26.覚えていると危ない記憶

 ローランド元王太子は、婚約破棄騒動でその座を追われた。だが第二王子ユリウスも、即位を躊躇っている。そのため、王位継承権を持つカレンデュラが、次の女王になるかもしれない。


 噂は王宮内を駆け巡った。内緒だぞ、と前置きして話を漏らしたのは騎士団長だ。騎士の間でひそひそと広まった。ほぼ同時期、文官達もそんな噂を耳にする。別口で宰相閣下経由と聞き、信ぴょう性が高そうだと飛びついた。


 侍女の間でも広がった噂は、夜会の翌朝にはあちこちで囁かれる。誰も止めない噂は、複数の出所があることから、様々な尾鰭背鰭を付けて届いた。


 婚約者であるセントーレア帝国の皇太子殿下は、カレンデュラを攫って逃げる準備をしているらしい、とか。カレンデュラが女王になり、二つの国は併合される、など。噂は複数の分岐をみせたが、共通しているのは次の王はカレンデュラの部分だった。


「訂正が面倒だな」


 眉間に皺を寄せた父のぼやきを、カレンデュラはからりと明るく笑い飛ばした。


「それはお父様達のお仕事ですわ。私は協力して差し上げただけよ」


 関係者である面々は、内通者が捕まるまで王宮に留まることにした。ティアレラは王都の屋敷に、様々な方面から後ろ暗いご相談が届いたため。これは王家を裏切れ、と他国からの誘いも入っている。帰っても休めそうにないと、執事からの連絡で王宮に宿泊を決めた。


 聖女ビオラは、危害を加えられる可能性が高い。第一王子派の貴族の大半は捕まったが、残っている家もある。表立って表明しなかったが、派閥の勢力が落ちたことを逆恨みされる可能性があった。男爵家では守りが不十分、親子揃って保護対象となる。


 タンジー公爵家は屋敷も近い上、警護もしっかりしている。だがリッピアが体調を崩したため、心配した公爵とクレチマスにより寝かしつけられた。客間を三つ占拠している。現在は回復傾向にある義妹に、クレチマスはべったりだった。


「身の安全でいうと、公爵家の方が上よね」


 カレンデュラは言うまでもなく、仕掛け人なので滞在は決定事項だ。内通者捕獲の指揮を取るため、父オスヴァルドも王宮に残った。皇太子コルジリネも、最愛のカレンデュラに寄り添う。


「面倒なら放置すればよかったのに」


 いっそ、そちらを選んでくれたら、私はどれだけ楽だったか。ぼやく婚約者に、カレンデュラはくすくすと笑った。


「あら、こうして一緒に戯れていられるのも、王宮だからでしてよ?」


 婚約者といえど、実家のデルフィニューム公爵家で同室は認められない。ベッドに腰掛ける公爵令嬢の膝枕も、絶対に許されなかったはず。王宮だから叶ったのだと微笑むカレンデュラに、コルジリネは早々に降参を示した。


「私が君に勝てる日は来ないだろうね」


「当然ですわ、男性は女性から生まれ、女性の胎を借りて子を成すのです。負けるのも度量でしょう」


 戯れに言葉を交わす二人が微笑み合い、ゆっくりと近づいていく。身を起こしたコルジリネの手が、カレンデュラの頬に添えられ……。


 バタン! 勢いよく扉が開き、慌てて離れる。髪を手櫛で整えるカレンデュラの心臓はバクバクと煩かった。何もないフリで後ろへ倒れ込んだコルジリネは、妙な姿勢で丸くなる。


「……お邪魔でした?」


 きょとんとした顔で首を傾げるビオラに、淑女の仮面を被ったカレンデュラが言い渡した。


「ビオラ、ノックを忘れていてよ?」


「ごめんなさい」


 しおらしく謝った時点で、ビオラは直前の光景を記憶から消した。たぶん唇が触れていた気がするし、すごく綺麗なキスシーンだと思うけれど、覚えていると命が危ない記憶だわ。ビオラの下した賢明な判断により、なかったことにされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る