なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで
戸波ミナト
01.Why am I born
僕の人生なんだったんだろう。
背中を押しつける壁は硬く左右にも壁。なんとか通り抜けられそうな大きさの窓は到底手の届かない高さにあった。
誰か。誰か。
見回りの兵士なんて贅沢は言わない。助けてくれる誰かはいないのか。
そう願っても灯魔法の光だとか通りすがりの誰かの声がする気配はなかった。
正面から酒臭い息とニヤニヤ笑いと冷たく光るナイフが迫ってくる。行く手を塞ぐのは三人、青い髪の男は僕が買ったリンゴを勝手に食べているし赤い髪の男は薄っぺらい財布をこれ見よがしにお手玉にしている。なけなしの全財産を盗るだけじゃ足りなくて命まで奪うつもりらしい。
僕の人生、見ず知らずの酔っぱらいの悪ふざけで終わるのか。
人間はこういうときに今までの人生を振り返ると聞いた事がある。死を受け入れられない現実逃避だとかも聞いたけれど僕の頭に浮かぶのは去年の出来事ばかり。
記憶喪失じゃあ走馬灯も現実逃避の助けにならない。
がちがちと歯が鳴る。
「た、たす……」
命乞いすらまともにできずしゃがみこむ僕を見て、酔っぱらい達はげらげらと笑った。何か喋っているけれど僕には人の言葉として認識できるだけの余裕がない。
思わず空を仰いだ。
墨をぶちまけたような夜空に金色の星が瞬き、肩甲骨のあたりがじわりと熱を帯びる。飛べるわけでもないのに。
金色の星が流れる。
風を殴る音がする。
星はどんどん大きくなって――いや、金髪をなびかせた人間がこちらに落ちてくる。
焦ったような泣きそうな顔の女の子。
どん、と体に衝撃が走る。
夜闇に飛沫が散る。
「はあ……?」
ナイフを持つ男が困惑の声を上げた。
僕は左手の壁に体を押しつけられ、女の子に覆い被さられていた。
長い金髪を振り乱した彼女の背中には白く大きな翼がある。絵本だの宗教画に描かれる天使そのものの姿をした生き物が空から落ちてきて、酔っぱらいと僕の間に割り込み――ふくらはぎを斬られた。
「ご無事ですか」
僕のシャツに滴が落ちる。
脚から血が流れているのに。ぎゅっと眉を寄せて涙をこぼすくせに。
その子は僕に笑いかけた。
肩甲骨のあたりがかっと熱を持つ。
僕の腕は女の子を抱きしめ、震えていたはずの足で立ち上がる。財布を持っている奴に狙いを定め、頭を低くして突っ込んだ。
うお、なんて間抜けな声が上がる。頭突きは空振りに終わったけれど手元が狂って財布が指先をすり抜ける。それに気を取られた隙に三人の隙間を通り抜けた。
酔っぱらいが何か騒ぐけれどどうでもいい。食料も金もくれてやる。ただ僕の命とこの子だけは守らなければ。そんな衝動に突き動かされてひたすらに路地を走り抜ける。
両手が塞がっているから足で、目についたものを片っ端から蹴り転がす。空き瓶、包み紙、とにかく足止めになりそうなもの全部。一度だけ、後ろから悲鳴と何か重いものを落とすような音がしたけれど、足音はどんどん近づいてきた。
「◼️◼️!」
女の子が声を上げた。止まれというニュアンスの言葉だ。奇妙なイントネーションだと思ったけれど構っている暇はない。あと数秒全力疾走すれば繁華街に出る。見回りをする兵士もいるはずだ。
「羽しまって!」
僕が叫ぶのと大ぶりな羽が消えるの、そして僕が大通りに飛び出すのはほぼ同時。飲み屋のお姉さんに手を振っていた兵士が僕たちを見て目を丸くした。
これで助けてもらえる。声をあげようとしたけれどさっきまでの全力疾走がたたってうまく息ができない。
「助けてください!」
僕の代わりに女の子が声をあげてくれた。
兵士の表情が変わる。彼は僕らのもとに駆けつけ、厳しい眼差しを向ける――僕だけに。
引き返したのか、路地に酔っぱらいどもの姿はない。彼の目に映るのは助けを求めるいたいけな少女と、彼女を抱えて走ってきた僕の姿。
「少し話を聞かせてもらおうか」
不審者に見えるのは誰でしょう。僕です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます