第4章 クローズドサークル 11 X(エックス)

「朝子に捨てられ精神的ダメージを負っていたおまえらの前に突然現れた者こそがXだ。そいつはおまえらひとりひとりにこうふれてまわったのではないか? 落ちこむ必要はない。稲水朝子という女は人間ではない。男をたぶらかすために生まれた妖怪変化、蛮婦であると」

 三人の男たちは互いに互いの目をのぞきこみ、こたえていいものなのだろうかと戸惑い、尻ごみしているようであった。しかし、意を決したように川上が顔を上げた。

「一ノ宮さん。これまでの話はいい、ボクらに嫌疑をかけているだけだったから。だが、ここから先の話についてはなにもこたえられない。こちらから口にするわけにはいかない」

 川上の言葉に「ほう」とうなずき、ハルはタバコに火をつけ、ふうと煙を吐きだした。

「Xに脅迫されたのか。たとえば、おまえらが集められた当日、今日この日の出来事を誰かに話せば殺すと」

「なにも、いいたくない」

「それとも話したら家族にも危害がおよぶぞ、とかかな? Xの蠱惑がまだ解けていないようだな」

「あ、あなたが推理ごっこを楽しみたいのなら止めはしない。黙って聞きますよ。だけど──」

「いいだろう。巻本に日下部。おまえらも川上と同じ意見か?」

 沈黙でこたえるふたり。

「ではつづけよう。朝子が妖怪変化の蛮婦だなんていわれてもおまえらは、にわかには信じられなかったに違いない。無理もない、今も世間を震撼させている『蛮夫事件』が発生する二年も前の話だからな。そんな怪物女がこの世に存在するなんて常識的にあり得ない。そうXに噛みついたことだろう。クレーマー気質の巻本あたりはギャンギャンとわめいたのではないか?」

 唇をゆがめ、ハルから目をそむける巻本。

「おまえら全員が、まだ朝子の愛の虜囚であったのだから当然だろう。しかしXはいった。ならば彼女が人間ではない証拠を見せてやる、蛮婦の本性を暴いてみせる。真実を知りたいのなら自分に従え、とな。朝子に捨てられたばかりで混迷をきわめ、疲弊していたおまえらはXの誘いを断ることができなかった。男ならそれは知りたいよな? 愛する女の真実とやらがそこにあるのならば。それを知ったところでどうにもならない、ただやるせない。それでもな……」

 地下礼拝堂はシンと静まり返っていた。別室のモニター前の稲水。そして黙って着席している幸嶋とまひる。この件に関しては門外漢である三人もハルの長広舌ちょうこうぜつを聞き入っていた。そして彼女の次の言葉を待った。

「Xはおまえらに深夜〇時前後のアリバイ工作を命じた上で、朝子殺害当日の行動を指示した。時刻はそう、夕刻あたりだろうか。鮫原が渋谷の雑居ビルの中で経営している自身のバーの開店前に、きちんと別れたいからもう一度だけ会いたいとかなんとか理由をつけて朝子を呼び出し、飲み物に睡眠薬を混入し眠らせた。蛮婦はただの数分で体内に入った毒物などの異物を排出する機能を持つ無類の生き物だから長く眠らせることなど本来、不可能なのだが、この時の朝子は違った。稲水志朗のために二年も人肉を喰らっていなかった彼女は、ただの人間に近づきつつあったのだ」

 モニター前で唇を嚙みしめる稲水。

「そこへわらわらと現れたのがXをはじめとするおまえらだ。この時、特に医師の堂島が活躍したのではないか? たとえば筋弛緩剤とかだろうな、意識が朦朧としている朝子に投与しつづけた。むろんXが指図をしたのだろう。蛮婦は、このていどでは死なないから安心しろと、これは殺人ではないと。しかし堂島も朝子におぼれ、別れを告げられ、おそらくは常軌を逸していたのだろうな。堂島医院はSNSの口コミでも評判のいい病院らしいからな。

 飲み屋ばかりが入る夕方の雑居ビルでは目撃者もほぼいるまい。死にこそはしないが完全に筋肉がゆるみきり動けなくなった朝子をおまえらは車に押しこみ、あらかじめXが用意しておいた周囲に防犯カメラのない足立区の廃工場へと搬送した。彼女の真実とやらを知りたいがためにな」

「あ、あの……」

 日下部が小さく、こきざみに震える手を上げた。

「なんだ?」

「はい。やっぱり帰らせてください。無理です、胸が苦しい。これ以上、耐えられません」

「は? 日下部、私はいったはずだ。推理と妄想、探偵気取りの与太話だと。どうしておまえの胸が苦しくなるのだ? バカな女の絵空事だと笑って聞いていればいい。な? そうだろ、川上、巻本」

