22 図書館に行くその前に
フィン殿下の後ろで控えていた護衛騎士が、フィン殿下に近づいてきた。
「殿下、そろそろ」
「そうだね」
私を見つめたフィン殿下は「王族は、これから祈りの時間なのです。僕はこれで失礼しますね」とニッコリ微笑み去っていく。
アレク様も「では、俺も部屋に戻る。エステル、また明日」と言って私に背を向けた。でも、扉まで歩いたアレク様は、ピタッと立ち止まりなぜかくるりとこちらを振りかえる。
「明日もあなたと出かけられて嬉しく思う」
そういったアレク様の頬は赤い。つられて私も赤くなってしまう。
「エステルとの図書館デート、楽しみにしている」
「図書館、デート?」
真面目な表情でコクリとうなずくと、アレク様は今度こそ部屋から出ていった。
そっか、明日もデートだったんだ……。
また手をつなぐのかしら? そう思うと、恥ずかしいような嬉しいような不思議な気分になってくる。
視界の端でキリアが小さくガッツポーズしているのが見えた。
「いける! いけますよ、閣下!」
小声でそんな声が聞こえてくる。
何がいけるのかしら……。聞いてはいけないような気がするわ。
私は、さっきよりずっと図書館に行くのが楽しみになっている自分に気がついた。
**
夜も更け、キリアは礼儀正しく私に挨拶したあと部屋から出ていった。
部屋で一人きりになると私はベッドに腰をかける。
フィン様は、カーニャ国の王族は毎日大聖女様に祈っていると言っていた。私もフリーベイン領に行くまでは一日中祈り邪気を浄化する生活を送っていた。だけど、今では朝晩くらいしか祈っていない。
目を閉じ指を組み合わせると、大聖女様に祈りを捧げた。
これまでのように大聖女様に感謝を伝えたあとに、これまでとは違い大聖女様に話しかけてみる。
――大聖女様、わからないことがたくさんあります。どうして王都やフリーベイン領だけが魔物に襲われるんですか? それに、私からあふれ出た光はなんだったのでしょうか?
どれだけ待っても返事はない。私は祈るのをやめて目を開いた。
一日中、市場を歩き回っていたせいか、身体がだるくて仕方ない。ベッドに横になるとすぐにまぶたが重くなる。
「大聖女様……」
まだ起きていたくて、私は思っていることを声に出した。
「……大聖女様は、大陸中の邪気が集まりあふれ出す場所に、その身を捧げてこの地に平和をもたらしたというのは本当ですか?」
睡魔に襲われて意識がとぎれとぎれになっていく。
「もし、それが本当だったら、そんなの……人柱(ひとばしら)じゃないですか……。ねぇ、大聖女様。つらくなかったですか?」
私だったらつらい。だって、そんなことをしたら大好きな家族に二度と会えなくなってしまうから。
キリアやフリーベイン領の皆にだって会えなくなる。
それに、アレク様にも。
そう思うと胸がしめつけられるように痛む。
「大聖女様が今でもその場所で、邪気を浄化し続けてくださっているなんて……そんなの、ウソですよね?」
私は一人きりで王都の邪気を浄化し続けていたころの自分を思い出した。あのころの私は不幸ではなかったけど、決して幸せでもなかった。だから、ウソであってほしい。
まるでベッドに沈んでいくように、私はゆっくりと意識を手放した。
**
どこからか水滴が落ちる音が聞こえてくる。
ピチャン
目覚めると私は薄暗く広い空間に一人で立っていた。
ここは……?
空間内には荘厳な柱が立ち並び、その先には祭壇が見える。
どこかの神殿みたいだわ。
上を見上げるとドーム型の天井の中心部からは淡い光が差し込んでいた。でもその頼りない光だけでは神殿内を明るく照らすことはできない。
よく見ると祭壇の前でだれかが祈っていた。神殿内が薄暗い上に、遠くてここからでは良く見えないけど、たしかに人がいる。
私が祭壇に向かって歩き出すと、途中から床が濡れていることに気がついた。
ピチャン
また水の音がする。どこかから水が漏れて、床に広がり水たまりをつくってしまっているのね。祭壇に近づけば近づくほど、水たまりは深くなっていく。
足首までが水で浸かってしまったころに、私はようやく祭壇にたどり着いた。
淡い光に照らされながら祭壇に向かって女性が祈っている。栗色の髪は床につくほど長く、水面に広がりゆらゆらと浮かんでいた。
祭壇から、どす黒いモヤがあふれ出ていることに気がついた。それは邪気と言われるもので、女性の祈りによってかき消されていく。
ということは、この女性も聖女なのね。
私は神殿内を見回した。こんなに寂しいところで一人、祈りを捧げているなんて……。
祈りの邪魔をしてはいけないとわかっていても、私はどうしても彼女をそのままにできなかった。
「あの……」
声をかけると女性は祈るのをやめた。
「あなたも、聖女ですよね?」
ゆっくりと女性がこちらを振りかえる。
その顔を見て、私は思わず息をのんだ。
なぜなら女性の顔に、びっしりと黒文様が浮かび上がっていたから。私やアレク様よりももっとひどい。地肌が隠れてしまうほど黒文様で埋め尽くされている。
「こんなになるまで祈っていたの!?」
そう叫んで私は女性に駆けよった。
「もういいから! もう祈らなくていいわ!」
女性はうつろな瞳で私を見ていた。彼女を怖がらせてしまわないように両肩にそっと手をおく。
「私、フィン殿下に教えてもらったの! 邪気は負の感情から生まれるんだって! 正の感情で相殺できるって! だったら、本当は聖女なんていらないでしょう!? だから、もういいから!」
女性の瞳から一粒の涙がこぼれた。頬を伝い涙は水溜りに落ちていく。
ピチャン
それは今までずっと聞こえていた水音だった。私は床に広がる大きな水たまりを改めて見渡す。
「……もしかして、この水溜り、あなたの流す涙でできたの?」
女性は口を開かない。代わりに私の頭に直接声が聞こえてきた。
――エステル、もうあまり時間がありません。
「ど、どうして、私の名前を?」
――私はこれまでずっとあなたの祈りに応えてきました。
聖女である私の祈る先は、大聖女様。
「ということは、あなたは……」
私は目の前のうつろな瞳の女性を見つめた。
――これから言うことをよく聞いてください。私たちの国、ゼルセラ神聖国内で、能力が飛びぬけて高く、強靭(きょうじん)な精神を持つ者を三人選びました。エステル、あなたもその一人です。でも、私に選ばれたせいで邪気に侵され黒文様が浮かぶようになってしまいました。
私は左肩に残る黒文様にふれた。これは大聖女様に選ばれた証(あかし)だったの?
――選ばれたあなた達が決めてください。
「何を? 何を決めるんですか?」
――ゼルセラ神聖国の未来を。そして、私が朽(く)ちて消えてしまったあとの世界の理(ことわり)を。
「大聖女様がいなくなってしまうのですか?」
カクッと人形のように大聖女様がうなずいた。
――もうこの身体は長くもちません。私はゼルセラ神聖国を大切に思っています。しかし、ゼルセラ神聖国を恨み、国そのものの消滅を願っている者もいるのです。邪気を操るその邪悪な者を、私では抑えることができません。だからどうか……。
急に後ろに引っ張られる感覚がした。次第に大聖女様の声が遠くなっていく。
「待って! まだ聞きたいことが!」
――心配しないで。また夢の中で会いましょう。誰よりも優しいエステル……私のために胸を痛めてくれてありがとう。
白くなっていく視界の中で、ほんの少しだけ大聖女様の口元がゆるんだような気がした。
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