わたしの名前は
「うーん……あれ、ここは……?」
何かとても悪い夢を見ていたような気がする。とにかく体が重い。頭も重く感じる。上手く思考が働いていない。
見慣れない天井。だが、見覚えのある天井。
腕を上げるのもつらいが、なんとか体を起こして周りを見回す。綺麗に整頓されているが、物自体はけっこう多い。可愛らしいぬいぐるみやら、マンガやら、用途のよくわからない雑貨まで。赤やピンクの小物が多いことから、女の子の部屋だろう、と推測できる。
何があったのかはいまいち思い出せないが、どういうわけか自分は誰かの部屋のベッドに寝かせられていたようだ。肝心の部屋の主は、今は席を外しているようだが。
「いったい何が起きた……? 思い出せ、確かあのルシフェリオとかいうやつに何かされて……」
何をされたのかはわからない。だが、そこから先の記憶がないということは、きっとそれが原因で気を失ったのだろう。
そして、誰かはわからないが、気を失った自分をここまで運び、おそらく介抱してくれたのだ。
「……なんか、見たことある気がするんだよな、この部屋」
ぼんやりとではあるが、部屋の内装に既視感を覚える。だが、まだ頭が重く、意識がぼんやりしていて、うまく思い出すことができない。
部屋の外から、階段を登ってくる足音が聞こえたのは、ちょうどそんな時であった。
「ふふふーん……♪ あれ、きみ……目が覚めたんだね! よかったぁ!」
鼻歌まじりに扉を開けて入ってきたのは、太陽のヘアピンを付けたショートヘアの少女。
というか、
「あかり……⁉︎」
道理で部屋に見覚えがあるわけだ。娘であるあかりの部屋、つまりは自宅の一室なのだから、何かの用事で足を踏み入れたことくらいは何度もある。
ルシフェリオに何をされたのかはわからないが、あの後変身したあかりが怪物とルシフェリオを退け、気絶した幸雄を部屋に運んでくれたのだ。
「ふぇ? なんでわたしの名前……あ! そっか、部屋のネームプレートとか、机の上のノートにも名前書いてあるもんね!」
「……? 何言って……あかりの名前を忘れるわけが……」
しかし、あかりの反応が明らかにおかしい。これではまるで、全く知らない人物と会話しているようではないか。
おかしいのはあかりだけではない。自分の声も、何か変だ。やけに高いというか、可愛らしい。それこそあかりのような年頃の女の子のような声。
まさかと思い、慌てて自分の両手の平を見る。小さく、白く、繊細な指。それらを動かし、さらに体を触ってみると、より華奢な体つきを実感できる。
ほっぺたももちもちで柔らかい。そして輪郭も明らかにいつものものと違う。
そこで気が動転したのか、あかりが何かを言っているようだったが、全く耳に入ってこなかった。それよりも、今の自分の姿を確認すべく、大急ぎで姿見の前に立った。
「は……? え……? これは、いったい……?」
鏡に映っていたのは、あかりと同い年くらいの女の子。髪はあかりより長く、肩甲骨が隠れる程度はあるだろうか。顔つきは年相応に幼いが、どこか落ち着きがあって大人びた印象も受ける。
「どしたの? やっぱりまだ、どこか痛む? 無理はしたらダメだよ。元気になったら、おうちまで送ってあげるからね!」
流石にこのリアクションで、ショックを受けていることがあかりにもバレバレな模様。
自分のことを気遣ってくれる、その純粋な優しさと笑顔が、こんなにも申し訳なくなる日が来るとは。騙しているようで。
「あ、えっと……ちょっとびっくりしただけ……ほら、知らないところだし……」
「そっか、そうだよね。ごめんね、気づいてあげられなくって」
謝られると、罪悪感がより増してくる。とは言え、流石に真実を言うわけにもいかないだろう……言えば確実に、頭のおかしいやつだと思われて、病院に連れて行かれるだろう。
「じゃあまずは自己紹介からだね! わたし、
どこまでも広がる快晴の空のように眩しい笑顔と共に、差し出される右手。
正直、この手を取っていいものか……と、ためらいがあった。あかりの目がまっすぐこちらを見つめるほどに、隠し事をしている後ろめたさがゆっくりと背後から迫ってくる。
「お……わたしの、名前は……」
差し伸べられた右手に応えようとして、一瞬体が固まった。まっすぐな目、まっすぐな気持ち。本当のことを言ってあげられないのが、あまりにも心苦しい。
ここで全て話してしまえるのなら、どんなに楽なことか。
だが、言えるはずがなかった。ただでさえ変身して得体の知れない怪物と戦っている我が娘に、これ以上の負担を強いるわけにはいかない。一緒に戦おうにも、この姿では娘の力にもならない。
ただいたずらに、娘のことを混乱させるくらいなら、いっそ……。
「……
今の姿と、起きてしまった現実を受け入れ、その上で最善を探っていこう。この名を名乗ったのは、その誓いだ。
何故かはわからないが、今の姿の名を考えた時……ふと頭の奥で、雨宮しずくという名が浮かんだ。咄嗟に名乗ったにしては、どうしてか自分でもしっくるくる。我ながらいい名前だ、と幸雄は思った。
「しずくちゃん! えへへっ、よろしくね!」
そして差し出された右手を握り返す。これでもう、後には退けなくなった。
晴崎幸雄としての人生は一度終わり、新たに雨宮しずくとしての人生が始まる。
そう、これは彼……いや彼女、雨宮しずくと、晴崎あかり。その友情と戦いの物語である。
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