第46話 全盛期
それまで、能力があるが故に勝利の味しか知らなかった美樹は、初めての敗北の味に驚いてた。
自分が歳下の男に負け、さらにトドメを刺されないことに対する怒り。女だからと情けをかけられたと勝手に思い込み、羞恥で死にそうになっている彼女は、同時に性的に興奮もしていた。
異世界ものアニメやラノベで、魔王に負けたことで拘束され、「クッ! 殺せ!」と言う女剣士と同じ領域に美樹は至ってしまった。
悔しい。けれど、少しだけ嬉しい。
そんな、深い沼に足をとられてたのだ。
「‥‥‥で? なんだっけ? 結婚だっけか?」
しかし、敗者のくせに、プライドが壁となり無意味に尊大に態度になってしまう。
「そうだ! 女房になって、俺の人生をメチャクチャにしてくれ!」
懸命な読者様なら、唐沢がドMの変態であることが分かるだろう。
「‥‥‥?」
たった今、性に芽生えたばかりの美樹は、唐沢の言っている意味が分からなかった。
「俺の全てをお前に捧げる! どうか、俺と結婚してくれないだろうか」
ひまづき、ポケットから指輪を取り出す唐沢。
準備が良すぎる。ストーカーっぽい。9割9分変態。
断る理由は、3つも揃っていた。しかし、恋愛とは人間を狂わせる。
「あぁ。こちらこそ、よろしく頼む」
左指を差し出してそう言う美樹。
どちらとも、救えない阿呆だった。
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「阿呆なんですか?」
20歳になったばかりの弟子も、下らないことで結婚を決めた師匠を、電話口でそう評した。
特訓の末に1人前の殺し屋になった安藤は、美樹とは別々に住んでいた。
「あぁ。阿呆だろうな。しかし、私はもう1度あの感覚を味わいたいんだよ」
「師匠が変な性癖に目覚めてしまった‥‥‥」
頭を抱える安藤昌哉。
しかし、安藤には恩人の決定に逆らえるほどの意思は、情けないことに無かった。
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1年後
そんな弟子を心情を知らずに、美樹は言う。
久しぶりに会おうと喫茶店に呼び出されたのだ。
「聞いてくれ安藤。明日、また殺し合いの約束を取り付けた。この1年間、やりたくもない夫婦の営みって奴をしていた甲斐があったってもんだ」
「はいはい」
安藤にとって、美樹は母と姉の間くらいの存在だ。
つまりは身内。身内の「夫婦の営み」を1瞬想像してしまい、気分が悪くなりおざなりになってしまう。
「だからさ、明日、私は死ぬかもしれないから、後のことはよろしくな」
「‥‥‥今更っスよ」
そう。今更だ。
殺し屋なんて社会に認められていない仕事をしていないる自分達が、いつ死んでも文句は言えないことは重々理解していた。
しかし、唐沢とかいうポッと出の変態に殺されるというのは面白くはない。
\
「‥‥‥また殺してもらえなかった。けど、前と同じタイプの興奮は覚えることはできたぞ」
生きているのが不思議なくらいの状態で、美樹は安藤の前に現れた。
仕事を1つ片付けて、人手が少ない、ビルとビルの間のオープンスペースで缶コーヒーを飲んで一服していたところだった。
半分以上残っている缶コーヒーを落としてしまった。黒い液体がアスファルトに流れる。
何故なら、美樹の風貌が異常だったからだ。
一体、何本の骨を折られたらそんなことになるんだというほどに、その身体は歪だった。カラクリ人形のように歩くその姿は、不気味を通り越して美しさすら放っていた。
安藤は、この時のことを思い出す度に思うことがある。
何か気の利いたことを言って、唐沢との関係を断つことを進めることが自分はできたのではないかと、後悔の念に苛まれている。
しかし、それを安藤の驕りだ。
何故なら、この頃の美樹とは対話なんてしても無駄だからだ。
愛という、曖昧なもののせいで視野が狭くなっている人間には話など通じない。
しかし、それとは比例して、仕事はこれまで以上に完璧にこなしていた。おそらく、格上との殺し合いが技術をあげたのだろう。
そう。これが香川美樹の全盛期。
そして、ここから衰退の一途を辿っていく。
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