姉であるということ

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姉であるということ

 私の一歳下の妹「花」はいわゆる「天才」だ、一を聞いて十を知り、どんなこともすぐに真似することができる、幼い頃はそんな妹が誇りだった。私の教えたことをすぐに覚えてお姉ちゃんお姉ちゃん、と後ろをついて来て、寂しがりやでよく泣く可愛い妹を、尋ねてくる親戚全員に自慢したものだ、今思えばそれが劣等感に変わったのは中学生になった頃で、きっかけは小さなことだった。

「愛ちゃんの妹の花ちゃんめっちゃ可愛いよねー」

中学生の些細な一言、今までの自分だったら

「でしょー」

と満面の笑みと共に答えただろう、だが気づいてしまった褒められてるのはいつも妹で私ではないことに、鏡に映る私の顔は酷く醜く見えた。だが一年生の頃はたまに思うことはあれど、そこまで気にすることはなかった、周りに比べて頭も良かったし運動もできたので自分が褒められることが多かったし、何より妹を別の小学校から来た子は妹を知らなかった。ヒビが亀裂になったのは二年生だった。初めは部活からだった、妹は私と同じ陸上部に入った。

「めっちゃ可愛い子いる」

同級生が話してるのが聞こえる、

「あの子愛の妹じゃない?多分そうだよ」

私が話したわけでもないのに私に妹がいることが知れ渡る。溢れた水が際限無く広がる様に噂は学年に広がった。今まで知らなかった筈の別に小学校の子からも妹の話が出る様になった。妹がテストで一位を取ったことが広がるのは一瞬だった。その日から聞かれる内容が一つ増えた。

「愛と妹どっちが賢い?」

その言葉を聞くたびに何かが軋む音がした、受け入れたくない現実を受け入れてしまうような、これ以上入らない箱に物を詰めているような。夏休みが終わるときには陸上部を辞めていた。妹が陸上で一番になってる間に私は勉強をした。テストは100点までしかないから100点と200点の差を測れない。唯一現実から直視せずに済んだ。高校は県で一番頭がいい高校に行った。そこには誰も妹のことを知る人はいない。初めて友達とカラオケに行った、それは勉強よりもずっと楽しくて林檎みたいな爽やかな香りがした。高校に入るとテストで満点が取れなくなってきた、けれども一番であることは変わらなくてそれに満足していた。冬、家でのんびりしていると小煩い足音が近づいてきた。急にドアが開く。

「お姉ちゃん同じ高校受かったよ!」

現れた妹は顔が真っ赤で今にも湯気が出てきそうだった。

「良かったね」

妹に抱いてる感情を知られるのだけは嫌だった。それを隠す為にいい姉を演じた。それは心地のいいものとは言い難く、胃の中が沸騰するような体の中に自分以外がいるような、拒絶したくてもできずに付きまとうそれは、生まれ持った定めのような気がして。



 始業式はいつの間にか終わっていた、校長やら生徒指導の先生が何か話をしていたと思うが記憶にないしきっとつまらない話だったのだろう。私は今日が来るのが億劫だった、今この集団には妹を知る人なんて片手で数えるほどしかいないと思うが、花はいつの間にか有名になって誰もが知る人物になる、そういう人間なのだ、私が心に重しを抱え生きてくことが定めであるように、花は世界の中心になることが定めなのだろう。なぜ花はこの高校に来たのだろうか、県外のうんと賢い高校にだって行けたはずなのに。そんな疑問があの日からちらつく。

 気づいた時には始まっていた、世界が溶けてなくなってしまうような、そんな夏が。私は4月から7月まで何をしていたのだろうか、学校に行き勉強をして家に帰り勉強をする、ただそれだけ、下手しなくても三年生よりも勉強してる気がする。単調な世界だと凹凸のない道のように世界は早く進んでしまう。夏休みに入ると、仲の良いグループご飯を食べようという話になった、その店に集まると私が一番早く来たようで、誰もいない道路は来る所を間違ってしまったのではないかと感じさせ、ここが日本ではない何処かではないかと錯覚させる。しばらくすると友達があつまってきた。なんだか葡萄みたいな甘ったるい匂いがする。席に着くとみんなが話を始めた、数学の先生がこわいだとか、同じクラスになった、だれだれがカッコいいとか日常の話を和気あいあいと話し合う、世界は満開の花束に包まれたようで、こんな時間が一生続けばいいと思った、私も何か話したいな、そう思い記憶を手繰り寄せる、だが上から降ってきた記憶は歪んでいて、ただ意味のない順番に並んだ単語と記号の塊で構成されていた。ああ私の人生はこんなにつまらないものだったのだと、そう思った。



 鬼灯の実が風に揺れている、蝉がうるさい、視界が揺らめいて見える、全身で感じる熱気は私がフライパンの上のバターになったと錯覚させる。私は競技場に居た。陸上をやってる友達が大会あるから応援してよ、と誘われた、その時は素直に嬉しく二つ返事で承諾した、誘われた事実が私が価値のある人間である証明のような気がして。競技場に着くと花が視界に入る。そういえば大会出るから見に来てね、なんて言っていたっけ。それは白いTシャツについた染みのように強烈で、意識せざるを得なかった。いつの間にか友達の種目は終わっていて、花の出るリレーが始まっていた。次々にバトンが巡る、ついに花にバトンが渡った、希望と期待と責任を乗せて、花が走り出す、時間が止まったかのように世界が遅く見えた。有り得ない物を見た、妹が転ぶ姿を、それは鮮烈に目に焼き付いていく、私は魔法にかかったかのようにその場から動くことができなかった。呆然として動けない妹に陽光が燦燦と降り注ぐ、その姿が幼い頃によく泣いていた妹と重なった、いつからだろう妹が泣かなくなったのは。心配しなきゃいけないはずなのに、何故か心が和らいで安心していくのを感じる。そして私は姉であることを思い出した。妹は思い出せるだろうか、いつだって私はあなたの姉だということを。

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