第35話 最後の審判
小ぶりな胸と股を両手で隠すマリヤは、昔美術の教科書で見た、西洋の絵画みたいだった。
今更何を恥じらうことがある。お前は恥そのものじゃないか。
「ジュ、ジュジュジュン様」
流石に動揺を隠せない婚約者に、俺は優しく語り掛ける。
「急にしおらしい態度を取るなよ。笑いそうになる」
「え、あああの、ど、どういうことですか、なぜ、ジュン様が」
習慣とはおそろしい。先ほどまであれほど高圧的に接していたくせに、正体がジュン・キャンデーラだとわかれば、反射的にへりくだってみせる。
いや。おそろしいのは習慣ではなく、女という生き物か。
「見てのとおりだよ。今日グチモームスで起きた全てのことは、俺がやったことだ」
「そんな!ジュン様!あなたはなんてことを!」
俺の言葉を受け、非難の目を向けてくるマリヤ。
なんてことを?って言ったかこのビッチは。
「なんてことを?なんてことをって言ったか?」
12歳の見た目とはいえ、中身は29歳アラサー。大人の凄みでマリヤを睨みつける俺。
思わずマリヤは口をつぐんだ。
「そっくりそのまま返すよ。お前はなにをやってるんだ?俺という婚約者がいながら、真昼間から他の男と」
「それは、いや、その、違うんです」
取り繕おうとするメスブタ。だがそんな戯言に興味はない。
「言い訳も嘘も必要ない。わざわざここまで会いに来たんだ。マリヤ・グチモームスの本音を聞かせてくれ」
――絶対に嘘をつくな。――
先刻のレンファウ議員の言葉が脳裏によぎったマリヤは、唾をごくりと飲み込み、ふぅー、と深い息を吐いた。
「……本音をお望みなのですね?」
「ああ、聞かせてくれ」
初めての体験だ。
自分を裏切った女の本音。前世ではついに一度も、直接聞くことのなかった言葉。
何が出てくるんだ。
俺は身震いした。
「私は、アンジェロ・ジャッシュを、一人の男性として、心から愛しています。そして、ジュン・キャンデーラ。あなたのことも愛しておりました」
「……愛していた?」
自然と眉間にしわが寄る。
「はい。ただ、それは男性としてではなく、姉が年の離れた弟に抱く愛情に近いものです」
「……弟?」
「はい。私は18歳の大人で、あなたは12歳の子供。将来の旦那様と言われても、実感は湧きませんでした。アンジェロは小さい頃から、どんなときも私の側にいてくれた大切な人。好きにならない方がどうかしています」
なるほど。
俺はマリヤの目をじっと見た。まっすぐと強い意志を持って、俺を見ている。
それが本音か。
「罪悪感はなかったのか?俺たちの婚約はただの婚約じゃない。キャンデーラとグチモームス、二つの国の結束を強めるための、不可侵の約定を。お前は、自分勝手に破ったんだ」
「そこまで、深刻に考えてはいませんでした。あなたが成人するのはまだ先のことでしたし。でも、うかつでした。すみません」
「そうだな」
本人の言う通り、うかつそのものだ。軽率で、無神経で、浅はかだ。
婚約者がガキなら、浮気をしていいのか。
うかつの三文字で、俺の心を惨殺した、その裏切り行為をあっさり表現してしまうのか。
小さい頃から側にいてくれた?好きにならない方がどうかしている?ははははははははは!!!
はぁ。
お前さ。
自分の恋愛に酔ってんじゃねえよ!!!!!!!!!!!!
てめえの薄汚い淫欲まみれの汚れた性愛を、美化してんじゃねえ!!!!!!!!!!!!!!
本当にアンジェロのことを純粋に好きだったんなら、親の言いなりになって、俺と婚約なんてしてんじゃねえ!!!!!!!!!!!
