第3章 死闘 8 決闘当夜

 決戦当日。閉ざされた室内においてもなお、ごうごうと吹き荒れる嵐がとどろき、一切の容赦がない雨粒の音がざわめく午後十時。ハルの館ではすでに電気ケーブルが断線し、暗がりにローソクの灯りのみが灯っていた。その広大な玄関先でハルの見送りに立つ四人。

「吉田、現地での活躍、助言、喚起、ありがたかった」

「当然のつとめです」

「幸嶋、祝宴の準備は?」

「万事、整っております」

「うむ。稲水、この館の台風対策は?」

「できるだけのことはしたつもりだ。停電は俺のせいじゃないよ」

「帰ってくる場所があるのは助かる。まひる、稲水を噛んだか?」

「はい! 稲水さまを下男としてこきつかってやりました!」

 苦笑する稲水。ハルも微笑を浮かべる。おそらくは稲水が、まひるの言動に合わせてはいはいと服従してやっていたのだろう。

「では、行ってくる」

 新品のレインコートをバサリと羽織ったハルは、四人の前できびすを返す。

「運転は俺が──」

 稲水の顔面に、ボクサーなみの速度で拳を寸止めしてみせるハル。

「自分で運転する」

「俺も行くって! いるだろ、決闘には見届け人とか、立会人がさ」

 稲水に同調したかのように吉田、幸嶋、まひるが首を垂れた。皆、ハルに同行したいのである。いざとなれば助力装置となりたいのである。

「……おまえら、私を殺す気か」

「はぁ?」

 稲水だけではなく全員が声を上げた。

「本当は人を喰らう私を殺したいのか? え、稲水よ」

「そんなわけないだろが!」

「だったら理解しろ、己の無力さを。稲水、彦佐を前にしておまえになにができる? 私の足手まといになる以外に」

「それは……でも」

「無思慮な男気など箸にも棒にもかからぬ。吉田たちにしても同様。おまえら、私よりも強いのか? そうではあるまい。ヘタな忠誠心はありがた迷惑だと知れ」

 実のところハルは知っていた。吉田あたりの実力はかなりのものであることを。ただし本気で他者を殺しにかかることができればの話である。吉田も幸嶋も、もちろんまひるにもそれができない。だから飢えと渇きに苦しんでいたのである。いかに殺傷スキルが高くとも実践できなければ、それはタンスの肥やしにすぎない。

「かしこまりました」

 吉田が頭を下げると幸嶋、まひるがそれに追随する。

「彦佐の死は私ひとりで見届ける。これは奴の元情婦であった私のせめてもの哀悼。かつて殺せなかった者への慚愧ざんき

「──必ずもどれよ、ハル!」

 ふたたび背を向けたハルに、たまらず叫んでしまう稲水。振り返ることなく片手を上げた彼女は暴風雨が吹き荒れる嵐の中へと踏み出していった。玄関先に残された四人は誰しもが口を閉ざし、重苦しい静寂が、ゆれるローソクの炎とともに深く垂れこめる。

 やがて叩きつけるような豪雨に耐える出窓越しに、ハルが運転する車のヘッドライトが横切り、赤いテールランプが去っていくのが見えた。歯がゆさに震えるしかない稲水は壁に拳をひとつ打ちつける。

「稲水さま」沈黙を破ったのはまひるであった。「春乃さまを信じて待ちましょう」

「わかってる」

「でも残念です。アタシの声があれば春乃さまのお役に立てるかもしれないのに」

「まひるちゃん、声って?」

 うなだれたような稲水の問いに、わざとらしいほどに明るくこたえるまひる。

「春乃さまの目や、彦佐って蛮夫の耳同様、アタシに特化しているのが声なんです」

「声がなんの役に立つんだ?」

「アタシのキンキン声なら彦佐の耳をかく乱できます!」

「あ、そう」

 目を落とす稲水。そんなもの、たけり狂う暴風雨の中では使い物にもならないだろうと。

「あれ? 稲水さま、アタシの声をバカにしてます?」

「してないよ。おいてけぼりでくやしいね」

「そうです! それに吉田の腕力、幸嶋の胃袋も最強なのに!」腕力はともかく、胃袋が最強って、ただの大食いってことかよ。稲水は頭をかかえた。俺もだが、この三人を連れていっても確かに使えないに違いない。ハルの話では彦佐にしても腕力は圧倒的なのだから。「吉田なんて人差し指と親指だけで五百円玉を曲げられるんですよ! ね、吉田」

「黙りなさい、まひる。そんなものはただの曲芸にすぎない。殺し合いの場ではなんの役にも立たない」

 そういって肩を落とす吉田に声をかける者があった。

「そうでもないよ。それだけのピンチ力があれば心臓をえぐり取るのなんか簡単だろうし、指先をきたえると脳も発達するって話もあるからね」

 ふらりと玄関に現れた甘い声音の持ち主は、いわずと知れた彦佐であった。

「ひ、彦佐!」

 とっさに身がまえる稲水! 彦佐と聞いて、吉田は三人の前にずいと進みでた。

「彦佐さまとやら、どこからお入りになられたのです。招待はしておりませんが」

「なーに、勝手口のドアを破らせてもらいました。いけなかったかな?」

「もちろんいけません。住居侵入に建造物損壊、罪に問われるべき案件です」

「彦佐! どうしてここが!」

 稲水は焦りをおぼえた。ハルの記憶が確かであれば、この別荘の存在を彦佐が知るはずないからである。

「いったでしょ、稲水さん。マーキングしたってさ」

「マーキング、マーキングか……」

 稲水が危惧していたことであった。正体不明のマーキング。

「さてさて」

 楽しげに両手をこすり合わせる彦佐。

「ハルなら出ていったぞ」

「聞いてた。心配ないよ、すぐに後を追うから。稲水さん、あなたと一緒にね」

「なんだと」

「ズルいでしょ? 焚きつけておいて自分だけ決戦の場にいないなんて。見せてあげたいんだよ、稲水さんに。切り裂かれながら犯されるお晴さんの姿をさ」

「ハルがおまえなんかにそんな真似させるか!」

 オーバーにため息をついて見せる彦佐。

「そうですか。だけど行きたいんでしょ? なら行こうよ」

 右手をさしだす彦佐。

「稲水さま、いけません」

 稲水と彦佐の間に割って入る吉田、幸嶋、まひる。

「おやおや、足軽なみのヴァンプが三人そろっても僕には勝てないよ。うふふ」ゾクリとするような艶笑を浮かべる彦佐。「さあ全員、は動かないでね。僕はこれから戦いにのぞむ身、いちおう体力を温存しておきたいからね」

 吉田ら三人のヴァンプは彦佐のはなつ蠱惑によって、硬直したように微動だにできなくなってしまった。

「きさま……」

 どうしていいのかわからない、しかしくやしい稲水が拳をかためる。

「ほう? そうだった、稲水さんには蠱惑、通用しないんだった。忘れていたよ、まあ、どうでもいいけどね」

 彦佐は笑顔を浮かべたまま、瞬時に稲水の顔面へストレートパンチを見舞った。血ヘドを吐いて転がる稲水。しかし殺さぬよう手加減したのか、稲水の意識は健在であった。

「待て、待ってくれ彦佐」

 鼻先や口元を押さえながらうめくような声を上げる稲水。

「なんでしょう?」

「話を、少しでいい話を聞いてくれ」

                            (つづく)

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