第40話 忘れらんねえよ

穏やかな時が流れる。

暗闇に響く虫の音と波音。

永遠を感じさせる、何者にも侵すことが出来ない、静寂の夜。今にも降って来そうな億千の星がまたたく、漆黒の夜空。それは、元の世界と全く違わない。ふと思い出した。

ああそうだ。

この星空を、この波音を俺は知っている。

前世で、ハワイの浜辺で、俺は一度体験していたんだ。

あれは新婚旅行だった。アスカ、かつて妻だった女と二人で。

今となっては忌むべき、忘却されていた記憶。

俺の、柴田弘嗣(しばたひろし)の、最も幸せだったあの記憶。

思い出してしまった。否応なしに。思い出さざるを得なかった。

こんな時に。こんな時なのに。こんな時だからこそ。

孤独と罪悪感と後悔と無力感をないまぜにした汚水のような感情うずまくこの俺に、

孤高で純潔で高潔かつ清廉さを絵に描いたような聖母のような男であるシルバが、キスをしてくれたから、感じてしまった。


純粋な幸せを。


幸せなんて感じる資格すらない、人殺しの俺が、幸せを感じてしまった。


終わらないように感じた口づけも、どちらからともなく唇を離したことで終焉を迎えた。


シルバの唇は、男とは思えないほど柔らかかった。ぷっくりとしていてみずみずしく、艶やかで、弾力があって。この世のものとは思えない。シルバは女とか男とかそういう次元じゃなく、やっぱり神様なんじゃないか。マジでそう思う。彼女の唇に触れ、彼女に食べられる、この世のありとあらゆる食べ物が羨ましい。俺も食べられたい。俺の身体という身体をシルバに食べてもらえたらどんなに幸せか。ん?おれ何か変な性癖に目覚めた?



つうか。


・・・・・・。


シルバは黙って俺を見ている。


気まずい。


この気まずさは俺だけのものではない。シルバも同様にこの気まずさを感じているようだ。沈黙が続く。虫の鳴き声が、砂浜をしっとりと濡らしていく波音だけが、闇夜にしんみりと響く。


何か。

何か言わなくては。

何を言う?

何でキスしてくれたんですか、とか?

……いや、それはなんかキモいな。十分状況がキモいのに、そんな童貞みたいなこと聞くのはキモいか。いや、童貞ではあるんだが。でもキモがられたくないし。

いやいやでも、十分シルバさんもキモいだろう!だって男なんでしょ?成人男性が、12歳の少年に夜の砂浜でキスするのは、キモすぎやしねえか!?

俺が好意を持ってるからよかったけど、中々キモいぞ!?

いやいやいや!傷心の俺を気遣って、励ましてくれた善人に対してキモいって思っちゃう俺の方がキモいか!!!!!なんだこの状況!とにかくキモい!!この気まずさ!沈黙!キモい!つうか少なくとも、俺からはなんも言えないって!なんか言ってよシルバさ


「すまなかった。今のは忘れてくれ」


え?


「え?」


まさかの謝罪!?なにそれ!?シルバさんもといギンジロウさん!あなたどういう気持ちなん!?あなたの気持ちがオレワカラナイヨ!!!!!!!!!!!


「全くもって、私らしくないことをしてしまった。男が男に。気持ちが悪かったろう?心から謝罪する」

「え!あ、いやそんな、全然、悪くなんか、良かったです!」

「ん?」

「いや、なんか、あ、えっと、いや、別に、だからその、あ、謝らないでください!」

「……そうか。だが、お願いだ。忘れて欲しい」


忘れられるわけがない。


けど。


「わかりました。忘れます」

「感謝する」

「いえ、こちらこそ、励ましてくれてありがとうございました」


俺の言葉を聞くや否や、シルバは立ち上がった。砂を払い、こほん、っと一度咳ばらいをする。


「今のジュンを置いていくのは忍びないと思っていたが、大丈夫そうだな」

「置いていくって、どこか行かれるんですか?」


「キャンデーラ国だ」

「え!?」


本日奴隷解放ギルドの主要メンバーの緊急ミーティングが行われたらしく、すでにキャンデーラ領近辺の調査、情報収集の任務についている三番隊隊長、オロ・ゾロトイ (こないだ俺たちにキャンデーラ滅亡の凶報を伝えた、色黒の金髪男)の支援担当として、四番隊隊長のシルバが任命されたのだという。

俺の祖国、俺の、奪われた帰る場所。キャンデーラ。


キャンデーラで何が起きたのか。この目で確認したい。


「俺もキャ」

「駄目だ!」

「シルバさん!!」


シルバの鋭く、穢れなき碧眼二つが、じっと俺の双眸をとらえる。


「冷静な判断が出来なくなっているようだから、あえて言おう。ジュン・キャンデーラ。お前は、亡国キャンデーラの、唯一無二の王位継承者。お前が死ねば、名実ともにキャンデーラは滅びる。キャンデーラの火を再び灯す、それがお前の使命だ」

「俺の、使命」

「キャンデーラ再興のため、お前はお前のやるべきことをやれ。いざというとき、我々ギルドは、必ずお前の力になる」


シルバがにっと微笑み、目を細めた。ジュン、またしばらくのお別れだな。

そう言って、罪人殺しの剣鬼、シルバ・アージェントは、俺の前から姿を消した。


****************************


翌日。


俺は、奴隷解放ギルドのコミュニティ内にある酒場に、仲間たちを集めた。


鋼鉄の肉体を持つ虎獣人ロッソ・カーマイン、水神と謳われる元S級魔法使いランセ・アズール、チート治癒能力を持つドワーフ、破戒僧ヴァイス・ブランコー、俺の独りよがりな復讐劇に協力してくれた、信頼できる男たち。


「俺は俺のやるべきことをやる」


ロッソが骨付き肉を豪快にむさぼりながら、歓喜した。


「敵討ちやな!!やったろうやジュンちゃん!」

「それは必ず。だけど、まずは情報収集だ」


待て、と酒樽の葡萄酒をごくごく鯨飲していたブランが手を止めた。


「それは、シルバたちの仕事」

「せやで!情報収集するんやったら、やっぱり今朝シルバについてったら良かったやん!」


早朝、シルバたちに同行しないと伝えて不満げだったロッソが、またもぶぅ垂れる。


「ジュンが言う情報収集は、そういうことじゃねぇんだろ?」


一人俺の意図を察している様子のランセは、コーンポタージュをスプーンですくって口に入れ、またかちゃりと置いた。


「ああ。俺は今から、今回のキャンデーラ襲撃を計画した、クソ野郎を調べる」


どうやって?と首を傾げるロッソとブラン。


「決まっているだろ?俺の固有スキル『マッチングアプリ』で」


そして絶対に見つけ出すんだ。父さんの仇を!

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