ノートの隅っこ

月白輪廻

1ページ目 五年程前に鬱になった件

 こちらの文章内に登場する特定の人物、団体を侮辱、批判する意図。加えて自殺幇助、自殺教唆の意図は一切ございません。

 また私の家庭環境についても触れる機会がありますが、現在そういった部分で悩みを抱えていらっしゃる方がご不快に思われるような表現、描写がございます。お読みになる際は十分にご注意下さい。


 文中で発達障がいグレーゾーンの症状やADHDの症状に言及していますが、あくまでも私個人の症状であって、感じ方、捉え方には個人差がありますことをご了承下さい。


 それでは長々と大変失礼致しました。

 どうぞ以上の点をご理解頂けますよう、よろしくお願い致します。






 こんにちは、月白輪廻と申します。 初めまして。


 またいつも応援、お声がけ下さる皆様、大変お世話になっております。

 ここ五年間程の間に『自分』という存在が大きく揺らぐ出来事が多々あり、色々と思い詰めることもあったのですが……いっそ開き直ってネタにしてやろうと思い立ち、こうして筆を執りました。


『ここ五年間の話』には私の育った家庭環境も大きく関わってくるため、謂わばウン十年分の愚痴の垂れ流しです。

 ですので家庭環境の話題といったものに余り良い印象をお持ちでない方は、どうぞ御注意下さい。


 世間様から見れば恐らく私は年不相応に子供っぽく、甘ったれなのでしょう。実際に一人暮らしをしたことがなく、ずっと実家暮らしなので面と向かって「実家暮らしは良いね、気楽で」と言われることもあります。

 しかしそれは私自身が一番よく解っておりますので、批判やお叱りのお言葉はどうか胸の内に留めて頂けますと幸いです。




 私は四年前、当時働いていた職場で鬱病を発症致しました。

 仕事も忙しくなり、また同時期に同僚が体調を壊したこともあって、その穴を埋めるために必死でした。

 気付けば食欲が落ちていたのですが、当時は夏だっために夏バテだろうと自己解釈し、そのまま仕事を続けていました。寝ても寝ても鉛のように身体が重いのですが、仕事の疲れが取れないんだなと考えて放置。

 たとえ体調が悪くても出勤して仕事を始めれば徐々に調子が出てくるので、全く気にも留めていませんでした。


 元々眠りが浅い所があったのですが段々と不眠の症状が続くようになったのと、健康診断の結果と同僚からの「前より痩せてない?」との言葉に、ようやくそこで自分を冷静に見ることができました。


 精神科の受診を決意はしましたが、しかし現時点で鬱病という診断を全く想定していなかった私は近所の小さな精神科に行くことに。

 そしてあれよあれよと休職が決まり、二ヶ月間の休職をしました。その間も薬をもらうために通院していたのですが、処方された薬の影響でとんでもなく食欲が湧いて……体重が一気に五キロ増えたんですね。


 元々中学生の頃まで太っていたのですが、母親からは「まんまるちゃん」「小豚ちゃん」「逞しい背中」「おでぶちゃん」「太ってる」という暴言をずっと浴びていて(母についてはまた別の所でお話しさせて頂きたいと思います)、それが嫌で高校生になる直前に意地で五キロ落とし、成人してからは更に二キロ痩せた体重をずっとキープしていました。

 すると正直に言って鬱よりも太る方が怖くなってしまって、結果睡眠薬以外の処方されていた薬を自己判断で全て止めました。


 抗うつ剤を止めて直ぐに幻覚症状が現れ『大きな蛾が顔に止まった』と夜中に騒いだりと、まあ色々ありました。

 最終的には死に場所を求めて地元の山にかなりの軽装で入ったりもしましたが、他者に掛ける迷惑を考え直して何とか踏み留まったり。

 山登りをした翌日の筋肉痛の方が酷くて、しんどかったのを覚えています。


 そんなこんなで、かかりつけ医を地元の小さな病院から一時間程離れた市の総合病院に変えました。

 そこでは発達障がいの検査なども行いました。私自身社会人になってから他人との価値観の違い、大きな擦れを感じることが多く「私って、もしかしたら変?」と悩んでいたので、病名が付けば安心するだろうと、そう安易にも思っていました。


