デート…じゃ、ないみたい
熱い鉄板の上で、ジューっと肉汁が踊りだし、舞台の主役であるステーキに、パチパチと喝采が贈られる。
そして、食欲を掻き立てる香ばしい香りが、まるで魔法のように、僕たちの手を操作するのだ。
「おいし~!このお肉美味しいよ、カグヤ!。ほっぺたがおっこっちるよ~」
「ほんとだ!めちゃくちゃ美味しい!元の世界でもこんなお肉、食べたことないよ」
僕はテーブルマナーをほとんど知らない。
右手にナイフ、左手にフォーク。
知っていることといえばそれくらいだ。
まぁ、僕のいた世界のテーブルマナーが、この世界に当てはまるとはかぎらないけど、作法というのは大切だ。
浅い知識を駆使して、ナイフで切り取ったステーキの欠片を、フォークで刺し、なんとか口の中に運ぶ。
「はむはむ。ん~~!」
ジュワっと広がる肉汁に、当店オリジナルの甘辛ソースがとてつもなく絶品だ。
さらに、上質な肉が口の中で溶けたと思いきや、僕の舌が今までにない幸福感に包み込まれた。
それはテスも一緒で、ガツガツと口にステーキを放り込むたびに、頬を緩ませている。
するとテスは、咀嚼したステーキをゴクリと飲み込むと、隣に座る一人のメイドさんに顔を向けた。
「ノインさん。これ食べ終わったらデザートも頼んでいい?」
「ええ、遠慮なさらず、好きなだけ注文していただいて構いませんよ」
「わーい、やったー!」
この女性はノインズさん。精霊だ。
ロールのかかった長い黒髪に、バイオレットのうっとりとした瞳。
そして慎ましい胸に似合わない、胸部がブカブカのメイド服を身につけている。
胸のある人への対抗心なのだろうか?。
なんでノインズさんが行動を共にしているのかというと、時間が少し前にさかのぼる。
ーー*数十分前*ーー
検診を終えたテスは、僕を連れて、とある場所へと足を運んだ。
そこは、いかにもお金持ちが住んでいそうな、煌びやかで広い豪邸。
高い塀で囲われているというのに、豪邸が全貌できてしまうくらいに大きく、僕は顔を上げたまま、ただただ口を開けて思考を放棄していた。
「これが…ブルジョアの家…」
すると鉄製の立派な門が、黒板を引っ掻くような甲高い音を立てて開いていく。
そして中から、一人の女性が現れて、僕に深く頭を下げた。
「はじめまして、霞紅夜様。エンバー様からお話しは伺っております。
本日は安全で快適な旅をお届けするために、あなた様たちのガイドを務めさせていただきます。
私はノインズと申します。どうぞ気軽に、ノインとお呼びください」
そう言って、彼女も僕たちと同行することになった。
あ~~、二人っきりでデートできると思ったのにな~。
ーー*ーー
テスは、ノインズさんと面識があるようで、彼女たちは姉妹のように仲がいい。
「ゴフッ……ケホッ、ケホッ」
「ちょ!大丈夫?みずみず!」
肉を大量に頬張っていたテスは、案の定、喉に詰まらせたようだ。
彼女はもがきながらテーブルのコップに手を伸ばし、水をゴクゴクと飲み干していく。
「ぷはぁっ、肉汁とソースで溺死するところだった」
「もう急ぎすぎ。食べ物は逃げないんだからゆっくり食べなよ」
「そうですよテス。あらら…お口もこんなに汚して。ちょっと動かないでください」
「はーい」
ノインさんはハンカチを手に取り、ソースで汚れたテスの口元を優しく拭う。
テスは一息すると、またお肉に手を伸ばし、ハムスターのように頬張っていく。
そんなテスを、ノインさんは微笑ましそうに、熱視線で見守っていた。
さては、ノインさん。
あなた…可愛い美少女、大好きですね。
わかります。
ー
しばらくして、食事を終えた僕達は店を出た。
「ご馳走さまでした」
「は~、美味しかった」
「またのご来店を」
膨れた腹を摩りながら、満腹感に浸っていると、ノインさんがふと訪ねてきた。
「霞紅夜様。今回、霞紅夜様は聖都が初めてだとお聞きしました。どこか行ってみたい場所とかはおありですか?」
「行ってみたい場所…」
強いていうなら、本があれば見てみたい。
僕はこの世界の知識に
あとは浮龍車に内蔵されているような、一般で扱われているオーブがあれば見てみたい。
正直、最初に目にした時からオーブには興味があった。
日常生活で使用するオーブとかあれば、是非とも欲しい。
「本屋…。あと、日用品で使用するような危険性のない、オーブを扱う店ってありますか?」
「ええ、ありますよ。ではこちらへ」
ノインさんはそう言って、僕たちの先頭を歩いていく。
そんな時。
「ふんふんふ~ん♪ふわっ!」
僕の隣を歩いていたテスの足が歩いている途中で
「危ない!」
透かさず近く居た僕が、彼女を両手で抱き寄せた。
咄嗟のことで力が入り、僕たちの体は密着し、眼前にはテスの可憐な顔があった。
