我が名はヴァンプ ──令和編──
田柱秀佳
序章
──我が名はヴァンプ。永遠の時のしとねによりそい、地獄で裁きをくだす者──
あと二十分ほどで日付が変わろうかという時刻。街灯の灯りもとどかないそこは、わずかにプレス機のような工作機械が残置されているだだっ広い工場跡にして、七、八メートルはありそうな天井高をもつ打ちすてられた廃墟であった。
ただようガソリン臭。密閉された閉塞空間であれば照明のスイッチを入れただけで発火しそうなむせかえるガゾリン臭。ただ、もちろんここに電気はきていない。
漆黒の闇につつまれた朽ち果てた構内にLEDマグライトの光が一筋、踊っている。照らされた先にはひとりの血まみれた若い女の姿があった。
女は全裸であった。生きているのか死んでいるのか目はうつろで、大きく開かれた口には配管用の短い塩ビパイプがのどの奥まで突き立っている。それだけではない。金属製の作業台にナイロンのロープで逆さまに拘束された女の脚はY字に大きく開かれ、その支点となる股間と肛門にも塩ビパイプが刺さっていた。身体にはふさがりかけた無数の刺し傷があり、腹や乳房の傷口にまでパイプはねじこまれていた。
マグライトの持ち主は女が身じろぎひとつできないことを確かめると、出入口付近の安全圏までそろそろと歩いてゆき、震える手でゲームセンターの景品のような安物のオイルライターのフタを慎重に開いてホイールを回し点火、ゆらゆらと気化熱が立ち上るガソリンの海へと遠投、放り込み、脱兎のごとく逃げていった。
ボウン!と背後で火の手が上がり、黒煙が彼を追いかけてくる。しかし、彼は自身の脚力には絶対の自信を持っている。走る彼の顔面にはいびつな笑顔が張りついていた。
「ざまぁ! あの野郎! 俺の勝ちだぁ!」
男は叫び、勝利した短距離ランナーのごとく右腕を突きあげながら廃工場から飛び出すと、心の中で次の算段を練りはじめていた。遠目にも広大な工場跡からの出火はまだ見えてこない。近隣に民家はないし、騒ぎ立てる通行人の姿もない。男は腕時計を見た。予定通りしばらくは時間をかせげるだろう。
「どいつもこいつも、うまくやれよ……」
男はつぶやきつつ紙タバコをくわえたが、ライターを投げたことを思い出し、路上へと吐き捨てた。のだが、自身の唾液が付着したタバコフィルターの残留はヤバいとあわててこれを回収するべく川沿いの道の地べたへと、踏みつぶされたカエルのように這いつくばった。付近に防犯カメラがない事は確認済であるが、どこで誰が見ているかわからない、外部でLEDライトを点灯するわけにはいかないのだ。
「ダセェな俺……でも、これからだ。俺は……これからだ」
つづく
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