【9話】青血閣下と呼ばれるようになった理由


 ルシルとの朝食を終えたアリシアは、それはもうご機嫌。

 エイラの隣で、鼻歌交じりに掃除をしていた。

 

「奥様、今朝は絶好調ですね」

「ええ! 朝からルシル様に優しい言葉をかけていただけたの!」


 オッドアイをキラキラさせて語るアリシアに、エイラはニコニコ笑う。


「旦那様は、奥様のことをいたく気に入ってらっしゃるようですね」

「気に入られている……のかしらね」

 

 嫌われてはいないと思うが、気に入られているかは分からない。

 でもエイラの言ったことが本当なら、少し嬉しい気がする。

 

「冷酷非道な方と聞いていたけど、実際に会ってみたらまったく違っていたわ。あんな優しいお方に、どうしてそんな悪名がついているのかしら」

「それは――いえ、これは私の口から話すことではありませんね」


 エイラが静かに首を横に振る。

 

(何か事情があるんだわ)


 それが気になるアリシアだったが、口にはしない。

 聞いたところで、エイラは答えてくれないだろう。

 

 事情を知るには、本人に聞く以外に道はなさそうだ。

 

 

 その日の夕食。

 ルシルの対面に座るアリシアは、ソワソワして落ち着かなかった。

 

 冷酷非道という悪名がついてしまった事情を聞きたい。

 そう思っているのだが、どう話を切り出したものかと、タイミングを計っているのだ。

 

「どうしたアリシア。何か困ったことでもあったのか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……。少し気になっていることがあって」

「気になっていること?」


 不思議そうな顔をしたルシルに、アリシアはコクリと頷く。

 

「ルシル様はとても優しいお方です。ですから、事前に聞いていた人物像とあまりにもかけ離れていると思いまして……」

「青血閣下――そのことだな」

「……はい」

「あまり面白い話でもないんだが」


 ルシルが小さくため息を吐く。

 

「発端は今から十年ほど前になるだろうか。当時の俺は多数の令嬢から言い寄られていたのだが、それらを全て断っていた」


 彼女たちの性格が好きになれなくてな、とルシルは続ける。

 

「そして、振った令嬢のうちの誰かがこう言った。『ルシル・ブルーブラッドにこっぴどく振られたせいで、私の心は壊れてしまった。彼は人間ではない』とな」

「……ひどい」


 振られた令嬢は、腹いせに事実無根の噂を流したのだろう。

 逆恨みもいいところだ。

 

「それにつれて、自分も酷い振られ方をした、と言い張る令嬢が続出。噂話は瞬く間に広がっていった。そうして、青血閣下が誕生したという訳だ」

「……申し訳ございません」


 青血閣下という悪名は、振られた令嬢たちの悪意によって生み出されたものだった。

 いわれのない噂話に、ルシルはうんざりしているだろう。

 

 興味本位で聞いてしまったことを、アリシアは後悔していた。

 

「そんな顔をするな。別に俺は気にしていない。君のように、俺を優しいと言ってくれる人間が少なからずいるからな。それだけで十分だ」


 暗くなっているアリシアを、ルシルはフォローしてくれた。

 こんなときでも気遣ってくれるなんて、どこまでも優しい人だ。

 

 人の噂なんて当てにならないということを、アリシアは強く実感した。

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