「ビックリした。大丈夫?」
「うん…………ありが…とう…」
幸い
テスはお礼を言うと、ぎこちない動きで僕から距離をとる。
「……?」
なにやらテスの様子がおかしい。
どういうわけか、さっきまで
もしかして怪我した!?と…思ったのだが傷を負っている様子はない。
ひとまず安心だ。
これには僕もホッと胸を撫で下ろした。
だけど本当にどうしたんだろうか。
テスの頬は紅潮していて、僅かに態度もよそよそしい。
「あらあら~」
するとノインさんはなにかを察したようで、口元を片手で覆い、なにやらニマニマと笑みを浮かべている。
「歩ける?肩貸そうか?」
「ううん、歩ける」
彼女はそう言うと、早足でノインさんより先に進んでしまった。
「あっ、ちょっと、置いてかないで~」
僕たちはすぐに追い付いたのだが、そっぽを向いたまま、またも彼女は我先に進んでいく。
不思議だ。
こんなテスは見たことが無い。
本当に、どうしてしまったんだろうか?。
ーー*ーー
それからしばらくして、僕たちは書店で目ぼしい本を購入した後。
一般で売られているオーブを扱う、
「お~、ほんとにいっぱいある。すごーい!。でもオーブって確か、精霊の恩寵を閉じ込めてるんですよね。恩寵ってこんな大量に安売りしていいものなんですか?」
「いえ、一般に売られているオーブは、精霊の恩寵を元に、人工に作られた特殊な恩寵なのです。そのため私たちが起こす奇跡より、遥かに効力は落ちるのですが、代わりに種類が様々で、あらゆる用途を考慮したオーブが、ここには山のように販売せれているのですよ」
「なるほど」
僕は周囲を見渡しながら、まるで博物館にでもいるような、不思議な高揚感に支配された。
右もオーブ、左もオーブ。
この店、僕の想像以上に種類が豊富だ。
焼却オーブに発光オーブ、暖風オーブ、エトセトラ。
一個ずつ名前を上げて行くと切りがない。
さらには、オーブが内臓された機器も販売されている。
掃除機やアイロン、さらにはテレビまで置いてある。
このテレビはどういう原理で動いているんだ?、と思ったのだが、内部に何種類もの細かいオーブが内臓されているようだ。
どうやら複数のオーブを用いれば、プログラミングのように複雑な指令を実行できるらしい。
「なるほど~、面白~い」
それと、オーブはアクセサリーとしても販売しているコーナーがある。
まぁ、元が綺麗な結晶なので、当然なのかも。
「ねぇ、カグヤ~。見て見てー、面白いでしょ~!」
「…………」
いつものお馬鹿さんモードに戻ったテスは、恥ずかしげも無くオーブで遊んでいる。
どうやら彼女は反重力オーブが大層気に入ったようで、さっきから風船みたいにフワフワと宙に揺られている。
「お客様!困ります。危険ですので降りてくださぁい!」
「あっ!ちょわっ、何をする~!カグヤ助けて~」
このままでは天井に飛んいってしまうと危惧したのだろう。
一人の女性店員に制止され、テスはお説教を受ける事となった。
テスはお説教中、ずっと僕に『助けて~』と訴えかけてきたが、僕はそれを全部無視した。
愕然とした様子で、テスはワナワナと震えていたけど、まぁ、店内で馬鹿やったテスが悪い。
存分に反省するといい。
「それにしても、オーブ…こんなに種類が多いいとは思わなかった。凄く悩むな…」
「お気になさらず、好きなだけ購入していただいて構いませんよ」
「え、でも僕たち、ノインさんに頼りっきりですし…」
頼りっきり…というのも、ステーキや書物。
これらは全部ノインさんもちだ。
さすがに、善意に甘えすぎるのもよろしくない。
するとノインさんは不適に笑うと、顔を紅潮させながら僕に囁いた。
「いいのですよ、もしもの時は、体で払っていただきますので…」
「好きなだけ買わせていただきますっ!」
恐るべし、大人の魅惑。
ひょっとして僕、この後お姉さんに食べられちゃう!?。
大人の階段
気がつけば本能のままに、僕は目についたオーブを買い物カゴに放り込んでいた。
いかんいかん、自制しなくては。
僕は理性を取り戻し、目の前に並ぶオーブを品定めした。
できれば、日常生活で幅広く使えるオーブが欲しい。
村に帰った後の事を考えると、生活を少しでも豊かにしたいのだ。
僕とノインさんは、テスを置いていろんなコーナーを回った。
どうやらオーブは、ランク付けされているみたいだ。
取り扱いを注意しなければならない程、ランクの数字が高くなるらしい。
最大ランクは3まで。
「ランク3、目を離さないで……と」
「ランクが高いほど使用者の適切な管理が必要になります。ちなみにランク3以上のオーブも存在していますが、こちらは精霊の恩寵が内包された軍事用で、まず一般では出回っていませんね」
「なるほど」
たぶんテスが村で使ったオーブが、それに該当しているものだろう。
