『短編』ノルウェーの太公望と星屑の鯨

はた

第1話 ノルウェーの太公望

 ノルウェーには昔から、おとぎ話がある。夜の空に輝く星たちは、全て命を宿した生物であり、その中でも星屑を纏った鯨を見た者には幸福をもたらすという。


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


 西暦2016年。ノルウェーには凄腕のプロの釣り師の青年がいた。名はサントス。今日も船で沖へ出て、竿一本でサーモンやサバなど、様々な魚を釣り上げていた。


 サントスはラテン系アルゼンチン人の血が混じっており、髪の毛は天然のパーマがかかっており、いつもは髪を後ろで束ね、丸眼鏡を愛用している。


 今日も愛用の釣り竿とルアーやリールの手入れに余念がない。普段は清流での釣りが多いのだが、達人は獲物ならぬ、場所をも選ばない。川釣り、海釣りどんとこいだ。


「いやー、流石は『ノルウェーの太公望』!!どれも大物だ。しかも、魚にストレスを与えていない。見事な腕だ」


「ノルウェーのタイ…コーボー?何だそりゃ?」

 

 帰路に着くため着替えてる最中、聞きなれない二つ名でキョトンとしていた。本人の知らぬ間に、港の漁仲間の間では、どうやら定番になっているようで、由来を教わった。


 遥か古代の中国の仙人にして、釣りの名人にあやかって、『ノルウェーの太公望』と呼ばれていた。しかし、本人はいまいちピンと来ていない。むしろ、困った様子で、


「タイコーボーか…。喜びにくいなぁ、知らないから」


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


 こうして、釣りのみで生活して8年弱。彼にとって釣りはライフワークになっていた。何と言ってもフリーなので、好きな時に休日を取れるのが強みだ。今日もぐっすりと眠っている。


 サントスは十二分に睡眠をとり、起床するとゆっくりとコーヒーを煎れた。そこに同棲中の恋人エミリーが雑誌を持って駆け寄ってくる。その釣り雑誌の表紙を飾っていたのはサントスだ。


「すごい!!今月も月刊フィッシャーマンの表紙だよ?」

「俺が釣りをしてるのは、あくまでも趣味なんだけどなぁ…」


 エミリーは根っからのスコットランド人。ブロンドのショートヘアーがよく似合う女性だ。瞳はエメラルドグリーンで、見る者を引き付けてやまない。


 仕事はファッションデザイナー。そこそこ名は売れている方で、人気もある。サントスの服も彼女がデザインしたもの。普段着として着れるのも、特徴的と言えるだろう。


 エミリーはサントスの入れたコーヒーをすすりながら、あまり嬉しそうじゃないサントスに、ぶーたれる。これほど評価されているのに、むしろ迷惑そうで、エミリーは憮然とする。


「いいじゃないのー。褒められるのが、何で不満なわけ?」

「もっと静かに楽しみたいんだよなぁ。本来は落ち着いて黙考できてたのに…正直、釣りよりも考え事がメインなんだよなぁ…」


 グチグチとうなだれるサントスに、

「じゃあ、何か他に収入を得られそうなことでもあるの?」

「…それを言われるとなー、うー…」


 エミリーのエッジの効いた指摘は、深く突き刺さった。確かに他に職のあては無し。確かに今、ここで辞めるわけにもいかなかった。昔を懐かしく思いながら、今日も魚を釣る。


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


 そんなある日の休日…の前日、サントスは相変わらず釣りに出る用意をしていた。だが、今回は久々の仕事抜きの釣りだった。趣味の釣りの時間は、今の彼には貴重な財産だ。


「ねえ、明日は仕事でじゃなくて趣味で釣りに行くんでしょ?」


 エミリーはウキウキとサントスに尋ねた。この目をしているエミリーは大抵、何かしらを企てている。サントスは長年の経験で解っていた。恐る恐る聞き返す。ひとつカマをかけてみた。


「何?その態度と雰囲気は。またオーブン壊したの隠してたの?半年前に新しいの買ったばっかじゃん」


 もちろん、そんな事実はない。エミリーはジョーク半分で言い逃れるだろうと思いきや。思いがけない反応をした。冷や汗をかき固まっている。サントスはあれ?という表情。


「しまった、バレてなかったと思ってたのに…。あなたに隠し事はできないわね。本当にその節は申し訳!!」

「…え?本当に壊したの?」


 サントスがカマを掛けたら、意外と大事が暴露されて呆れてしまったが、本題はそこじゃない。エミリーのウキウキの正体は、一体何なのか。サントスは問いただした。


「じゃあ、何?」

「明日の釣り、いっしょに行きたいなー」

「えー」


 一人の時間は人生において大事な時間。だが、恋人と過ごす時間はもっと大事な時間である。長いこと同棲していたが、それを忘れたことは無いサントスだ。


「いいじゃない、デートの一環だと思って。ね?」

「わかったよ。じゃあ準備して早々に寝よう。明日は場所は遠いから、日が昇る前に出発しなきゃいけないからね」

「やったっ!!じゃあ、すぐ用意するね!!」


 やれやれと言った表情でサントスはエミリーと釣りデートを了承した。この時期の朝は冷えるため、防寒対策を中心に荷繕いをして、午後7時には就寝した。

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