 ハルから目をそらした川上が加熱式タバコの蒸気を吐く。巻本は額の汗をぬぐう。日下部は目に涙をにじませていた。

「廃工場へ朝子を連れこんだおまえらは、むろん彼女を殺す気などない。だがXを問いつめた。さあ見せてみろ、朝子が化け物、物の怪であるという証拠を! Xはおまえらの問いに対してどうしたか。包丁で朝子の胸を刺した? いや、ナイフで首を切り裂いたか? 血液が大量にあふれだしただろうな。なにしろ彼女に惚れていたおまえらは恐怖にかられ悲鳴を上げただろう。なにをしやがる、なんで殺すんだ! そんなふうに叫んだだろう。しかしXは、まあ見ていろよ。つかみかかろうとしたおまえら五人をなぎ倒して笑みを浮かべた。そしておまえらは見た。朝子の傷がみるみるふさがって、たったの数分でかさぶたとなり、消えていくさまを。

 おののいただろう、そんな人間がいるはずないものな。おまえらは納得できた。稲水朝子は人間ではない、百鬼夜行の蛮婦であると。

 Xはいった。見ての通り朝子は人ではない、社会に害をなす蛮婦、殺さなければならない悪魔だ。蛮婦はたとえ心臓をつらぬいても首を落とされても決して死なない。焼いて細胞から灰燼かいじんに帰しさければ断じて死なない。これは人殺しではない、人の世で生きる者に課せられた正義なのだ!

 この後、おまえら全員が愛しの朝子を順番に犯したのか、Xのみが腰を振ったのかはわからない。科学捜査の技術発達はすごいな、日進月歩だ。消し炭のような燃えカスとなった朝子にはレイプされた痕跡が残されていたと聞くからな」

 ふたたび沈黙が重く垂れこめる礼拝堂。ハルは短くなり燃えつきそうなタバコをガラス製の灰皿へと押しつけた。

「ガソリンをまいて、火をつけた単独実行犯は確かにXであったのだろう。そうに違いない、なにしろおまえら五人には鉄壁のアリバイがあるからな。そうではあるが、おまえらも殺しに加担した。胃や腸、肛門、子宮にまで達する塩ビパイプを生ける朝子へねじこんだのはおまえらだ! 後に油が流しこまれ、内臓まで焼かれると知った上でだ! そうだろ? 共犯でなければXの脅迫におびえる必要もないからな。重ねていうが、朝子は懸命に人として生きようとし、人として死んだのだ!

 おい、被害者面してんじゃねぇよ。おまえらは、加害者だ! おまえらは人とは違う生き物、人外である蛮婦を駆除しただけ、これは正義なのだと自身にいい聞かせてこれまで生きてきた。だが、おまえらは、あの人喰い蛮夫にも劣る無知で無自覚なだけの人殺しだ! 恥を知れ!」

 沈痛、暗然、男たちの胸中にどんな思いが影を落としていたのか、それはわからない。しかし薄暗い地下室は鬱屈としたしじまにつつまれていた。

「そうだ、知っているか? おまえらの内の誰の子かは知らないが、稲水朝子は妊娠していたそうだ……ふたりだ、ふたりが殺されたんだ!

 ああ!? おまらは稲水朝子という、まだ若く愛らしい女とその子を殺したのか、殺さなかったのか、どっちだ!」


 顔面が疾患をわずらったように蒼白な川上。充血した目を見開き、こめかみの血管が浮きでている巻本。ただ、はらはらと涙を落とす日下部。

「なんの根拠も確証もない、私の妄想話はこれまでだ」

 デュポンのライターでくわえたタバコに火を灯したハルは、ひとつのミッションを終えた安堵の吐息とともに、ふうと煙を吐き出した。

「妄想にしては断定や決めつけがやけに多い話でしたね」

 川上に向けたサングラスの下のハルの目は存外に温かく、優しい憐憫をたたえていた。

「気に入らないか、川上。異論や反証があるのなら聞くぞ。巻本に日下部もな」

 三人の男たちはハルの顔を見ることなく、沈黙をもって異議がない旨を示しているようであった。

「蛮夫Xは警察に通報させないようにおまえらも朝子殺しに加担させたのであろうが、おそらくは蠱惑を使った。見ていてわかったよ、おまえらは案外まともな男のようだ。真っ当な精神状態にあれば朝子に塩ビパイプを突っこんだりはしなかったであろう、と私は思う」

「わ、我々はどうなる? 一ノ宮さん、殺人ほう助でワタシらを警察に突きだすのか? まあ、それもやむなしか……妊婦だったなんて……なんてことをしたんだワタシは」

 はらはらと涙を落とす憔悴した巻本の瞳に対し、ハルは笑顔でこたえた。

「私は地獄の裁判官を自称している変わり者でな」

「地獄の、裁判官?」

「よって現世の法律には関心が薄いのだ。……おまえらは無実とはいい難いが、とする」

 目を上げて、唇をゆがめたハルの薄笑いを拝むように見つめる面々。

「人の命を奪っても法に裁かれないやからもこの世にはおおぜいいる。だが、おまえらはそこに埋没するな。己の罪状を懺悔しつづけろ。稲水朝子を少しでも哀れな女だと思うのならな」