仮に。
百歩譲ってお前の愛が本当だったとして。
「俺への裏切りの落とし前はどうつけるつもり?」
「落とし前?」
言葉の意味がわからないのか、戸惑うマリヤ。
「けじめっていうか、何て言うか。いいかえれば贖罪かな。マリヤはどうやって、俺に償うつもり?」
「つぐない、」
「そ、償い。俺は、ははは、今となっては、独りよがりの妄想に過ぎなかったんだけどさ、これでも、君との将来を、本気で考えていたんだよ」
「……」
「純粋無垢で、子犬のように笑う君が隣にいて、君との間に子供が生まれて、俺は、キャンデーラ国の王として、人生を全うするつもりだった。……馬鹿みたいだよな」
「……ごめんなさい」
「いいよ。償ってくれれば」
「あの、ジュン様、私は、どうすれば、」
「死んでくれ。自分の手で」
俺は真顔でマリヤに告げた。
「え?」
俺は、グチモームスを目指す旅の中で、悩み悩んで、決めていたんだ。
俺の心が、納得できなかった時。
マリヤのことを許せなかった時。
マリヤには自分自身の手で死んでもらおうと。
つまり、自殺だ。
「う、うう、嘘ですよね?ジュン様?」
「本気だよ。何日も、何週間も、何か月も考えたけど、俺が君を殺すことは出来ないって思った。だから、」
「嫌です、そんなの、だってだって、だって、わたし、18歳、まだ、子供、」
「18歳は大人って、さっき、自分が言ったよね?悪いことをしたら、罪を償うのが大人だ」
俺はマリヤに短刀を投げ渡す。床を転がる凶器にたじろぐ婚約者。
バンッ。
「!?」
俺とマリヤが音の鳴る方を向くと、扉を開けて、シルバとブランが、血まみれのアンジェロ (椅子固定絶賛継続中)を引きずって現れた。
「きゃああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」
思わずマリヤが叫ぶ。
アンジェロは、連れて行かれる前とは異なり、上下ともに服を脱がされ、マリヤ同様、すっぽんぽんになっていた。
だが、そんなことでマリヤが叫ぶわけない。 (愛する男の全裸なんて見慣れているだろうしね)
マリヤが叫んだのは、いつもアンジェロに生えていた≪大切なもの≫がなくなり、本来あるべきところから、どす黒い血が大量に噴出していたからだ。
斬ったのは十中八九シルバだろう。そして、先程ブランが引き受けたダメージをもう一度、戻したのだろう。アンジェロ・ジャッシュは、椅子に縛り付けられたまま全身の骨が折られ、顔面はぐちゃぐちゃに潰れている。
「見なよマリヤ。アンジェロも死にそうだ。ちょうどいいじゃん、今死ねば、あの世で二人、夫婦になれるんじゃないかな?」
「むむむむむむり、ししし、ししに、しんたく、死にたくん、ないい!!」
口をあわあわ震わせ、涙声で懇願するマリヤ。
「じゃあ、俺が殺してあげれば死ねる?」
マリヤを殺す。
絶対に俺にはできないと思っていた。
ここにたどり着くまでずっと、何回も想像した光景。
そして何回も挫折した光景。
だが、どうしても死ねないなら殺すしかない。
マリヤ殺しを、他の誰かに任せるわけにはいかない。
どうしても殺すしかないなら、
俺は、苦虫を嚙み潰したような表情で、ゆっくりと口にする。
「しょうがないね。俺が責任を持って、マリヤのことを、ぶっ殺す」
「ゆ、ゆゆ赦して、おお、お、お願い、ジュン様」
ひざまずき、地を這って許しを請う全裸の婚約者に、俺は淡々と告げた。
「許すわけないだろ。クソビッチが」
俺は、全裸の婚約者の前に、腕組みして仁王立ちしていた。
「ク、クク、クソビッチなんて、そ、そそそそんな、ジュン様?わ、わた、私は、あなたの、こ、ここ、婚約者ででで、ですよ?」
懇願する全裸のマリヤの周りを、俺はゆっくり歩いた。
「確かにそうだなぁ。じゃあ逆に質問だ。婚約者がいるのに、そこの奴隷商人のクズ野郎とお楽しみだったお前を、クソビッチ以外になんて表現すればいいんだ?」
俺は視線を、先ほどまで執事だった男に向けて言った。改めてマリヤがひっ!と声を上げた。アンジェロだったソレは、原型をとどめておらず、顔は潰れ、全身から血を噴き出し、シンプルにグロかった。
「ひゅ、ふう、ひゅううた、す、ひゅう、ぃひ、け、て、ひゅう」
命乞いでもしてるんだろう。
でも。
なんて言ってんのかわかんねぇよ。
「情報は全て聞き出したぞ」
シルバが俺を見つめた。
「ありがとう」
俺はシルバを一瞥して、改めて哀れな婚約者を見た。
「じゅ、ジュ、ジュジュ、ジュン様」
かつての子犬のような笑顔はどこにもない。醜い豚がふがふが言っているようにしか見えない。
はぁ。
俺はため息をついた。
そしてふいに、この緊張感漂う、残酷一色の地獄に酔い、すっかり頭から抜け落ちていたことを思い出した。
≪奴隷≫の一件。
そうだ。
そうだった。
俺はマリヤの両目をしっかりと見据えて決意した。
「俺がお前を殺すかどうかは、今からする質問の答えで決める」
俺の一言で、マリヤの顔に、微かな光が灯る。
言うなれば、蜘蛛の糸。生きるか死ぬかは、マリヤ自身の一答にかかっていた。
「マリヤ・グチモームス。お前は、奴(アンジェロ)が、そして、この国が奴隷売買をしていたことを知っていて、黙認していたのか?」
「え?」
マリヤが生きるべきか死ぬべきなのかは、彼女の答えに委ねることにした。
奴隷の件を知っていて黙認していたとしても、そのことを素直に認め、心からの反省、奴隷たちへの謝罪と贖罪を約束するなら。
その時は、更生の余地ありとしよう。
または本当に知らなかった場合。
奴隷売買の件を聞いて、アンジェロの本性を知り、百年の愛が冷め、今後は真っ当に生きると誓うなら、その時も生かすことにしよう。
ただ。
それ以外の答えなら。
俺はマリヤを殺す。
「嘘っ、奴隷売買なんて、そんな。初めて聞きましたわ」
マリヤは驚きの表情を浮かべ、アンジェロを見た。そんなアンジェロが、と愕然としている。
知らない、か。
俺は、小声でウィズユー、と唱えた。
「ウィズ。マリヤ・グチモームスのプロフィールを開いて」
――かしこまりました。
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