 しかし結果は『発達障がいグレーゾーン』。

 所謂「その傾向はありますが、発達障がいとは認められません」というものですので、診断書は勿論出ません。

 そして『発達障がいグレーゾーン』と解った途端に「あなたは『発達障がい』ではないんで、ウチでできることはありません。それに『グレーゾーン』はクラスに一人、二人いる変わった子って感じなんで、心配しなくて良いですよ! 次の患者もいるので、じゃ! 睡眠薬だけ出しますね!」といった態度で医師に退室を促され、呆然としました。

 モヤモヤしていた部分にやっと何か病名が付くかもという期待感があったのですが……想像とは全く異なる事態に、その日は途方に暮れて帰りました。


 帰宅して少しすると、総合病院への医師に対する怒りが収まらなくなりました。

 またこれも自己判断ではあったのですが、鬱の症状が以前より上向きになったように感じていたこともあって「こんちくしょう! 馬鹿にしやがって!!」と、いらん負けん気が働いてしまいました。


 そうして二ヶ月の休職が明け、直ぐに職場復帰しました。

 私は元々対抗心や競争心が強いタイプではないので、今思うと普通の状態ではなかったんだろうなと思います。

 そして休職後向こう三ヶ月は体調不良を押し、ただひたすらがむしゃらに働いていたので、当時のことは余り記憶に残っていません。毎日を必死に生きていたような気がします。


 この鬱病を発症した一年半後、現在の職場に転職しました。

 前職、現職共に職種も同じで、比率的には男性が多い職場です。そして現職場に勤め始めて半年もしない内に、鬱病を再発させました。

 この時も夏であったため体重の減量を夏バテと勘違いし(お恥ずかしながら毎年のように夏バテしています)、やはり自分の体調の変化に一切気付いていませんでした。


 私は人より仕事が遅いため(これにつきましては『発達障がいグレーゾーン』に関わるので、また後日お話させて下さい)自分なりに努力し、毎日体当たりで仕事に臨んでいるつもりではあるのですが、その仕事の遅さというものも、同僚との折り合いを悪くさせてしまう切っ掛けの一つになりました。

 同僚は典型的な職人気質で『教えるのは一回だけ。後は自分で盗め』というタイプで、なるべく波風立てたくない私と、時には上司にも反抗する皮肉屋の同僚では元々の相性も悪く……しかし現職の経験値は圧倒的に私の方が少ないため、何か仕事で困ったら同僚に聞くしかありませんでした。

 聞いた所で「前教えたよね」と返され、「こんな簡単なことに何分掛かってんの」「そんなのも解らないの。この会社は初めてだろうけどさ、職種歴は短くないよね」ということの繰り返しで、そうするといつの間にか出勤時間がどんどんギリギリになり、駐車場から職場まで歩いて向かう間は涙が止まらず、仕事ではミスも増えてという悪循環に嵌まっていきました。


 そしてある日。仕事中に遂に不良品を作ってしまいました。在庫数も多く一つ不良品になった所でそれ程問題ではないものでしたが、ここでギリギリに保っていた糸が切れてしまったんです。

 その場で過呼吸を起こした私は中々容態が収まらず、会社の産業医の病院に救急搬送されました。元々過呼吸になりやすい体質ではあったのですが、そんなに頻繁に起こるものでもないため、そんなお久し振りの過呼吸ははっきり言ってかなり辛かったです。


 容態が落ち着いた後は救急車に付き添ってくれた会社の事務員と話すことができ、「自分が通院している内科なんだけど、良い先生だから。心療内科の先生に紹介状を書いて貰ったらどうか」と勧められました。


 そして現在通院している病院の医師と出会うのですが……長くなってしまったので、今回はこの辺りで一度切らせて頂きます。

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