第3章 死闘 5 鴨のコンフィ

 その日の夜は晩餐会であった。とはいえアールヌーボー調の花や植物が彫刻されたまろやかな曲線に彩られた木製テーブルについていたのはハルと稲水のふたりきり。執事とメイドたちはおそらく次の間でひかえていて、ころ合いを見計らってはメイド、まひるが笑顔を振りまきつつ皿を下げ、次の料理を運んでくる。そして執事吉田よしだはグラスがあけば音もなく現れ、ハルには赤ワイン、稲水にはノンアルコールワインを注いでくれた。

 壁や卓上には召使いを呼ぶためのボタンスイッチが設置されている。つまり、この館は使用人が存在することが前提で設計された建物なのである。しかし、この執事とメイドのコンビネーションを見る限り、不必要な機能であるともいえた。

 日が落ちて薄手のカーテンで出窓をおおわれた食堂内の照明は、十数本のキャンドルの灯りのみ。炎がかすかにゆれている。木造の古い館であるため、どこからかすき間風が入りこんでいるのかもしれない。明るいとはいいがたいが、薄緑色の茎や葉の中に赤い野イチゴが点在するパターンの可愛らしい壁紙のおかげで、どこか懐かしさと温かみが感じられると稲水は思った。こんなクラシックな洋館ですごした記憶などあるはずもないのに。

「どうだ稲水、幸嶋こうじまの料理は最高だろ」

 ナイフとフォークで肉を口へと運びながら笑い、ハルがいう。幸嶋というのは年配メイドの名で、前菜、秋季野菜のスープ、白身魚のオーブン焼き。すべてが美味であった。そして本日のメインディッシュは鴨のコンフィ。鴨の骨つきもも肉をじっくりと煮込んだ一品である。

「あ……うん、おいしい。ヘタなホテルのディナーよりもうまいんじゃないか」

 人を喰らうヴァンプが調理したのだと知らなければ、稲水はもっと素直に喜べたのかもしれない。こんなにうまい食事を提供できる女性が、どうして人の生肉を渇望してしまうのだろう。

 そんな稲水の思いをよそに、満足げにうなずいて赤ワインを飲みほし、ごちそうさまと手を合わせるハル。

「幸嶋によく礼をいっておけ」

「ああ。あの、ハル──」

「待て稲水。まだメイン料理が残っているぞ、冷める前に食え。それが料理人に対する作法だ」

「そうだな」

 稲水はどこかしら人の血肉に思えてしまう、ほろほろとして柔らかい鴨肉を口へと押しこんだ。

「こら、味わって食え。ビジネスの話は食事の余韻を楽しんだ後としよう」


「おそまつさまでした」

 そういって頭を下げるメイド服の幸嶋。

「おいしかったです。ありがとうございます」

 事実どれもこれもうまかったのであるが、どこか割りきれず、紋切り型の答えを返してしまう稲水。

 食後のコーヒーの香りを楽しんでいるハル。彼女の前にぴょこんとまひるが飛びだした。

「春乃さま、お食事の後は一緒にお風呂でもいかがですか。先月、ボイラーが壊れたんで、お風呂、新しく改装したんですよ。春乃さま、まだ見ていないでしょ。ご案内します」

「まひる、風呂の場所くらいわかる。案内はいい」

「でも、でも、給湯機械が新しいから使い方とか──」

 いきなり吉田がまひるのうなじをつかんで持ち上げた。礼儀正しくともヴァンプはヴァンプ。やはり怪力なのである。

「ちょっと吉田、なにすんの!」

 ジタバタと宙に浮いた両足を振るまひる。

「春乃さまは、これから稲水さまと大事な取引に関するご相談をされるのだ。引っこんでいなさい」

「そうだけどー」

 吉田はまひるの首根っこをつかんだまま、食堂から出ていった。幸嶋も一礼すると下がっていった。

「可愛いだろ、まひる」

 苦笑いを浮かべるハル。

「随分と慕われているんだな」

「まあな。多少ウザいが」

「わかる。ただ、あの子もヴァンプなんだよな」

「ああ、それが?」

「思ったんだが、まひるちゃんが本気で暴れたら、吉田さんとヴァンプ同士の殺し合いになってたかもしれない」

「奴らはそうはならんよ。ともにすごした長い年月が証明している。あいつらは家族だ、疑似ではあるがな。中年ふたりが嫌だったのなら、若いまひるは早々に出ていっただろう」

「いい家族だ」

「まひるは捨て子で、人の世では異形のヴァンプだった。本当の家族を知らないからな」

「そうなのか……」

「しみじみとするな。要は居心地がいいってだけだよ。おまえの家だって同じだろ」

「ああ、そうだったかもな」

「特に義姉の茜だったか、茜と兄、志幸が結婚した後はか?」

「うん。一緒にいて一番楽しい時期だったから……ハル」

「なんだ」

「彦佐とは、そういう信頼関係を築けないものだろうか」

「はぁ?」

「いや、あの人たちを見ていたら、なんとなく」

「おまえ、バカか! とんだポリコレ野郎だな、見せなきゃよかった。吉田、幸嶋、まひるは無量大数分の一の奇跡なんだよ! おまえ散々、私に甘いとかぬかしていたくせに、なんだ、その体たらくは!」

「…………」

 アールヌーボー調のテーブルを両手で叩いて立ちあがるハル。

「風呂に入る。明日は別行動だ。稲水はできるだけ対決の日時と場所を吟味しろ。いったん音は忘れていい」

「どうして」

「イライラするな! まずは彦佐を倒さなければ、残り三人の朝子殺しの容疑者を守れないだろうが、いや、守る必要はないか、いや、ある! おまえが特定した犯人を惨殺しなければ、私はおまえを喰えないからな!」

「あ、ああ、すまん。そのとおりなんだが、意味がわからない」

「バカたれ! 彦佐を殺す日時が確定しなければ、日下部園美、巻本俊、川上真一! この三人の浮気野郎にアプローチをかける日時も確定できないだろが!」

「な、なるほど」

 圧倒されまくりの稲水。ハルは壁面の召使い呼び出しボタンを連打する。

「風呂に入る! まひる、どこだ! 案内しろ!」

 ドアの外で聞き耳を立てていたのか、ヴァンプの能力なのか、タオルを胸に抱いたまひるがスイと入ってきた。

「ご案内いたします、春乃さま」

「うむ」

 まひるに手を引かれて、食堂を後にするハル。残された稲水に開けはなたれたドアの向こう側のふたりの会話が聞こえてきた。

「春乃さま、いずれ稲水さまをお食べになるのですか?」

「立ち聞きをしていたのか」

「聞こえちゃったんです」

「彦佐なみの耳だな」

「彦佐って誰です?」

「天敵だ」

「そうですか、でも春乃さまにかなう相手なんているわけがございません」

「ふん、当然だな」

「ですので、稲水さまを召し上がるその時は、ちょっとでいいので、ご相伴にあずからせてくださいまし」

「稲水はうまそうか」

「はい。大好物の予感です」

「ふふ、考えておこう」

 どんな会話だ。ふたりとも可愛い顔をしているが、どう考えても常人の日常会話とは思えない。稲水は頭を振って、今のおしゃべりは聞かなかったことにし、明日の行動計画を立てはじめた。捕食者にとって自分は鴨のコンフィ、あのカモ科の水鳥と大差ないのだ。そう思えば納得もいくというものだ。

                         (つづく)

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