オッドアイの伯爵令嬢、姉の代わりに嫁ぐことになる~私の契約結婚相手は、青血閣下と言われている恐ろしい公爵様。でも実は、とっても優しいお方でした~

夏芽空

【1話】頑張れ、アリシア

「まだこんなに汚れているじゃない! アリシア、あんたは通路の掃除も満足にできないの!?」


 バチン!

 

 飛んできたのは、手加減のない平手打ち。

 熱くなった頬から、ジンジンと痛みが響いてくる。

 

 アリシア・フィスローグ伯爵令嬢に平手打ちを飛ばしたのは、彼女の義母――シーラ。

 十七歳であるアリシアの八つ上、二十五歳の女性だ。

 

 長い茶髪に、黒い瞳。

 キレイ系の、整った顔立ちをしている。

 

「あんた、メイドの仕事を始めてもう何年だっけ?」

「……七年になります」

「七年もやっていてこんなことで注意されるなんてね。どれだけ使えない子なのよ」


 七年前――母が亡くなってからしばらくして、シーラがフィスローグ伯爵家に嫁いできた。

 それ以来アリシアは、メイドに混じってフィスローグ家の家事仕事をしている。

 

 貴族家の家事仕事というのは、メイドのような使用人が担当することがほとんど。

 本来であれば、伯爵令嬢であるアリシアがやるようなことではないだろう。

 

 にもかかわらずこうして掃除をしているのは、シーラに強制されているからだ。

 

 理由は分からないが、アリシアはいたくシーラに嫌われている――いや、嫌われているどころではない。

 虐げられている、と言うのが正しいだろう。

 

 シーラは仕事を強制してくるだけでなく、こうして毎日のように暴言を浴びせ、暴力を振るってくる。

 しかも、そのどれもが理不尽な理由だった。


 アリシアはしっかり仕事をこなしているというのに、適当ないちゃもんをつけてくるのだ。

 

 今、指摘を受けている内容もそうだ。

 実際、通路は綺麗に掃除されていて、目立った汚れはどこにもない。

 

 ただ単にシーラは、アリシアに暴力を振るいたかっただけなのだろう。

 

「……申し訳ございません」


 自分に非はない。

 そう分かっていながらも、アリシアは謝罪の言葉を口にした。


 ここで反抗すればさらなる暴力が飛んでくるのを、過去の経験から知っているからだ。

 

 そんな気持ちが無意識に表に出ていたのだろうか。

 シーラの目つきが鋭くなる。

 

「そんなこと、本当は思ってないんでしょ?」

「いえ、そのようなことは決して――」

「嘘よ。あんたの目がそう言ってるもの。その生意気な、オッドアイがね」


 紫色の左目、はちみつ色の右目。

 アリシアは、両眼で色が異なるオッドアイだ。

 

 亡くなった母の遺伝であるこの瞳は、アリシアにとっては形見のようなもの。

 とても大切な宝物だ。

 

 しかし、そんなオッドアイがシーラは気に入らないようで、何かと因縁をつけてくる。

 生意気な目、そう言われたのは、これで何度目だろうか。

 

 違いますという意味を込めて、アリシアは首を横に振った。

 銀色の長い髪が、その動きに合わせてふわりと揺れる。

 

 しかし、シーラの瞳の鋭さは依然としたままだった。

 

「ちょっと顔が良いからって、あたしを下に見てるんでしょ? あんたのそういう見え透いた態度がね、ものすごくムカつくのよ」


 バチン!

 

 シーラの手のひらが、再びアリシアの頬を叩いた。

 先ほどよりも力が強い。

 

 平手打ちを受けたアリシアはバランスを崩し、その場に転倒してしまう。

 

「ふん」


 地面に横たわるアリシアを見て、つまらなそうに鼻を鳴らしたシーラ。

 ぐるっと背を向け、この場を去っていった。

 

 着用しているメイド服を、グシャっと握るアリシア。

 あまりの扱いの酷さに、涙が出てきそうになる。

 

 でも、泣かない。

 溢れ出てきそうな涙を必死でこらえる。

 

「頑張れ、アリシア」

 

 涙の代わりに外に出したのは、小さな呟きだった。

 

 それは、おまじない。

 

 アリシアにとってかけがえのない大切な人――姉、リトリアの口癖だ。

 

 リトリアもアリシアと同じく、シーラから虐げられていた。

 仕事を強制させられ、暴力を振るわれてきた。

 

 そんな日々の中でも、リトリアはいっさい弱音を吐かなかった。

 いつもアリシアを心配し、『頑張れ、アリシア』と声をかけてくれたのだ。

 

 そんな姉の存在に、どれだけ救われてきたことか。

 彼女がいなければ、とっくに心が折れていただろう。

 辛い日々を送っていたアリシアにとっての、唯一の心の支えだった。

 

 でも、リトリアはもう近くにいない。

 ここよりずっと上、天国に行ってしまった。

 

 先日、十八歳という若さでリトリアはこの世を去った。

 治療の見込めない病魔に、体を冒されてしまったのだ。

 

 ベッドに伏せるリトリアは死の間際、すぐ隣で泣きじゃくるアリシアにこう伝えた。

 

「一緒にいられなくでごめんね。……頑張れ、アリシア」


 それが最期の言葉だった。

 彼女は最後の最後まで、アリシアのことを心配してくれのだ。

 

 だからアリシアは、ここでくじけるわけにはいかない。

 そんなことになれば、天国から見守ってくれているはずのリトリアはきっと悲しんでしまうだろうから。

 

 

 翌日。

 

「掃除が終わったら、すぐに応接室へ来なさい。あんたに話があるの」

 

 日課のアシリアをいじめを終えたシーラは、最後にそんなことを言って去っていった。

 

(私に話? ……いったい何かしら?)


 呼び出しをくらうパターンは初めてだ。

 少し疑問に思うが、言われたことに背く訳にはいかない。

 

 掃除を終えたアリシアは、急いで応接室へと向かうのだった。

 

「失礼します」


 応接室に入る。


 部屋の中にはシーラ、そして、実父のダートンがいた。

 二人は横並びになって、ソファーに座っている。

 

 入室したアリシアを見るなり、ダートンは顔をしかめた。

 

「やっと来たか。のろまな娘め」


 アリシアを虐げるのは、シーラだけではない。

 父であるダートンもそうだ。

 

 シーラのように直接暴力を振るってくるわけではないが、顔を合わせる度に暴言を浴びせてくる。

 姉のリトリアもまた、アリシアと同じ扱いを受けていた。

 

 この扱いは、シーラが嫁いでくる前――母が生前だった時からずっと続いている。

 

 ダートンと母は、とても仲が悪かった。

 母へ向けるダートンの視線はいつも、嫌悪と憎しみで満ちていた。

 

 そんな母から産まれたアリシアとリトリアが、彼は憎くてたまらないのだろう。

 直接言われたことはないが、言葉を交わさなくても雰囲気で察することができた。


「今回、どうして呼ばれたか分かるか?」

「いえ、分かりません」

「察しが悪いな」


 嫌味たっぷりの嘲笑が、ダートンから飛んでくる。

 

 しかしアリシアは、まったく気にしない。

 こんなことは日常茶飯事なので、もう慣れていた。


「嫁ぎ話だ。アリシア、お前はブルーブラッド公爵家に嫁いでこい」


 その言葉に、アリシアは大きく目を見開いた。

 

 ダートンが口にした嫁ぎ先――ブルーブラッド公爵家。

 そこは、アリシアの姉、リトリアが嫁ぐ予定の家だった。

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