あっちだよ……

平中なごん

あっちだよ……(一話完結)

 それは昨年、祖母が満百歳で大往生を遂げ、新盆(※あらぼん。亡くなって初めてのお盆)だったために、お寺の施餓鬼会せがきえに参加した時のこと。


 施餓鬼会とは、本来、餓鬼道に落ちた亡者を供養するための法要であるが、お盆(盂蘭盆会うらぼんえ)には祖先の霊ばかりでなく、無縁仏などの成仏していない霊達も集まってくることから、現在ではお盆に合わせて行われる追善供養の意味合いも強くなっている。


 それは浄土宗であるうちの菩提寺でも同様であり、新盆を迎える家の者達は、その施餓鬼会に参加した後に新しい仏様・・用の卒塔婆そとばをもらってくるのが慣例となっていた。


 例年、お盆に仏壇へ供える卒塔婆はもらいに行っていたが、施餓鬼会に参加するのはこれが初めてである。


 お盆に先立つ八月九日当日、いざお寺を訪れてみると、広い本堂にはそれを埋め尽くさんばかりにたくさんの檀家信徒達がごった返している。


 また、近隣の同宗派のお寺から応援に来てもらっているのか? 法要を執り行う僧侶の数もやたらと多い。十人以上はいただろうか?


 季節は真夏。都市部からはだいぶ離れた小高い山腹にあるお寺ではあるものの、そうした参加者達の人熱ひといきれもあってか、一応、冷房は入っているようだが会場はそれなりに暑い。


 法要が始まると、そんな本堂内に僧侶達の読経や念仏の声、芳しい焼香の煙が充満する。


 意識を散漫にする蒸し暑い空気に、リズミカルな音声とお香の香り……それはまさにシャーマンがトランスする時や、催眠術の導入部にピッタリなシチュエーションである。


 気づけば意識は朦朧とし、眠気とも少し違う、睡眠と覚醒の狭間にいるような心地良い感覚に陥る中、それでも法要は順調に進み、檀家一同が焼香をする段となった。


 檀家総代を先頭に立ち上がり、特別に設置された施餓鬼棚(※施餓鬼用の祭壇)の前に長い列を作ると、一人づつ順番に焼香を済ませてゆく……。


 その列が進むにつれ、同行していた母ともども私も立ち上がると、最後尾に並んでゆっくりと進みながら、自分の番がくるのをぼんやりと待つ。


 自力で立ち、たまに一歩、前に足を出す動きがあるといえども、動作が緩慢なために朦朧とした意識はやはり覚醒しない……。


 と、そんな夢現ゆめうつつの心持ちで順番を待っている中、私は視界の隅に奇妙なものを見たような気がした。


 空中に浮かんだ白い手が、施餓鬼棚の方を指差しているのだ。まるで、「焼香するのはあっちだ…」と教えてくれているようなジェスチャーである。


 だが、常識的にはありえないそんなものを目にしても、頭がぼんやりとしていためか? 特に恐怖というものは感じなかった。


 いや、恐怖心ばかりか不思議だと思うような感情すらも湧いてはこず、むしろ、さもありなん…と普通のことのように思っている自分がそこにはいたりする。


 さらには冷静に「いや、ご親切にありがたいですが、わかってるんで大丈夫ですよ」なんてことを考えていたり、私には霊感がなく、そうした体験をするのもごくごく稀なことだったため、「そういえば、よく霊は視界の隅に見えるというけど、それってこういうことなのかな?」などと、知的好奇心から感心などもしていた。


 その〝手〟が見えていたのはどれくらいの時間だったのだろう? 


 数秒見えていたような気もするが、それはたぶん一瞬の出来事で、やがて自分の番が来るとそんなこともすっかり忘れ、他の檀家達同様、施餓鬼棚の前へ座って、ひとつまみの香木片を煙の揺らぐ香炉の中にべた。


 後から考えるに、〝あの手〟の正体はいったいなんだったんだろうか? 


 本堂内がいわゆる〝トランス(※催眠状態)〟になりやすい環境ではあったし、寝入りばなに垣間見る一瞬の夢の如く、ただ単に意味のない幻覚を見ただけのことなのかもしれない。


 だが、時期も時期であるし、亡くなった祖母の霊や、あるいは親切な檀家のご先祖様なんかが心配してお節介を焼いていてくれたのかもしれないな…などと、私はあの時の体験を半信半疑に受け止めている。


(あっちだよ…… 了)

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あっちだよ…… 平中なごん @HiranakaNagon

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