23 図書館に行こう②

「――ル!」


「エステル!」


 名前を呼ばれて目を覚ますと至近距離にアレク様の顔があった。澄んだ紫色の瞳が不安そうに私を見つめている。


「……あ、あれ?」


 ここは私の部屋で私はベッドに横になっているのに、どうしてアレク様がいるの?


 もしかすると、私はまだ夢のつづきを見ているのかもしれない。


「エステル、大丈夫か?」

「えっと、はい……?」


 アレク様は、私のベッドをのぞき込むような姿勢になっていた。その後ろにはキリアの姿も見える。


「アレク様、キリア……?」


 二人とも怖いくらい真剣な表情をしていた。


「何かあったんですか?」


 ベッドから身体を起こした私を見て、アレク様は深いため息をついた。


「良かった。体調が悪いわけではないのだな?」

「はい、元気です」


 キリアもアレク様の後ろで胸をなでおろしている。アレク様の手が私の頭を優しくなでた。


「時間になってもエステルが起きてこないので、キリアが起こしに行ったんだ。そうしたら、あなたは真っ青で苦しそうにうめいていたらしい。それに……」


 アレク様はそっと私の左手にふれた。その手のひらには黒文様が浮かんでいる。


「えっ!?」


 あわてて右手をみると右手にも同じように黒文様が浮かんでいた。


「これって、もしかして……」


 私が夢の中で邪気塗れの大聖女様にふれたから?


 足にも違和感を覚えてベッドから出ると、私の足は足首あたりまでぐっしょりと濡れていた。


 これは大聖女様の涙でできた水たまりを歩いたせい?


「だとしたら、あれは……夢じゃないんだわ」


 アレク様は私の黒文様まみれの手を握りしめた。この禍々しい文様が浮き出た私の手にためらいなくふれてくれるのは、たぶんアレク様しかいない。


「何があったのか教えてほしい」

「実は――」


 私は夢で見た内容を話した。


 どこかの薄暗い神殿で大聖女様が祈りを捧げていたこと。


 大聖女様の顔は、私たちよりひどく黒文様塗れだったこと。おそらく顔だけではなく全身に黒文様が浮かび上がっていて、大聖女様にはもうあまり時間がないこと。


 そして、私とアレク様が大聖女様に選ばれた者だということ。


「エステルは聖女だから選ばれるのはわかるのだが、俺もなのか?」

「大聖女様は『私に選ばれたせいで邪気に侵され黒文様が浮かぶようになってしまった』と言っていました。だから、黒文様が浮かんでいたアレク様も選ばれています」


「選ばれたものは三人いると言っていたそうだな?」

「はい。だから、私たち以外にあと一人、黒文様が身体に浮かび上がっている者がいるはずです」

「その三人で、何をしろと?」


 私はもう一度、大聖女様のお言葉を繰り返した。


「ゼルセラ神聖国の未来と、大聖女様が朽(く)ちて消えてしまったあとの世界の理(ことわり)を決めてほしいと言っていました」

「要領を得ないな」


 アレク様の言う通り、私たちが具体的に何をしたらいいのかはわからない。でも、今の段階でもわかっていることはある。


「おそらく大聖女様がいなくなれば、それまで大聖女様が浄化していた邪気が世界中にあふれ出すのではないでしょうか?」

「なるほど、その瞬間に世界の理(ことわり)……これまでの常識が変わってしまうというわけか」


 今まで長い時を大聖女様ありきで暮らしていた人々が、これからは大聖女様がいない世界で生きていかないといけない。


「大聖女様がいなくなれば、私は聖女の力が使えなくなるかもしれません。もう二度と私たちの国に聖女が生まれなくなるかも……。カーニャ国だって、王族が祈るだけでは負の感情を相殺しきれず、魔物が頻繁に出るようになってしまう可能性もあります」


 私たちは、それだけ大聖女様に頼って暮らしてきたのだと、今さらながらに思い知らされる。


 アレク様が口にした「大聖女様は、やはり神なのだろうか?」という言葉に、私は首をふった。


「違います。だって、大聖女様は、泣いていたから」


 気が遠くなるような長い年月を、薄暗い神殿でたった一人祈り続けた結果。その足元には大きな水たまりができてしまうくらい涙を流していた。


 大聖女様を思うと心がしめつけられるように痛む。私の瞳からあふれた涙は、頬に手をそえるようにアレク様がぬぐってくれた。


「エステル、大丈夫か?」


 優しく声をかけれて、私はさらに泣いてしまう。


 きっと大聖女様の涙をぬぐってくれる人なんかいない。心配して『大丈夫か?』と聞いてくれる人もいない。それがとても悲しくて、どうしようもなく苦しい。


「アレク様……私、大聖女様を助けたいです」


 もう手遅れかもしれないけど、それでも大聖女様の身体に溜まった邪気を浄化すれば黒文様が消えるかもしれない。消えたら、大聖女様はもっと生きられるかも。


「もう大聖女様をひとりにしたくないんです」


 アレク様はゆっくりとうなずいた。


「わかった。大聖女様を助けよう」

「……どうやってですか?」


「フィン殿下が言っていただろう?」


 ――大聖女様は大陸中の邪気が集まりあふれ出す場所に、その身を捧げてこの地に平和をもたらした。その場所で、大聖女様が今も邪気を浄化し続けてくださっているから、この大陸ではめったに魔物がでない。


「ということは、大聖女様が祈っている場所がこの地のどこかにあるはず。そこを探し当てれば、大聖女様に会える」


 私はアレク様をまじまじと見つめた。


「アレク様は天才ですか?」

「いや……」


 謙遜するアレク様の両手をにぎる。


「天才ですよ! アレク様すごいです!」

「……そ、そうか」


 視線をそらして照れるアレク様は、コホンと咳払いをした。


「キリア、フリーベイン領に残っている騎士達宛に『大聖女様の居場所を探れ』と手紙を送ってくれ。自国だけではなく他国の書物や文献も調べるように。混乱を避けるために、エステルが見た夢の話は伏せておいてくれ」

「はい!」


「あとは……もう一人、大聖女様に選ばれた者も探さないといけないな」


 アレク様の言葉にキリアが答えた。


「黒文様があることを打ち明けた者に、賞金でも払いますか?」

「それだと、賞金欲しさに自身や他者に、偽物の黒文様を彫って申告する者が出てきてしまうだろう。とにかく一度、フィン殿下にご相談しよう」


 私に向き直ったアレク様は「エステルは、今日はゆっくりしてくれ」と指示を出す。


「俺は図書館でカーニャ国の文献を調べる」

「私も行きます!」

「いや、しかし……」

「大丈夫です。本当にすごく元気ですから!」


 アレク様やキリアがこんなに頑張ってくれているのに、じっとなんてしていられない。


「わかった。キリア、今日は予定通り図書館へと向かう。護衛のために他の騎士たちを招集しておいてくれ」

「はい!」


 返事をしたキリアは礼儀正しく頭を下げると部屋から出ていった。

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