「あ……ありがとうございます」

 身体を九十度に折って頭を下げた巻本。次いで首を垂れる川上、日下部。男たちは泣いた、それこそ身もだえせんばかりに、狂ってしまったかのようにおらび泣いた。

「さあそこでだ、Xの素性について話してもらおう。おまえらの命、家族はこの一ノ宮春乃が必ず守る。だから教えてくれ、朝子の供養にもなる」

 突然、顔色が変わり、恐怖に支配されたかのように肌をあわ立てる男たち。Xの蠱惑は、もはや洗脳に近い代物なのかもしれない。

「一ノ宮春乃が守るといっている。信じろ、私を!」

「それは……いえません。やっぱり、怖いから」

 川上であった。

「家族や担任生徒を、ワタシの不倫ごときに巻きこむわけには……」

 巻本である。蛮夫Xに彼は、生徒まで人質とされていたのであろう。

「妻は延命治療に必死で取り組んでいます。だから……」

 日下部もハルの申し出を拒否した。

──『ハル』稲水がハルのインカムにささやく『いいから聞けよ、蠱惑を使って』

 ハルは稲水にひと言伝えた「断る」と、そしていった。

「おまえらはもういい、日常に帰れ。これ以上の詮索は無用だ。それにな……」

「はい」

「地獄の裁判官たる私が蛮夫Xに必ず罰をくだす。おまえらに手だしはさせない。それでいいな?」

 川上は、巻本は、日下部は、それぞれの思いを胸に、ゆっくりとうなずいた。


 そして三人の男たちはまひるの先導で地下礼拝堂を後にするべく、足を引きずるようにしてようようと歩きはじめる。見送るサングラスにチャイナドレスのハルが、その後ろ姿に声をかける。

「おい、川上」

「なんでしょう?」

 振り向く川上。

「だいぶ切りかえが早かったな。大した男だ。なあ、まひる」

「はい! 川上さま、カッコイイです!」

 嬉しそうに跳ねるまひる。

「どういう意味ですか?」

 まひるのリアクションにも笑えない川上。

「私が蠱惑というワードをだした時、顔を引きつらせていたものな。あの時点から私を人喰い蛮婦であると疑っていたのだろ?」

「……そう、です」

 うぇええー! まったく気づいていなかった巻本と日下部がけたたましく叫んで逃げようとするが幸嶋とまひる、女性ふたりが剛腕でふたりの男をフローリングの床へと押さえつけた。

「落ち着いて! 巻本さん、日下部さん。この一ノ宮春乃という人は、あの蛮夫とは違うようだ!」

 川上のいうあの蛮夫とはもちろん、この一年間に百人以上の人を喰い、世間を震撼させていた彦佐、もしくは彼らを脅迫したXのことであろう。ガタガタ震えている巻本と日下部にやわらかな声をかけるハル。

「取って喰ったりはしないから案ずるな」

「ひとつ聞いてもいいですか?」

 川上がいった。

「なんだ?」

「本当に蛮婦、なの? もしかして、そちらのメイドさんも」

 大の男ふたりをやすやすと制圧してみせた少女と中年女性を見やる川上。

「ふん、それはどうかな? 私は堂島医院の前で監視カメラに撮られた映像をテレビに流されたせいで、警察から追われる身なのでな」

「誰にもいいませんよ、春乃さん」

 川上は右手をハルにさしだした。ふふ、と笑い、無言でその手を握るハル。

「この三年間、ボクらはずっとそうして生きるしかなかったんだ。ねぇ、巻本さん、日下部さん」

 幸嶋の腕を振りほどいた巻本が目を上げた。

「いわない。年がいもないが、その、ずっと苦しかった。あんたに、だといってもらえて、その……」

「巻本、わかった。みなまでいうな」

 ハルは涙をにじませる巻本の右手を握り、そして左手をそえた。

「いいません。こんな貴重な体験、妻にもいえません。秘密にします! だけど……」

「なんだ、日下部」

「これ、わたくしの今のこの感情、あなたの蠱惑じゃないですよね?」

「──当然だ」

 こわごわと、しかし熱く日下部はハルと握手を交わした。


 モニター越しにこの光景を見ていた稲水に複雑な思いがなかったわけがない。この男たちはかつての自分の妻の浮気相手なのだから。しかし、稲水の胸を涼やかな風が吹きぬけた、彼はそんな思いでいっぱいだった。

                               (つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る