オーブランク3のコーナーで取り扱いの説明書を注意深く読み漁っていた僕は、ふと何かを忘れているような気がして、不意に首を
「あれ、何か忘れているような……。気のせいか」
「はて…?」
「……それって私の事じゃない?」
突然掛けられた声に、僕とノインさんも思わずビクッと震え上がった。
その声の主は、茹で
「テスさん!!。や、やだな~。僕がテスの事忘れる訳無いじゃないですか~」
「ホントか~?。それよりさっき、何で助けてくれなかったんだよ」
「それは店の物で遊んでたテスが悪いかと。ちゃんと怒られて反省しましたか?」
「した!。だからはいこれ」
そう言って、テスは大量のオーブが入った買い物籠を、僕に手渡した。
もちろん、その中には反重力オーブも混ざっている。
テスはこれが相当気に入ったようだ。
というか……店内で怒られたから、村に持って帰って遊ぶ気だな、コレ。
「……こんなに買うの?多すぎじゃない?」
すると、テスはドヤ顔で……、
「ふっふっふっ、ノインさんたちの財布はこんな程度で尽きたりしないのだよ。あっ、これも買う!」
と言いながら、また新たなオーブを手に取って買い物籠に放り込んだ。
さすが、遠慮というものを知らないテスさん。
よく人のお金で、ここまでのドヤ顔を晒せるものだと、さすがの僕もドン引きだ。
「テス~、程ほどにしないとノインさんも困っちゃうよ。ねぇ、ノインさん」
「いえいえ、このぐらい、大したことありませんよ」
「ノインさんっ!?」
あまりのテスの無遠慮さに、僕はノインさんの顔色を伺った。
しかし、なんのことはない。
ノインさんは眉ひとつ動かさずに、涼しい顔をしている。
えっ、あれを野放しにしちゃっていいんですか?。
まぁ、こうなったら僕が体で払うしかないね。
「ところでテス。今日ってこのまま聖都に止まるの?」
「うん、そうだよ」
「やっぱりか~。そういえば僕、着替えがシャツぐらいしかないんだよな…」
すると、ノインさんがニコッと微笑みながら僕に向かって口を開いた。
「でしたらこの後、近くの洋服店で霞紅夜様に似合った服を見繕ってもらいましょう」
「いいんですか?、ありがとうございます!」
ー
オーブを購入した後、僕たちは洋服店に足を運んだ。
そこで始まったのは、かつて学校の白き小悪魔と呼ばれた、僕という美少年のファッションショー。
テスとノインさんに様々な服を着せられ、僕はもはや、彼女たちの着せ替え人形と化していた。
「カグヤ…大丈夫?」
「大丈夫に見えるの?……人をおもちゃみたいに…」
成すがままになっていた僕は、ヒットポイントをゲッソリと削られ、ゲージが赤のラインで点滅している。
それくらい、気力がないのだ。
「霞紅夜様、ごめんなさい。霞紅夜様は素材が良いので、ついついはしゃいでしまいました」
「とか言って、カグヤもノリノリだったじゃん」
「ぐぬっ」
そんな僕を見ながら、二人はクスクスと微笑んだ。
すると、ノインさんは自身の両手をパンっと合わせて、僕たちと向かい合った。
「さて、日も暮れてきたことですし、今日のところはここまでですね」
ノインさんの言葉に、僕は店内の窓から外を覗き込んだ。
街並みは黄昏に染まり、人込みも減り始めている。
「そうですね。残念ですけど、仕方ないです」
「ふふ、ですが霞紅夜様。お楽しみはこれからですよ」
「え?」
『お楽しみ』という彼女の言葉に、僕の思考はあらぬ方向を想像し、一人悶々としていると、ノインさんは続け様に口を開いた。
「霞紅夜様の世界には『お風呂』というものが、重宝されているとか…」
「えっ!あるんですか?お風呂!」
『お風呂』という単語に、僕は興奮を隠せない。
なにしろこの世界に来てから、僕は一度もお風呂に入っていない。
勘違いしないで欲しいのだけれど、別に体を洗っていないわけじゃない。
この世界には『お風呂』という文化が無く、体を洗う手段が、川辺で簡単にサッパリする他ない。
テスに至っては奇跡を起こし、少量の水で服も脱がずに全身を洗い、そして乾燥までしてしまう。
日本人の僕からすると、信じられない光景なのだ。
「ええ。霞紅夜様たちには、とある方の家に宿泊していただくのですが、そこの主人はお風呂が好きで、家に大きな露天風呂を建設しているのですよ」
「やったーー」
「?」
僕は喜びに舞い上がり、テスはキョトンと首を傾げている。
ふふ、テス。
惚けていられるのも、いまのうちだよ。
お風呂に入ってしまえば、その顔はあまりの心地よさに、悶絶してしまうこと間違いないはずだ。
そして、知るがいい。
お風呂というものの素晴らしさを!。
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