第3章 死闘 4 別荘。執事とメイド

「ははぁ……」

 緑なす樹木の中、唐突に、とでもいうべきか。夕暮れに浮かぶ蜃気楼のごとき木造二階建ての一軒家がそこに鎮座していた。建築面積は約三百平方メートルほど。表門から家屋まで約百メートルはあったであろうか、瓦葺き、古式ゆかしくありつつも、どこか和洋折衷を思わせる様式美に彩られた洋館。けた違いな荘厳さをただよわすハルの別荘を見上げた稲水は、呆けたような声をだし、口をあんぐりと開いてはばからない。

「築九十年といったところだ。私が購入したのは二十年ほど前だから彦佐もここは知らないはずだ」

 ふふんと鼻を鳴らすハルは、どこか得意げである。

「九十年。歴史的な建物だな」

「その通り。ハーフティンバースタイルという北ヨーロッパやイギリスの建築様式でな、国の有形文化財に登録されかけたこともある。私が断ったんだがな」

「なんで?」

「ヴァンプが目立ってどうする。サイトなんかに掲載されて、観光客に押しよせられでもしたらかなわない」

「いや、だったら、建て売りみたいな、もっと安手な別荘を買えよ」

「私は一級品にしか興味が持てんのだ。まだわからないのか」

「……彦佐を恋人にしたのも、一級品の美形だったからなんだな」

「なぜそんな話になる。まあ、否定はしないが」

「どうせ俺は三級品だよ」

「そうだったな。出会ったころのおまえは、腐った魚のような目をした三級品だった。身なりもみすぼらしかったしな」

「ああ……」稲水はテレビニュースに映されたせいで高価なブランド品ではなく、そこかしこがすり切れた三年前から着たきりのくすんだ茶色系ジャンバー羽織っている。「俺は三級品だ」

「勘違いするな、今の稲水違う。私はそれを知っている」

「へ?」

「考えつづけてくれているんだろ? 相棒であり、妹である私が、彦佐に殺されないための方策を。おまえを見ていればわかる」

「…………」

「おまえは立派な一級品だ。今の私にとってはな。あてにしている」

 笑みをふくんだハルの言葉に、稲水の目は大きく見開かれ、決壊した。

「あ、あれ?」

 なぜなのかはわからないが、いきなりこみあげてきた感情があふれ、涙が止まらないのだ。朝子が殺された時も、父母が死んだ時も、兄夫婦が失踪した時にも流さなかった、これまではどこか達観せざるを得なかったせいで、こらえる必要もなかった涙が。

 声もなく涙と鼻水を落とす稲水にさめた目を向けつつもハルは、その豊満な胸に彼の頭をかき抱いた。

「仕方のない男だ」

 そんなハルの背後から声がかかった。

「春乃さま。おかえりなさいまし」

 十九世紀末ごろの英国メイドを意識したような黒のワンピースに白のエプロン姿の女性がふたり、タキシードに身をつつんだ大柄な男性ひとりがうやうやしくハルに会釈した。第三者の登場に驚いた稲水は、あわててハルの胸から離れて、なにか感じたとともに涙を袖口でぬぐう。

「紹介しよう。こいつは稲水だ。しばらくここに住まうから部屋を準備してくれ」

「かしこまりました」

 年配の女性が答えると、まだ子供に見える娘が笑顔でたずねた。

「春乃さまの今度の彼氏さんですか?」

「まひる、これ!」

 中年のタキシード男が娘をたしなめる。娘の名はまひるというらしい。

「だってぇ」

「まあいい、吉田。まひる、彼氏ではない、稲水は私の相棒、ビジネスパートナーだ。それと、今度の彼氏、は余計だ。もし稲水が本当に彼氏だったら気にするだろ」

「春乃さま、すみません。よかったです、稲水さまが彼氏じゃなくて」

「いいかげんになさい、まひる。はしゃぎすぎです」

 年配の女性もまひるをしかりつける。

「だって、お食事会の時以外に春乃さまが見えるのは久しぶりなんですもの!」

 吉田と呼ばれた男性がむずかるまひるを無視してハルから車のキーを受け取った。

「お荷物はお部屋にお運びしてよろしいですか」

「頼む、吉田」

 吉田はひとつ頭を下げると、まひるを引きずるようにして連れていく。その後ろにつづいて年配の女性も屋根つきの駐車スペースへと去っていった。

「ハ、ハル、あの三人は」

「見てのとおり執事にメイドだ。この別荘の管理を任せている」

「やっぱり蠱惑か噛みつきで操ってるのか?」

「あの、まひるが操られているように見えたか?」

「いや……」

「あの三人もヴァンプだ」

「え?」

「明治、大正、昭和、三つの時代で生きづらそうにしていた三人を私が拾って職を与えている。ヴァンプのくせに優しすぎて、人を喰えず死にかけていた者どもなんだ」

「そんなヴァンプもいるのか」

「だから私は副業で年に一度、食事会と称して殺人者を見つくろっては連中に振る舞っているのだ」

「食事会ってそういう……」

 おぞましい光景を想像して身震いする稲水。

「三人でひとりを分けあって喰っているうちに本当の親子のように仲良くなってくれた」

 うんうんとうなずいているハルを見て、首をかしげてしまう稲水。いい話ふうにいってるけど、いいのかそれで?と。しかしそれよりも──。

「ところでヴァンプは人を喰えないとやはり死ぬのか?」

「ああ、前にそういわなかったか?」

「彦佐はなぜ死ななかったんだ。百年以上も人を喰ってないのに」

「冬眠中の熊はなぜ死なない」

「は?」

「代謝を抑制してエネルギーを極力使用しないですむようにしているからだ」

「だけど百年はもたないだろ」

「ヴァンプは地上最強の生物だぞ。人間の物差しでははかれない」

「そういわれたら、なにもいい返せないけど」

「彦佐を拘束して餓死させようとでも考えたのか?」

「まあ」

「簡単に拘束できるようならば苦労はしない。捕捉したら即時抹殺、それしか方法はない。仮に動けなくすることができたとしても、稲水が生きている間には奴は死なない」

「どうして」

「奴は蠱惑で自己暗示をかけるに違いない。また冬眠状態に入るだろう」

「ああ、そんな能力もあったな。ハル、どうやって彦佐を殺すつもりなんだ」

「それはまだいえない」

「はぁ?」

「ヴァンプの唯一の弱点を簡単にあかせるか」

「この期におよんで? どうやって対策を立てるんだよ!」

「おまえは、場所と日時と音に焦点をしぼって考えてくれ。明日からは別行動とする。車は自由に使ってくれていい。いいな」

「まあ……わかったよ」

                          (つづく)

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