ベルナデッタは両手を組んでいた。しかし毎回これをやらなくちゃいけないのかね。神様ってのはそんなに偉いのかねえ。
夕飯の献立は、肉と野菜を茹でたものか。この汁にもいい味が出ていそうだな。俺はそうっと匙ですくってみて、舌で味わってみる。……美味い!
「美味いな!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。やっぱりお前に料理を任せて正解だった」
「良かったです!」
ベルナデッタは嬉しそうに微笑んだ。やはりこの金髪には笑顔がよく似合う。……それに、ほんの少しだけ死んだ婚約者の面影を感じる。顔も髪型もさっぱり似てないというのにな。
「そういや、少し提案があるんだが」
「なんですか?」
「俺のことを『シュトラウスさん』と呼ぶのはやめてくれないか?」
「えっ?」
「いや、あまりその名で呼ばれることは多くないんだ。どうも慣れなくてな」
「では、なんとお呼びすれば……?」
「『ソラ』でいいよ。そう呼んでくれ」
「では、これからは『ソラさん』とお呼びいたします」
「おう、そうしてくれ。お前はどう呼ばれたい?」
「私……ですか?」
「そうだ。何か好きな呼ばれ方はないか?」
「そうですね……」
俺の言葉に対し、ベルナデッタは何やら考え込んでいた。出来ればもっと短い名前で呼びたいのだが、まあそれはコイツが考えることだな。
「『ベル』と呼んでいただきたいです」
「ベルか。可愛いし、いいんじゃないか」
「かっ! ……ソラさんは私をどうされたいんですか?」
「ははは、どうもしないさ」
顔を真っ赤にするベルを見ながら、俺は匙で汁をすくった。昨日会ったばかりだというのに、不思議と馬が合う。こんな珍しいこともあるもんなんだな。
……もっとも、コイツはあくまで敵国の少女。何かあれば首を刎ねる覚悟も必要だろう。その時に躊躇しないためにも、必要以上に懇ろな仲にならないように気をつけなければな。
「そういや、ベルの名字をまだ聞いていなかったな」
「名字ですか?」
「そうだ。ベルナデッタという名前しか知らんぞ」
何気なく聞いたつもりだったのだが、ベルは再び考え込んでいた。難しそうな顔をして、何やら思いつめている。
「ど、どうした?」
「……やはり、居候の身でありながら正体を隠すのは失礼ですよね」
「はっ?」
ベルはすっと立ち上がり、大きく息を吸った。何をするのかと思えば、両手を上に向けてぶつぶつと詠唱を始める。すると術式が現れ、それが光を放ち始めた。
「うわっ!」
あまりの眩しさに、俺は思わず目を覆ってしまう。ゆっくり手をどけると、光がみるみるベルの手元に収束していくのが見えた。どうなるのかと思えば、何かの物体へと形を変えていく。
「こ、これは……」
「ソラさん、今まで隠していて申し訳ございませんでした。私の名は――」
間もなく、光は立派なティアラの形となった。ふわりと浮き上がるようにして、ベルの頭上へと移動していく。まさか、コイツは――
「ベルナデッタ・アルベール。……モワ王国、第一王女でございます」
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