75.街で出会った日本人

 どこまでも心配は尽きない。『コロナリア建国記』の詳細が不明なため、余計に不安は増大した。あの話に聖女は出てこないので、ビオラは登場人物から外れる。だが国が滅びれば、一緒に巻き込まれるのは確実だった。


「コロナリア建国記の登場人物の名前、思い出せた?」


「いいえ」


 カレンデュラに尋ねられ、ティアレラは首を横に振った。そこで言葉を日本語に切り替えるべきでは? との視線に気づいて、ちらりとリッピアを窺う。紅茶にジャムを落として、くるくると回す彼女は察しよく微笑んだ。


「お気になさらず」


「え、ええ」


 不思議なほど落ち着いた様子に、クレチマスが何か話したのだろうかと考えた。結局何も思いつかず、コルジリネからの返信もまだ……となれば、ただの情報共有に終わる。


「このあと出かけるけれど……自由にしていらしてね」


 主にリッピアに声を掛ければ、彼女は温室の花を見たいと言い出した。クレチマス同行の条件で許可を出し、中のテーブルセットにお茶を用意するよう侍女に命じる。


「私は同行しますわ」


 最近、色々と物騒なので。笑顔で護衛を買って出るティアレラに、カレンデュラは「お願いね」と微笑んだ。彼女の腕前は確かで、手合わせをした騎士からも再びの要望が入っている。辺境伯領で実戦を通じて覚えたノウハウや技術を、公爵家の騎士は貪欲に吸収しているらしい。


「今度また騎士達と手合わせをお願いしたいわ。頼まれちゃったの」


「運動不足解消で、日課にしていいなら構いません」


 話しながらクレチマス達と別れ、二人きりになると日本語を使う。


『ねえ、ジキタリス子爵の奥方はエキナセア神聖国出身なのよね?』


『そう聞いています。辺境にはカラミンサ公国から嫁いだ方もいましたね。ただセントーレア帝国との縁組は聞きません』


 ホスタ王国は交流が深いため、婿にもらったり養子縁組をしたりと、貴族の間でも血が混じっていた。なるほどと頭の中で整理しながら、街へ向かう馬車に揺られる。


 馬車を降りて、賑わう街の喧騒を楽しみながら歩く。神殿に逃げ込んだビオラへの差し入れだった。愛用の化粧品が切れそうなのと、手紙で頼まれたのだ。侍女に任せてもいいが、気晴らしも兼ねて出かけることにした。


 ついでに、菓子か本でも選んで渡そう。活発な彼女は退屈しそう、と笑いながら話す。


『日本語って誰かに内容がバレないから、下手な暗号より便利よね』


『そうでもないよ、話せる奴がいるからさ。僕みたいに』


 突然聞こえた日本語は男性の声で、振り向いた二人は目を見開く。まさか、まだ日本から転移や転生をした人がいるの? 顔に書いた疑問に、青年はぽりぽりと頬を掻いた。


『そんなに驚かすと思わなくて……久しぶりに日本語を聞いたから懐かしさについ』


 困ったような声で、青年はこてりと首を傾げた。人懐こい笑顔の彼は、明るい茶色の髪をぐしゃりとかき上げる。その根本が黒いことに気づいたティアレラが、転移者かもしれないと目を細めた。

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